うなぎの日

母が、「うな丼を持ってきてあげる」というので、大喜びしている。
「ただし、中国産やで? 日本産のは高くてとても…」
と弁解する母に、
「いい、いい。それで」と短く返事する。
偽日本産うなぎを高い値でつかまされるより、中国産とわかっていて安く手に入れる方がいいのだ、わたしは。
《丑の日》を、《うなぎの日》と言って笑われた記憶があるが、わたしのあたまの中では、いまでも《丑の日》=《うなぎの日》である。
しかも、《土用の丑の日》とは、暑い土曜日にうなぎを食べるものだと思っていた。
オソロシイ…。
ここ9年間は働いていないので、昼休みランチにうなぎを食べに行く、なんてこともしていないが、昔、証券会社にいたときは、よく近所の江戸前うなぎを食べに行った。
1,100円の並だったが、舌の上で、うなぎがとろけるのである。ウマ〜〜〜。
そこでわたしは初めて、うなぎに山椒をかける人がいることを知った。
え? 山椒??
これって、うなぎに合うの?
少しだけ、かけて食べてみた…が、全然美味しくなったとは思えない。
むしろ、うなぎ本来の味と香ばしい匂いを消してしまっているような…。
でも、その後、あちこちのうなぎ屋さんに行ってみると、どこでもテーブルの上に山椒を置いてあるから、うなぎに山椒は出会いのものなのだろう。
不思議だー。そのまま食べた方が美味しいのに??
そういえば、どことなく怪しいトッピングとして、カレーにソース、味噌汁に唐辛子なんていうのもある。
わたしには、どーしても悪食にしか見えないのだが、やっている人はけっこう幸せそうに食べているので、これも出会いのものなんだろうか?
まったく、人の好みというのは、多彩なものである。
さてその後、病気でビンボーになったわたしは、もうあのトロトロうなぎを食べる機会がなくなった。
1,100円くらい出そうと思えば出せるが、いまのわたしは出さないだろう。
だがもし、あのまま証券会社にとどまっていたら、いまでもうな丼定食を食べていただろうか?
――食べていたかも知れないなあ。…
既婚者ならいざ知らず、独身でずっと働き続けてきた人間は、多少なりとも懐が豊かなはずである。
それにしても、ビンボーと裕福のレートが、うなぎ1,100円とは、わたしもずいぶんケチくさくなったもんである。
もう行けないんだなぁ…と思うと、にっくき(?)山椒も懐かしく思えてくるから不思議である。
ドロボーさん対策

わたしは、裸族なので、部屋ではいつもぱんつ一丁である。
ここ数日間は、クーラーを入れたり消したりしている。
しかし、この格好でいるときに、もし窓からドロボーさんが入ってきたら、どうすればいいんだろう?
こういう脳内シュミレーションを、わたしはしょっちゅうする。
まずわたしは、一切抵抗せずに、服とケータイを出来る限りつかんで、ダッシュで表へ出るだろう。
そして、裸で走りながら、間髪入れずに110を押す。
その電話は切らないまま、後ろを振り返って、状況を確認する。
この時点で、追いかけてこなければ、そこで服を着て110番に説明する。
もし敵が追いかけてきたら、そのまま裸で走り続ける。
交番までは、走って1分だ。
なお、マンションの管理人のところへは行かない。共倒れになったら悪い。
マンションから出たら駅前で人がいっぱいなので、さすがにここまでは追って来ないだろうから、わたしは服を着る。
それから、裸足で交番へ猛ダッシュだーーー!!
一部始終は、110番が聞いていることだろう。
交番に駆け込んだら、ほっとするのではなく、事情をぱぱぱと説明して、まだ犯人は近くにいるから捜してくれ! と言う。
交番のおっさんも一応プロだ。
怪しいそぶりの男なんて、職業柄なんとなくわかるだろう。
問題なのは、わたしが人の顔や服装を覚えるのが苦手で、しかも犯人出現と同時に逃げる覚悟だから、ほとんど敵の姿を見ないであろう点である。
だから、「あ! おまわりさん、あの人です!!」と犯人を指させないところが、苦しい。
結局、事件は未解決…になるような気がする。
おまけだが、風呂に入っているとき、人が入ってきたらどうする? というのも、わたしはだいぶ前に考えた。
風呂を見渡して、武器になりそうなものはシャワーとシャンプーである。
入ってきたら「キャー」ではなく、まず冷静にシャンプーを目にプシュップシュッと飛ばす。
かけるシャワーは水でもよし、熱湯でもよし(ただし熱湯だと、自分がヤケドする可能性があるな…)。
その、わずかな敵のひるみの隙に、自分は裸で水びたしのまま、服とケータイを出来る限りつかんで…(以下略)。
トイレのときの武器は、トイレ用洗剤と消臭スプレーである。
でもあれは強いから、目に入ると相当やばいんじゃないかと思う。
中古ゲームとディズニー

貧乏している今日この頃、もう本・ゲームは定価で買う気がしないので、昨日は、本屋の上にある(!)中古ゲーム・古本屋に行ってみた。
ここは、いつ来ても客がいない。
いい商品が揃っていないってことだろうな。
案の定、いまやっているDSの人気ソフトなんかは、すべて「中古売り切れ」であった。
ほかの中古屋さんで買っておいてよかったー。
ところで、こんなふうにして、買う気もなくあちこち中古ソフトを見て歩いていると、小学生の子がたまにニアミスしてきて、チラッとこっちを盗み見て、だーーっと走っていったりする。
あれ、なんなんだよ。大人はゲームしないとでも思ってんのか。
これはゲームに限ったことではなく、マンガの背表紙をまじまじと見ていたりしてもよくある。
マンガの棚は女子が多いので、彼女らはわたしの方を一瞥すると、くるりと背を向け、友だちと会話を始める子なんかが多い。
自分たち子どもの聖域に、大人が無粋に立ってんのが、困るんだろうか。
そう言われても、こっちだって見たいものは見たいし、「しゃべってんなら、そこ、どきやがれ」と心で毒づいていることもある。
しかし、こーんなちっちゃい子と、わたしは、歳も頭の中身も全然違うのに、同じモノを求めてしまうのはどうしてだろう?
それが、わたしにとっては不思議で仕方ない点である。
たぶん、やっていることは一緒でも、あっちは主観的でこっちは客観的であるとか、使っている脳の部位が違うとか、なんらかの違いはあると思うんだけれど。
そういえば、わたしの嫌いなディズニーなんかも、大人子ども関係なしに、好きな人は好きである。
でも、ディズニー好きな大人は、誰からも糾弾されない。
なぜだー。
どっちもテーマは「夢」であることに違いないと思うのだが。
灼熱地獄がやって来た
大阪・35℃。
さすがのわたしも、ついに今年初のクーラーを入れた。
でも、かなり粘った方でしょ?
水を浴びては、扇風機に当たり、午前中はほとんど寝ていたわたしだが、今日の暑さだけは、目が覚めるくらい耐え難かった。
「あーあ…、これで限界か…」とわたしは、窓を閉めて、クーラーを入れる。
そして、ごろんと横になると、やがて、ひや〜っとした空気が皮膚をさわやかに撫で始めた。
わぁ、すっきりする…。気持ちいい。…
それにしても変なのは、家ではこんなに暑さを我慢しているのに、外に出たらこれが一変することである。
スーパー…寒すぎ。冷凍食品などのそばには、極力近づかないようにしている。
回転寿司屋…寒さでブルブル。そんななかで、必死に寿司をつまんでいる。
それで、真夏なのに外出のときは、念のための7分袖のボレロが手放せない。
昔、香港に遊びに行ったとき、「デパートなどが寒いから、夏でもなにか上着を持っていった方がいい」とパンフに書いてあったのを見て、「うはは、変な国だな」と思ったものだが、いまの日本はまったくそのとおりになっている。
平均気温が高くなりすぎて、食べ物が腐りやすくなっているということだろうか。
それと、日本の場合は、このクソ暑さのなか、相変わらず背広を着ている人が多すぎる。
就職活動とおぼしき女子大生もだ! 炎天下で背広着て歩いてんじゃねー。
必要なときにだけ、着ればいいだろ…って、暴言を吐かせてもらうが、そういった人たちがいるから、店や電車が寒くなりすぎる理由の一つになっているかも知れない。
しかし、電気の使いすぎについて、エコだの何だのって世間ではいろいろ言っているが、江戸っ子風に言わせてもらえれば、
「へっ! それがなんだい(キセルで煙をぷっ)」
みたいな気持ちである。
外出に上着が必要なくらいになっているのに、家での少しの節約で、どれだけの効果が得られるというのか…。
飲食店でもコンビニでも、街中ガーガーと室外機の音がうるさく鳴り響いているなか、《地球に優しく》なんて、小声で言っても相手に聞こえそうな気がしない。
だいたい、《地球に優しく》ってなによ。
人類が地球を支配しているかのような物言いは、絶対なにか勘違いしていると思う。
「偽装」ソフトクリーム

あっついなか、いつものスーパーに出向いて、いつもの朝食用ソフトクリーム「○ハヨー・ジャージー牛乳ソフト」を手に取ったら、すんごいクリームの量が減っていてびっくりした。
うそでしょーー?!
ガサガサ奥を探し出すも、すべてが前とは違って、カップとクリームの間に大きな隙間が出来ている。
で、わたしは反射的にカロリーを見た。215kcal?
こらっ、前と一緒じゃないか! 絶対嘘だろ!!
確かに、このソフトクリームは、カップとクリームに隙間がなさ過ぎて、カップから外すときにクリームがぼきっと折れてしまうことがあり、そこが難点だなとわたしは思っていたが、まさか今回のがその改善のためってわけじゃないだろう。
事実上、値上げというわけである。
しかし、それならそれで、腹をくくって、カロリーやたんぱく質・脂質などの成分量を書き換えなきゃならんだろー?
こっそり中身を減らして、表書きを変えないなんて、どう考えても変である。
帰宅後、わたしは家計簿を開きながら、畜生、ジャージー牛乳め…とレシートを見てみると、あら…? ジャージー牛乳ソフトが懺悔のようにひっそりと、今日は30%OFFになっている。
なんだ、それならもっと買っておけばよかった。
わたしがこだわっているのは、じつはクリームの減量ではないのである。
畜生なのは、どうせわからんやろ〜…みたいな感覚で、こっそり量を減らす、そのセコイ根性なのである。
だがこういうことは、他の食品においても、すでになされているのであろう。
成分量と中身が合致しない食品。
これも言ってみれば、「偽装」ってやつじゃないかとわたしは思う。
女としての晩年期

ちょっとしたアイデアを思いついて、ほかの自サイトに掲載する2コママンガを描いていた。
なんと、お絵かきツールなしである。
マウスで絵を描くなんて、まーなんて大胆なことしてるの、わたし?
アイデアの内容は、毎年行われる高校陸上部女子新年会で、記念撮影するときのみんなの立ち位置が、だんだん後退してきたことである。
毎年、出来上がった写真を見ると、いつもいつも、わたしが一番前ででん!と写っているので、今年ばかりは悪いと思い、
「わたし、後ろに行くわ」
と言ったら、やつらは、
「ええねん、ええねん。ゆみはそこに座っとき」
とくすくす笑いをしながら、手を横に振るのだった。
「?」
「後ろの方が、顔がちっちゃく見えるから、この方がええねん」
「…そうなん?」
それで今年も、わたしはドン前でパシャリと写してもらったのだが、光のかげんで、絶対こっちの方が綺麗に顔が写るのである。
後ろは、そりゃ顔は小さくなるが、顔全体が真っ暗で、細かい部分が読み取れない。
それに、顔の大きさなんて20代から変わらないはずで、もしそれが理由なら、20代の頃からみんな後方へ回っていただろう。
てことは、ほかになにかあるはずだ…って考えたときに、わたしはおそろしーことを思いついてしまった。
老化である。
毎年見ているせいか、わたしは彼女らが老けたとは思わない。
むしろ、元気で精力的だなぁ…と下から見上げるような格好で見ている。
しかし、美容のハナシになると、みんなはぁ〜とため息まじりになって、あのエステに行った、あの商品使ってみた、などといろいろ苦労話が絶えないのだった。
そうか〜頑張って若さを保つ努力をしているのか〜と、わたしは聞き役にまわるのだが、それはわたしが特別若いからとかじゃなくて、毎日鏡を見て自分の顔を点検するようなことを、数年間していないからである。
風呂に入れないことを始めとし、美を追求するなんてシンドイことは、鬱のわたしにとってヒマラヤ山脈へ登って来いと言われるくらい辛い。
老いと闘うなんてそんなこと…、余程のパワーが出てくるか、恋愛でもしないとまず無理だろうな。
でも、トシから言うと、女性ホルモンが出ている時期は、あとほんのわずか数年間である。
女として、晩年ともいえるこの時期になんにも出来ないのは残念だが、そのかわり、闘病してきたなにかが顔に現れて、歳をとってもいい感じになっていればいいなと思う。
精神科の待合室にて

今日は、通院日で、朝から出かけてクタクタなのである。
普通の人からすれば、なにをこのくらいで! とお叱りを受ける程度だろうが、なにしろ、待合室が異常に混んでいた。
混んでいても、自分の担当医師がヒマだったらいいのだが、わたしの担当医Kっちは院長で人気者なので?、たいてい混雑は順番待ちの長さに比例する。
「84番……」
電光掲示板を見ると、なんとまだ50番台あたりをやっているじゃないか。
それでも、要領のいいKっちのことだから、激変患者以外は3分診療でこなすだろうと思って、わたしと両親はどこにも行かずに待っていた。
ところが、電光掲示板を見ていると、あとからやって来た順番取りの28番患者が、いつまで経っても診察室から出てこないのである。
「なげぇなーーー」と、わたしは横にいた母にぼやきながら、それでも辛抱づよく雑談などしながら待っていた。
すると、次は64番である。
64番が、いつまで経っても診察室から出てこない!
わたしたちは、64番が診察室に入っていくのを見ていたので、彼らがどういう人物かもわかっていた。
「なんか紙袋とかいっぱい下げてたね。二人で」と母。
「入院かな? でも普通やったら、診察してから入院決定→荷物を取りに行く、やんなぁ?」
「そうやなぁ」
「”入院させろ”って、勝手に荷物持ち込んで、粘ってるんちゃうの?」
「そうかも知れんなぁ」
「くそ〜〜はよ出て来い! 64番!!」
そうして、20〜30分した頃だろうか、ようやく64番が診察室から出てきた。
病棟の方へ看護師が案内する真後ろを、堂々と背を伸ばして歩く男の姿がある。
どうやら、入院が決まったらしい。しかし、コイツ、マジで入院が必要なんか??
ゴリ押しされたと思われるKっちはその後、しばらく電光掲示の番号を切り替えなかった。
「先生も疲れたんやわ」と母が言うが、まあ事務的な処理にでも追われてたんだろう。
64番、あつかましいヤツ!!
その後は、するすると3分診療で、順番があっという間に回ってきた。
Kっちは、わたしに特に急かすこともなく、いつもと変わらぬ診察態度であった。
わたしは通常、ゴネゴネ話し込む患者じゃないので、かえってゆっくり診察してもらえたかも知れない。
「それで、”アレ”は、まだここに入院してんのか?」
「いや、わからないです」
「はっはっは、それもそうやんなっ」
そんな話をしたあとで、Kっちは処方箋をタイピングし始めた。
”アレ”とは、もちろん、別れた元同居人”キャプテン”のことである。
Kっちは絶対、わたしの境遇を面白がっていると思う。
アラフォーの憂鬱

「Around 40」(アラフォー)なんて言葉が出来ているが、年齢的にわたしは、まさにそれに当たる。
アラフォーとは、20代は就職先に恵まれ華やかに生き、30・40代は仕事に生きて、経済的に豊かで、結婚はべつにしなくてもいいや…という生き方をしてきた層のことらしい。
その人たちが、最近、徐々に結婚し始めたんだという。
そういえば、わたしも数ヶ月前に、初めて婚約とゆーもんをしたんだった。(すぐ破棄になったけど。)
わたしの場合は、「そろそろ年貢の納めどきか」という感じだったが、他のアラフォーたちはもっと積極的に、結婚相談所などで相手を探したりなんかもするらしい。
同世代として想像するに、彼女らはおそらく、
「一人も悪くないけど、一生の伴侶を得るっていうのもいいよね」
という気楽な感覚じゃないかと思う。
つまり、あらゆるものを手にしたあとで、最後に夫、というわけである。
もうひとつ、子どもを産むタイムリミットや、不景気で上がらない給料に不安を感じ始めた、なんていうのが背景にあるかも知れない。
サテ、わたしはといえば、歳だけアラフォーで、他に当てはまる点といえば、20代前半のとき、月給のすべてを、夜のバーやクラブにつぎ込んで遊んでいた…というバカっぷりしかない。
わたしはいまは倹約家だが、それは20代のとき、株で大損してからのことである。
34歳からこっちは、鬱病でほとんどずっと闘病生活である。
だから、みんなのいうような、「元気で経済力もある」典型的アラフォーではない。
そんで、「アラフォーが元気だなんて、嘘だろ…」なんて思いながら、忌々しく横目でTVを見ている。
でも、同じくアラフォーに当てはまる3人の同級生たちを思い浮かべると、確かにみんなものすごく元気で、休みとあらばマイカーであちこち飛び跳ねて、鬱病なわたしなんか、口もはさめなくくらいぺらぺらぺらと、みんな闊達によくしゃべるのであった。
そのたびに、わたしは、典型的アラフォーになりたいなんて思わないし、もうなれないけれど、「あーなんか辛い…」と、もう戻って来ない年月のことを思い出さずにはいられないのだった。
オトトが高くなっていく…。

全国一斉休漁 漁師らの窮状を救うには (読売新聞)
先日は、イカ釣り漁が一斉休漁して、わたしの好きな○ッスイの缶詰《いか煮つけ》@100円→280円になるという衝撃の事実を目にしたばかりなのだが、今回は、イカ釣り漁だけでなく、漁業全体である。
この数日間、魚の値段がどんなふうになるのか、恐ろしいことである。
この問題がこじれそうだなあと思うことには、もし政府からの支援を漁業が受ければ、他業種も「うちももう限界なのに、なぜ漁業だけ!」とモンクを言うのが目に見えているからである。
もちろん、漁業は食べ物のことなので緊急性は高いと思うが、みんなが納得できる形で解決するのは、かなり困難なことだろう。
しかも記事によると、今後も長く続くであろう原油高に対応するためには、漁業の流通システムから変えていかなければならないという。
でも、そんなの急に変われるんだろうか??
つまり、末端の消費者であるわたしたちは、これから何回も、休漁や値上げに耐えていかなければならないということだろうか。
わたしは、よく回転寿司に行くが、いずれ、1皿=100円なんていうのもなくなるかも知れない。
回転寿司の魚が輸入品だったとしても、原油高は世界規模なのだから、輸入品も上がるであろう。
ほんとに、魚食いの日本人としては、困ったことである。
海に面しているのに、ほとんど魚を食べないフランス人なんかは、そんなに困っていないかもだけど。
原油高がいつまで続いて、いくらまで上がるのかわからないが、日本の漁業に限らず、なんだか世界全体が危ういなあという感じである。
とくに、原油高の理由の1つである「需要>供給」というのが、いちばんマズそうな気が…、だってつまりそれ、「足らない」ってことじゃないか。
近い未来の人類は、原油の奪い合いがテーマになっているかも知れない。
スポーツ大学をすっぽかす(予定)

今日はスポーツ大学のある日だが、気がのらなくて仕方ないのである。
今日の講義のテーマが、自分にとって関心もないし、将来に役立つとも思えない内容だからかも知れない。
あと、屁理屈のようだが、座って1時間半、スポーツ医学的な講義を受けるというスタイルは、わたしが大鬱病を発症した《理学療法士の学校のときの環境》と似ていて、なんだかとても辛いのである。
理学療法士の学校に行っているときは、それこそ先生の一言一句を覚えているくらい、教科書にへばりついて集中していた。
しかし、無理がたたって鬱病を再発し、4〜5年にわたる休養をしたあと、わたしはもうそういうことは全然出来なくなってしまったのである。
多くの書き込みのある愛着のある教科書も、いまはどうしても手が伸びない。
「どんなこと、してたんだっけ」と先日、見ようとしたが、ついに見れなかった。
情けなさで、こころが沈む。
そういう昨今だったので、母のけしかけるような「行かないの?」という電話には、ほんとうに腹が立った。
調子が悪いときの鬱病患者に、非難めいた口調で、「会社、行かないの?」「学校、行かないの?」は、まったく禁句である。
行きたくないのに後ろから背中を押されるのが、「頑張れコール」となって、本人を苦しめるのである。
昨日あたりはとくに絶不調の日で、わたしはヨロヨロになってスーパーへ行った。
そして、毎日スーパーへ行くのはしんどいので、弁当を2つ買って、そのうちの1つが今日の夕ごはんである。
スーパーへは歩いて2分なのに、それでも翌日、賞味期限切れの弁当を食べる。――
しんどさの指標として、だいたいこのくらい、というのがわかってもらえるだろうか?
スポーツ大学に話を戻すと、いまの自分なら「ああ、行けなかった…」と挫折感を味わいそうだが、「えーやん、1回や2回行けなくても!」と楽観的に捉えることが出来れば、いいなと思う。
だいたい、なんでこんなに肩の凝る性格をしているんだろう。
健康な人々は、もっと自由に柔軟に生きているはずだと思うのに。

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