LIFE,LOVE&PAIN(旧)

LIFE,LOVE&PAIN(旧)

タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。(新URL:○ttp://lifelovepain02.blog.fc2.com/)
-

食事の仕方

pan2

今日の昼食には、パンを2個食べた。
ふつーのパン屋で売っている、チーズと果物のパンである。
アルコールを飲む前の自分だと、3個食べていたような気もするが、いまは2個でお腹いっぱいになる。
歳とったのかなー。
2種類の味しか楽しめないなんて、ちょっとしょぼい気もするな。

白飯を茶碗につぐときは、茶碗に軽く1杯のせている。
それでだいたいちょうど。
このまえ、サトウのごはん小盛を茶碗に入れたら、ちょっと多いと思った。
たぶん、世間で言われるところの一人前より、わたしのは、やや少ないのかなという感じである。

ここのところずっと思っているが、アルコール抜きで食事する、ということが、わたしにはまだよくわかっていない。
パンも白飯も、もう少し食べた方がいいのかな。
でも、腹10分目以上にする必要なんかないよな・・・。

母は、「お腹はいっぱいやけど、まだ食べたい。胃じゃなくて、口が食べたい」と言ったりするのだが、意味がわからない。
「お腹いっぱいやけど、甘いものが食べたい」と言うこともある。
お腹いっぱいになったら、「もう要らない」になるんじゃないのか・・・。
わたしの場合、お腹がいっぱいになり過ぎたら、ブルブルッと身震いが出る。
「もう嫌だ」のサインだ。
成人してからも、わたしはこのサインは、他のみんなも出るんだと信じていた。
なんでわたしだけ? と考えたときに、幼い頃、小食だった自分が、両親に縛り付けられて無理に食べさせられたことなどを思い出し、食に対してなにか抵抗感があるのかなと考えた。
もっとも、思春期以降はよく食べていたが。

アルコール抜きの食事は、満腹になっても、どこか達成感がなくて頼りない。
だからといって、それ以上食べる気にもならない。
わたしはいま、「空腹感があって、一人前をきちんと食べられて、満腹感があったら幸せだ」と思っている。
それはそうなんだけど、今日の夕食は水炊きか・・・、とガッカリしたりもする。
アルコールがあれば、おかずは何だってよかったのだが、ないと拘りだすんだよね。
嫌いなものを食べるなんて楽しくない・・・。

ふつうの人が、「あれが食べたい、これが食べたい」というのが、わかってきたかもしれない。
食べていて楽しくなるやつと、そうでないやつがあるよね。
やっぱりできたら、好きなものが食べたい。
じつはわたしは好き嫌いが多くて、好きなものばかり食べてもいられないのだが、これからアルコールなしで、食事を楽しむことをしたいと思う。

-

アルコール依存症の考察

yopparai2

9月末から10月上旬にかけて、わたしは異常な体調不良を経験したわけだが、そのときのことを思い浮かべて、もしかしてアルコール依存症の離脱症状もあったんじゃないかと、あたまの片隅でチラチラ考えていた。
なんでも正しいことを言う元彼Sちゃんが、「いま飲んでも、ガクガクワナワナ震えたりしないよ」と言うのだが。

わたしは、ネットでアルコール依存症の離脱症状について、調べてみた。
いちばんためになったのが、2ちゃんの離脱スレであった。
なにしろ当事者たちが言っているんだから、綺麗ごとではない。

アルコール依存症患者のほとんどが、いつかスリップしてまた飲み始める、というところは教科書通りだ。
でも意外だったのは、たとえいま強く飲みたくないと思っていても、アルコール依存症は1~2年経つまでは安定期に入らないし、その後もいつ飲み始めるかわからない、という点だった。
さらに、いったん飲み始めると止まらない、が教科書だが、止まる人もいるんだそうだ・・・、ただし徐々に量が増えていくそうだが。

わたしは、ん~~? と考えた。
そんなことを言っていたら、ただの大量飲酒者と、アルコール依存症患者の区別がつかないじゃないか。
唯一違うのは、離脱症状が出るか出ないかの差か??
それでいったら、わたしはある日突然、身体がガクガクワナワナ震えて、苦しくて死にそうになったんだけど・・・。
あれは、栄養失調によるものだと考えていたが、ほんとうにそうなんだろうか?
どうも気になる。
わたしは、さらにネットを探索した。

離脱症状を経験した人の多くは、ヤバいくらいの大量の汗をかいているようだ。
そして、手や全身の震え。吐き気。食物・水分が入らない。眠れない。幻覚・幻聴。
「当てはまらないところを探して、自分は大丈夫と思うのは間違い」とどこかに書いてあったが、このなかで、わたしに当てはまるのは、全身の震えだけだな・・・。
食物は確かに入らなかったが、吐き気のためではなく、食物が喉を通るときゾッとするためで、胃におさまってしまえばなんともなかった。

超客観的にみると、どうも自分は違うような気がする・・・。
「一日断酒」とか聞いていると、そんなに酒なしで一日を過ごすのが大変なのか、と思うし。
もし、わたしの経験したのが離脱症状ならば、あんなひどい目にあってまで、また酒を飲みたいなんて理解不能だとも思うし。

しかし、「自分は絶対大丈夫」って思うこと自体、間違いらしい。
難しいなあ。
いまはわたしは、もう一一生アルコールなんか要らない、と思っているけれど、いつか気が変わるときが来るのかな。
そのとき、あの断末魔が来たら、アルコール依存症で専門病院行きだな。
まーどっちにしても、あのまま飲み続けていたら、病院行きだよ。
今回、気づいてよかったと思う。

-

アルコールへの記憶喪失

gyouza

昨日の夕食は、O将の餃子だった。
わたしはアルコールを飲まなくなってから、味には敏感になっていて、口に餃子を入れた瞬間、「これはマズイ」と思った。
ビールと一緒なら、喜んで食べていたのに。
アルコールと一緒におかずを食べると、味オンチになるんだよね。

それにしても世間では、ビールと餃子は最高の組み合わせの一つのはずである。
わたしはお風呂で、ビールを飲みながら餃子を食べることを思い出してみた。
しかし、どうもイメージできないのである。
とにかく、ビールの味、飲んだときの感覚がわからない。
家で飲み始めて25年間、ずっとビールとお友だちだったはずなのに。
何度も思い出そうとしたが、どうしてもわからない。
むしろ、あんな液体と脂っこい餃子が合うか? と首を捻ってしまった。
なんだろう、おかしいよな。こんなにアルコールに対して態度が変わるなんて。

ビールと焼肉の組み合わせも考えてみた。
しかし、餃子よりさらに、「あんな液体と、脂っこくてしつこい味の焼肉を合わせるより、白飯だろ」と思ってしまった。
もしかして、本来のわたしは白飯が好きなのだが(事実)、ビールと○○が合う、という既成概念にとらわれていたんじゃないだろうか。

それに現在、わたしがアルコールを欲していない理由の一つは、味だけじゃなく、酔ったときの感覚も思い出せないからなのである。
「アルコールを飲むと、ほんわかしたり、肩の力が抜けたりすんだよな」と振り返っても、どんな感じだったか思い出せない。
日常的にアルコールを飲む人は、なぜウーロン茶でなくアルコールを飲むかというと、この酔いを求めているからだと思うのだが、いまのわたしは、それがわからないので、味も酔いもわからない状態で、「アルコールを飲みたい」とは思えないのである。

いままで漫然としか考えていなかったが、16年間朝昼晩と飲み続けて、完全なアルコールの精神的依存にあったわたしが、数日のあいだに、180°逆転して、「アルコールって何」になっているのは、奇妙だと思う。
昨日は、「もし自分がアルコール依存症だったらどうしよう」と考えていたが、冷静になれば、あり得ん感じがする。
ふつうは、アルコールの身体的依存でなく、精神的依存にある人も、一生断酒はキツイと思う。
身体を悪くして・・・などの理由でやめる人も、相当の決意をしなきゃいけないんじゃないかな。
わたし自身、9月末~10月初旬にかけての断末魔の苦しみと恐怖がなければ、アルコールをやめるなんて、100%考えられない状態だった。
でも、いまのこの謎「アルコールって何」は、いったいナンダ??
決意もなんもしていないぞ。
なんか、アルコールへの突然の記憶喪失が、普通じゃない感じがする。
いい方向に向かったからいいんだけれど、どっか脳みそがおかしくなった気がする。

10月初旬、もがき苦しんでいたとき、わたしはこれがアルコールとダイエットのせいだと深く反省したので、もしかしたらそのとき、アルコールに関するデータを消去したのだろうか。
不思議だなあ・・・。
でもまー、毎日ビールを飲む習慣がなくなってよかった。
今後は、付き合いでも飲まない方針。
人に気づかって飲むなんてアホらしい、自分の身体が大事、と自分中心に考えた結果である。
たびたび脳が異常をきたすわたしだけど、今回はよい方向に向かってよかった。

-

食べるスピード

kare

昨日の夕食は、カレーだった。
アルコールを飲んでいたときは、ガッカリな料理だが、麦茶なら、まーこういうもんでしょって感じである。

ところで、カレーなら、多くの人がいつもより早く食べてしまうんじゃないだろうか。
商社に勤めていた頃、ある副社長が「昼は毎日カレー」とおっしゃるので、理由を訊いたら、「いちばん早く食べれるから」だった。
わたしも、カレーはなんだか早く食べてしまう。
それなのに、うちの両親ときたら、食べるのが遅い遅い!
昨日は、20分かけても、まだ食べきれていなかった。
カレーに限らず、いつもそうなのだ。

じつはわたしは、食事の仕方も満腹感も空腹感もわからなくなってしまったのち、いまでもずっと、家族がどのペースで何分で食べ終わるかチェックしている。
だいたいは、15~20分くらいだ。
みんな、最初からのたのた遅い。
母親に至っては、箸を止めてずーっとTVに見入っている。
この前なんか、母親が箸を置いたのは、食事開始からなんと30分後であった。
思わず、「30分もよく食べ続けられるね」と言ったら、「おほほ」と笑ってごまかされた。
茶碗に半分くらいしか、白飯が入っていなかったのに・・・。
この人は、呆れるくらい食事に執着心がないので、きっとTVの方が大事だったんだろうな。

こんな具合なので、いまわたしは、ほんとうならもっと早く食べられるのだが、周りに合わせてのたのた食べている。
わたしでも、わりと遅い方のはずなんだけどなあ。
入院中に、なんだかツンケンした女性軍団がいたのだが、この人たちは驚くほど食べるのが早く、わずか5分で全員立ち上がっていた。
もっとも、わたしは大盛り丼めしで、皆さんは小っちゃいお茶椀にしてもらっていたが。
じろじろ見るわけにもいかなかったが、彼女たちは、ほんとに完食していたのかなあ。
もしかして、食べていなかったのかもしれないなあ。
それなのに、ぶくぶく太っていて、食事の合間にも、紅茶にこれまたビックリするほどハチミツを入れて、何杯も飲んでいた。
ごはん、ちゃんと食べればいいのに・・・・・、小さいオモチャみたいな茶碗で、食べたか食べていないかわからないような食事をして、人の大盛り丼めしに冷たい視線を浴びせている場合じゃないよ。
やっぱ、せっかくの日に3回の楽しみを、5分で終わらせるというのは、どうだかねえ。
早食いは肥満のもとだというし、時間があればゆっくり食べた方がいいんじゃないかと思う。

そういうわけで、わたしは変だけど、「あ、いまで10分」とかTVの時間を見ながら食べている。
よく噛んで食べていたら、ふつうに15分程度で終わる感じ。
まー食べるペースなんて、もともと自分が持っているものだから、あんまり気にすることはないと思うけどね。
なにしろ、「食欲」という本能が、一度破壊された身なので、まだ自分を100%信頼できない部分がある。
そのうち、自然ともとに戻ると思うけれど。

-

幸せな日々

sora_kusa

今日も、4.5kmジョギングした。
天気がずっといいので、青空を見ながら最高である。

食欲も戻ったし、身体は軽いし、どこにも問題ないなあ。
幸せだー。
何度も思うけど、ほんとうに健康第一。
あんまり健康になると、今度の厚生障害年金2級の審査に落ちる可能性があるが、2級のボロボロの身体でお金をもらうより、健康で底辺な方がいいよ。
まー、お金の問題は切実なんだけどね。
障害年金3級に落ちた時点で、わたしの将来の生活保護は確定だから。
マンションという財産を食いつぶしてからの話なので、だいぶ先になるけどね。

わたしの部屋は南向きで、日差しがよく入ってくる。
朝昼はさんさんと、夕方は夕焼けが窓の外から見える。
猫も、日に当たりながら、空をじっと見ていることがある。
空って気持ちいいなー。
わたしは、雲がぽっかり浮かんだ空が好きだ。
ふと見て目をそらして、また見ると、すぐに形が変わっている。
面白いなあと思って、チラチラ見ている。

そうこうしているうちに、夕ごはんの時間がくる。
食事は相変わらず、アルコールがあるときの「やったー」という気分ではなく、「まあこんなもんか」であるが、不満はない。
適当にTVを見て、後片付けして、適当に時間をつぶして、寝る。
ここんとこ、これの繰り返し。
退屈かといえば、そうでもない。
元彼Sちゃんは、「アルコールの代わりに、なにか趣味を見つけなきゃね」と言ったが、べつにアルコールは趣味じゃなくて、ごはんの友だっただけだからなあ・・・。
趣味は、体調がいいから、暇になったらいずれ自分で見つけるんじゃないかなあ。

こんな一日の積み重ねが、幸せだなあと思う。
これから、お金の問題とか両親の健康問題とか、いろいろ出てくると思うけれど、いまの幸せをかみしめることが大事だよね。
悲しい、苦しいは避けられないだろうけれど、そんなときでも、いつかまた幸せになれると信じて、耐えるか頑張らなきゃなと思う。

-

ビールの栓抜き係

beer11

父のビールにまつわる行動に、いやーな気分を味わっているのである。

わたしが、「もうアルコール飲むのやめる」と宣言したとき、彼は「俺も病気があるから飲まない」と主張してやめた。
わたしに付き合ってくれてんのかなあ・・・、でもそういうのやめて欲しいなあ・・・、とこころのなかで思っていたのだが、動物園に行ったとき、自分だけ串カツ屋に入り、出てきた際に、真っ赤な顔で酒臭い息を吐いていたので、飲んだんだとすぐわかった。

隠れてまで飲むなら、最初から宣言しなきゃいいのに・・・。
ガンで命が限られているのに、死ぬまでわたしに付き合うつもりなのかな。
たぶん、わたしの断酒がごく一時的なもので、すぐに飲み始めると思ったから、自分も断酒を言い出したんだろうな。
優しいんだろうけど、わたしをまったく信じていないという点で、なんだか嫌な気持ちになったのである。

その後いつの間にか、彼が夕食のまえに、食卓から離れたところで、コソコソとビールの栓を開けているのに気がついた。
父の手は、抗ガン剤の副作用で痺れており、自力でビールを開けるのは無理である。
わたしが、「開けようか?」と開けると、「どーもどーも」と言って、大きなコップに全部注いで、食卓に持っていった。
当たり前だが、彼は一生の断酒なんかするつもりは、毛頭なかったのである。
大きなコップに変えた理由は、おそらく食卓にビール缶があって、「飲んでます」が明らかになるのを避けるためだろう。
でも、最終的には食卓にビールのコップがのぼるわけだから、隠れて栓を開けることに意味がないと思うんだけど。

そんな父の稚拙な工作にうんざりしながら、ビールの栓を抜いてあげていたある日、父がぼそっと「ゆみに栓を開けさせるのは、拷問やからな」と言った。
それでわたしはムカーっときて、「わたしはなー! 我慢して飲んでないんとちゃうねん! 飲まれへんねん!!」と言った。
わたしが腹が立ったのは、拷問と思っているなら、なぜそんなことをさせるのか、ということである。
目の前で飲むことが、娘にとって拷問だと考えているなら、なぜ断酒を続けない?
中途半端な決意は口にするな!
中途半端な決意といい、中途半端にコソコソ飲むことといい、ほんとうに酒飲みの片隅にも置けない人である。

話はここで終わらないのである。
わたしが、「コソコソ飲むの、やめて。テーブルまで缶持ってくるのがふつうやろ」と言ったら、次の日からテーブルまで缶を持ってくるようになった。
そこまではいいのだが、今度は反対に、態度がでかすぎるのである。
最初は、わたしが気づいたときにシュポッと開けていたのだが、最近はビール缶をコップとともに、わたしの席のまえにデンと置いてある。
自分はそっくり返って、TVを見たまま。
開けてお酌して、俺に渡せってことか・・・?

父は、2年前に一過性脳梗塞になってから、徐々に人が変わり、母も手を焼いている。
母も言っているが、考え方がちょっと幼稚だったりする。
串カツ屋で飲んだらすぐバレるとか、栓を開けるときだけコソコソしても意味がないとか、ふつうのことがわからないっぽい・・・?
ビールに関して、わたしがリアクションを起こすと、またなんか曲解されそうだな。
ちょっと嫌だけど、このまま父が死ぬまで、わたしは彼のビールの栓を開け続けることになるんだろうな。

-

付き合いで飲む人

drink_geko

昨日は、精神科の診察日だった。
「どうですか?」と訊かれ、わたしは「体調いいです」と答えた。

「いまは、4.5km走ってます」
「ほー・・・。まあね、更年期ですからね、走るのは骨にいいですからね」
「はい」
「それで、酒は? 正直に! 正直に言いなさい!!」
「あのー・・・。飲んでないんですよ。飲みたいと思わなくて・・・。一生飲まないと思ってるんですよ・・・」
「・・・なにが起こったんだか・・・。神さまが来てくれたんやな・・・。まあ、ときどき飲むくらいにしといて(ブツブツ)」

元彼Sちゃんが、わたしが飲んでないと知ると、たぶんH先生はつまらないだろうと思うよ、と言っていたが、やっぱりそうなんだろうか。
Sちゃん曰く、「だって面白い患者がいなくなると、面白くないじゃん」である。
うーん・・・、ふつう医者は、患者の状態がよくなると、ラクになるから嬉しいんじゃないのかな。
でも確かに、いままで「駄目じゃないですか、もっと減らしてください!」と怒ってやっていた患者が、急に「やめました」と品行方正になると、「あ、そうですか」になって、つまんないと言えばつまんないか・・・。

しかしわたしはこのところ、アルコールに関しては少し悩んでいて、日常飲むことはもうないと思うが、付き合いはどうするか考えているのである。
正直言って、飲んでも飲まなくてもかまわない。
みんなでカンパ―イ! という楽しさは味わいたいが、酔うまで飲みたくない。
とすると、ビール1杯か2杯ということになり、それなら飲んでも飲まなくてもなにも変わらないので、最初からウーロン茶でいいのでは? とも思う。

しかしなあ・・・。
飲み会という席で、いきなりウーロン茶から始められると、やりにくいよなー。
それに、わたしはアルコール依存症患者と違って、楽しんで酒を飲める身体なのだ。
大人として、ごくたまにみんなと一緒に酒を飲んで、和やかなひとときを過ごすのもいいんじゃないか。

それでわたしは、Sちゃんがいるときに、ビールを1本飲む練習をしようと思った。
まえに決心したときは、怖さに負けてできなかった。
ほんとにいったいどうしてしまったのか、あんなに飲んでいたビールが、恐ろしい。
でもまー、いったん口にしたら、「あ、そうだ、こんな味だった」って思い出すだろう。
「ふだんは飲まないけど、つきあいなら飲みますよ」の人を目指して頑張ろう。

-

ダイエットを終えたあとで

kare2
今日の昼食はカレーの予定。
もうつくってから3日目のカレーだよ・・・。
固形物と化しているよ。

でもいいのだ。
予想していた通り、わたしは「食事は適当でいい」人であった。
アルコールとともに食事をするのをやめてからである。
いまは、朝はごはんに味噌汁、昼はパンやそばや残り物、夜はふつうの家庭料理である。
とくに、「あれが食べたい!」という希望もない。
ふつうに一人前食べて、体重は変わらず42.3kg。
必死にカロリー計算をして、ダイエットしていたのはなんだったんだ・・・。
結局、ダイエットというのは、一般に言われる一人前の食事量を続けて、ふつうに身体を動かしていたら、勝手に標準体重になるというものでは・・・。

ダイエットブログを拝見すると、多くの人が、ダイエット食品・飲料を利用している。
夕食は、コップ1杯のダイエット飲料とか。
しかしこういう人は、必ずといっていいほど、間食もしていらっしゃいますな。
たまに、「家族が買ってきてくれたから」とか「友だちに誘われたから」とお菓子を食べたり、バイキングに行ったりしている。
でも、それがいいと思うんだよね。
すごく真面目で、意思の強い人が、真剣にダイエットを始めたら、数字しか見えなくなって危ないよ。
わたしの持論となってしまったが、「ダイエットは失敗するくらいがちょうど」。
成功させたければ、ふつうに一人前を食べ続けて、運動すればいいと思う。

もしも、モデル体型を目指すのであれば・・・、もともと20歳くらいのときの体型はどうだったかが、気になるところである。
こんなことを言ってはなんだが、たとえば小学生のときから太っていました、という人にモデル体型は無理だと思う。
だって、食べ方が違うもん・・・。
わたしが小学5年生のとき、一緒に行動した女の子だが、ごはんをモリモリ食べたあと、お菓子を次から次へと買い求め、ジュースも飲んで、いったいどこまで食べれるの? とわたしたち(双子)を唖然とさせたのだった。
その女の子でさえ、太っていなかったのである。
だったら太っている子は、一日かなりの量を食べるんだと思う。
そういう食生活が身についている人に、鳥のエサ程度の食事が、永遠に続くはずがないと思う。

どのくらい期間をかけたのかわからないが、30kg痩せてリバウンドの途中で、摂食障害になったという人がいた。
人の身体だから、一人前きちんと食べていたら病気にならないと思うんだけけど・・・、モデル体型を目指しちゃったんだろうか。
わたしの前彼Sは、120kg→60kg(-60kg)という驚異的なダイエットを成功させたが、自己流ではなく、肥満外来に通って安全にダイエットしていた。
30kg級のダイエットをする場合、専門家にかかった方がいいのかもしれない。

ダイエットって、頑張れば頑張るほど報われるというものじゃない。
方向を間違っても駄目だし、欲張りすぎるとリスクを伴う。
みんな気軽にやるけど、今回痛い目をみたわたしは、もーほんとに気をつけてやってねと言いたい。

-

節約生活を考える。

saifu

昨日、フト「こんなに元気になったんだから、3年後の障害厚生年金は、必ず3級に落ちるよなー」と思い出したのである。
たぶんそうなるだろうとは考えていたが、真剣にお金の計算をしたことはなかった。

もし、3年後に3級に落ちたら、年金額は月48,000円程度になる・・・。
どうしても、母の年金に頼るしかない。

親の年金で生きるなんて、情けないなーと思うが、病気になったんだから仕方ない。
思い描いていた未来なんて、予想通りにいかないのがふつうなのだ、たぶん。
その代わり、母が動けなくなったら、精一杯お世話しよう。
いままで迷惑をかけてきたんだから、たぶんそれがわたしのお仕事なのだ。

わたしは預金通帳を見て、「もうちょっと欲しいな」と考えた。
わたしは3級に落ちたら、48,000円ではやっていけないから、生きていればいつか、生活保護に頼らなければならなくなる。
でも、母親を巻き込むのは嫌だ。
親の年金を食いつぶして、さらに生活保護に追いやるなんて、仕方なくとはいえ避けたい事態だ。

わたしは母に、「このままやと、わたしたぶん3級に落ちると思うけど、(父が死んで)二人になったときの生活、どうする?」と尋ねてみた。
「ああ、えーっと。まあ、介護用と葬式用の貯金はあるから、大丈夫やろ」
「そうじゃなくて、生活費。わたし、48,000円しかないけど、足りるのかな?」
「うー。食費が6万・・・」
「え! なにそれ!! わたし一人のときは1万5千円やったで!! 3万でいいんとちゃうの!!」
「だってあんたが、弁当買ったりビール買ったりしてたから・・・。うーん。でも、4万5千円は必要やな」
「それで足りるん?」
「うーん。いけるんちゃう? 水道代と電話代と光熱費と。最近はふつうに働いてる人でも、15万の人とかおるやろ。なんとかなるで」

とまあ、母はとっても呑気であった。
もしその通りなら、貯金に手をつけずに生活できるという、経済的には健全な状態が保てるということである。
わたしにいまできることは、節約生活をシミュレーションすることかな。
マンションの管理費、健康保険料、パソコン代、スマホ代、美容院、コンタクトは動かせないので、残るは1万円くらい。
いまでも、服をパカパカ買わなきゃ、1万円でいけるんじゃないかな。

そこで、その通り実行したとして、カチカチ電卓を叩いてみると、6年後、3級さえ落ちて無年金になったとしても、実家を売れば母親95歳くらいまでいけるじゃんという計算になった。
どうにか、母を生活保護に入れるということは、避けられそう・・・?
わたしは心配性なので、ついこんな計算をしてしまうが、母はいたって平静である。
「大丈夫やって!」と逆に勇気づけられてしまった。
まあ・・・、今後は節約生活とともに、健康管理といったところかな。

-

バイトを思いつく。

konbini

しつこいわたしは、また将来のお金のことを考えていたのである。
それで、ひとつの天啓がひらめいた。
「そうだ、元気になったんだから、バイトすればいいじゃん!」

わたしは、それにしても、この歳でバイト先があるんだろうか。
しかも、はっと気づいたのが、「わたしの履歴書、ひどい!!」である。
なにしろ、18年間職歴がない・・・。
主婦してました、なんて嘘つけるわけないし。
ほんとうのことを言ったら、精神病患者はハネられる。
元彼Sちゃんが言っていた――、「うちの会社じゃ、精神障害者は障害者枠でも取らないよ」。
そうなんだよ・・・、世間で言われている障害者枠っていうのは、ほとんど身体障害者のためにあるんだよね。
精神障害者の採用は、わずか1%なのだ。

これはもう、駄目だろうな・・・と思いつつ、母に話してみたところ、母はまず、「まだ無理よ! 16年間もひどい状態やったのに、そんな、ここ1ケ月調子がいいだけやろ? 最低1年は様子見なあかん!」と言うのであった。
確かに・・・、躁うつ病は、躁とうつの波があるから、長いスパンで見ないと、ほんとうによくなっているかわからないのだ。
でも、こっそり「若いうちの方がいいんちゃう?」と言ってみた。
「大丈夫、大丈夫! いまは人が足りてないんやから。いい仕事じゃなかったらあるって。裏方の仕事とか、それなりにあるで」
「そうかなあ・・・」

わたしは、半分納得して引き下がった。
とりあえず、いまは駄目だよね、そうだよね。
せっかくの体調を崩したら、元も子もない。

でも、元彼Sちゃんにも相談してみた。
Sちゃんは会社でそれなりの地位にいる人だけあって、会社関係のことは滅法詳しい。
「わたしにバイトできるかな?」
「・・・。あのねー、まずボランティアを半年くらいした方がいいと思うよ」
「ボランティアやったことあるけど、社員の人に偉そうに命令されて、アホらしくなったから、もうしない」
「ずっと定時に来て、ある時間拘束されるっていうこと、してないでしょ? 急には無理よ」
「ボランティアの先。どんな仕事ならあるかな?」
「うーん。コンビニ」
「えーー! あれ難易度高いでしょ!」
「できるよー。東京のコンビニとか、いま外国人ばかりよ」
「あれ難しいで! コーヒー入れたり、おでん入れたり、品入れしたり。やることいっぱいあるやん。覚えられへん!」
「人手不足って言ってもね、(確かに)コンビニだとバイト募集しても集まらないわけ。だから派遣会社に委託するの。いま、足らないところはみんな派遣よ。――精神はね、精神障害者を支援する会みたいなのがあるの。そこで聞いてみたら、なにか見つかると思うよ」

よくわからなかったが、つまりSちゃん的には、コンビニだろうと何だろうと人手不足な部分は、いまは派遣が入っているから、精神障害者は、精神障害者を支援する会にまず相談しろって話のようだった。
そうかー。そうだよね。
すっかり忘れていたけれど、精神障害者って、仕事ないんだった。
Sちゃんは、採用側の立場から「精神障害者は持久力がないのよねー。もっても3・4時間でしょ」とビシッと言ってきた。
その通りなんだけど・・・。

どのみち、いまは動くときじゃないから、1・2年経ってまだ体調がよければ、精神障害者を支援する会とやらを探して、顔を出すことにしよう。
やるべきは、健康管理だな。
って、なんか昨日と同じ結論が出ているな。

-

未来への恐怖

michi

悩みまくっているのである。
わたしは、すごい心配性で、いつも何かしらテーマを見つけて心配している。
損な性格だ。

今回は、「老後の心配」である。
一昨日、母が「介護って大変なのよー。そりゃね、風呂にだけ入れればいいってもんじゃない。一日も休みがないんやから。無理心中する人もいるくらいやからね」と言ったのだ。

わたしはそれを聞いて、ゾーッとした。
介護って、そんなに大変なのか。
子どもを育ててきた苦労のある人なら、ふんばれるかもしれないが、わたしには力も知恵もない・・・。

そこから、わたしの心配が始まったのである。
わたしは、「母親のためなら、一日中付き合ってもいい」と思ったが、金の問題をどうしようと思い始めたのである。

わたしも母も年金受給者だ。
母の年金は決まっているが、わたしは障害年金なので、いつまでどの額出るのかわからない。
とても不安だ。
わたし一人はどうなってもいいが、母が動けなくなったとき、わたしは世話をする責任があるのだ。

責任!
いままで一度も、そんなこと考えたことがなかった。
誰かに対して責任が出るなんて。
本人が話せる状態のときは、一緒に相談して決めたらいいが、もし話せない状態だったら、わたしが決めなければならないのだ。

そんな恐ろしいことって・・・。
誰かに助けてほしい。
でもそのとき、わたしの周りに誰がいるのだ?
元彼Sちゃんは長寿家系なので、いるかも・・・。
でも、わからないし。

わたしは、そこでループにはまった。
わからない、わからない、わからない・・・。
でも、わたしが悩んでいるのを、母が素早く察して言った。
「そーんな、先のこと、考えなくていいのよ。3年先のことを考えてたらいいの」
「そうそう、15年先なんてわからんで。日本もどうなってるかわからんし」と叔父。

そうなんだけど・・・、わかるんだけど・・・。
それでも安心できないのはなぜ?

それと同時に、「母は平均寿命からいえば、あと10年で死ぬかもしれないんだ」ということである。
いままで、不思議と母の年齢を考えたことがなかった。
もう、死が目の前にあるんだ。
わたしは、目の前が暗くなった。
いつかは一人になると知っていた。
でも、そのときが、もうそこまで来てるなんて!

それで、恐怖に怯えている。
未来が怖い。
こんなふうに、遠い未来を想像するのは、馬鹿げているとわかっている。
それでも、心配せずにはいられない。
ああ、もうこの性格、なんとかして!!

15年後のわたしなら、こんな問題、「なに言ってんの」と解決するのだろうか。
強くならなきゃ。
二人分の家事をこなせるようにならなきゃ。
頑張るしかないんだ。

-

将来への不安


michi

なんだか、自分がおかしいのである。
将来のことばかり考えている。
昨日と今日は、「いつ途切れるかもしれない障害年金のお世話になっているわたしは、いつから生活保護のお世話になるのか」がテーマだった。
じつは、体調がこのところ非常によいので、もしかしたらこの調子でいけば、次の審査で2級から3級に落ちるのではないかと思ったのである。
とすれば、マンションを近々売らなければならないのでは・・・。
わたしはどうにもこうにも考えがまとまらなくて、すっかり混乱していた。

両親がまた、わたしが混乱しているのを見つけて、「なにをそんなに心配してるんだ」と言ってきた。
「マンションをどうしたらいいのかわからん」
「そんなの、いま決めることないでしょ。いまは大丈夫なんだから。60歳になったらどうなってるかとか、そんな将来のこと考えてるなんて、おかしいわ」

しかしわたしは、頭がパニックになって、ほんとうに混乱に混乱を極めていた。
考えるな、考えるなって、わかるんだけど・・・。
でもわたし、将来どうなるかなんて、いままでちっとも考えていなかった。
怖い。お金がない世界って、怖い。
母は、「そーんな先のことを考えても、どうせ思ったとおりにはならないんだから。いまから2・3年先のことを考えていればいいのよ」と言った。
わかる。でも、怖いものは仕方ないよ。
いま、生活保護を受けるのって、すごく難しいっていうし・・・。
どうなるんだろう、わたしの老後。

夜、疲れている元彼Sちゃんを無理に呼び出して、事情を話した。
Sちゃんは、「俺なら、早いうちにマンションを賃貸に出すな」と言った。
「えーー。それって、借り手がつかない場合、どうなるの?」
「あの場所ならつくよ。あれっていま、駅前のコインロッカーになってるじゃない。借り手がつかないなんてこと、ないと思うよ」

でもわたしは、どうしてもお金の計算ができず、Sちゃんの難解な話にすっかりわけがわからなくなり、あたまがぼーっとしてしまった。
「いまのゆみは、何を聞いても聞けないからな。×○△□・・・」
わたしはもう、ほんとうに訳がわからなくなっていた。
わからない。わからない。
「あのね、考えてても、堂々巡りするだけだよ。いろいろ調べてみな。全部書き出して、ひとつひとつつぶしていくの」
「わかった」

その足で、母のところへ行き、Sちゃんが賃貸を勧めてきた、と話した。
すると母は、意外なことに「あら。そうねえ」と反応するのである。
「前から貸したらどうかなって思ってたのよ。前に言ったでしょ? でもあのとき、あんたものすごく怒ったから、もう言えなくなったのよ」
えっ。怒った? なんで??

じつは、10月初旬からのわたしは、目覚めたかのように別人になっていて、37歳からいままでの間、悪夢を見ていた感じなのである。
母から聞くと、わたしは過去にものすごく酷いことを、家族や周囲の人にしてきたらしく(記憶にない)、それはそれは障害年金2級そのもののキチガイだったということである。

わたしは、そんな人間だったなんて・・・!
でも、母が言うとおりの人間は、間違いなくキチガイだ。
もう、パニックになっていたあたまが、さらにパニックになった。

「賃貸の件は、不動産屋さんに聞いてみんと、わからんわ。今度、そのあたまが治ったら、行こう」
そして、「大丈夫、だいじょ~ぶって! なんとかなるから。もっと、どーんとかまえていたらいいのよ」と言った。
「でも、生活保護って、なかなか通れへんねんやろ?」
「ここにいたらいいじゃない」
「え? それやったら、ママさんの年金を奪ってしまう・・・」
「つつましい生活をすればいいでしょ」

そうか。
冷静になって考えてみたら、こんな小さなボロ家に住んでいる元障害者と要介護の老人2人を追い出して、別の場所に移動させるなんて手間がかかるだけだ。
わたしは、ずっとこの家にいていいんだ、と少し安心した。

もっと書きたいことがあるが、いっぱいすぎて書けない。
いろんな意味で、この2・3日は考えさせられた。

-

将来への絶望

saifu

まだ怖いのである。
将来のことを考えると、怖くてたまらない。
もう一日中、なにをやってんだかわからない。
どうもあたまが変になっているみたいだ。

何歳の時点で、実家からみる美しい空を見上げることができなくなるんだろうか。
お金がないから、一人家を離れるなんて悲しい・・・。
わたしは同じことを何度も考えていた。
こんないいお天気の日に、遠い未来に震えているなんて、ほんとうにバカばかしい。
その日まで、ずっと悩んでいるつもりか。

わたしは、まず財政を見直さなければ! と思った。
スマホを時期が来たらガラケーにしようとしたが、もうないと言われて、スマホのプランを変えて安くした。
美容院で髪を染めることも、コンタクトレンズを毎日つけるのも、やめることにした。
とにかく、もし障害年金3級に落ちたら、わたしの収入は48000万円になるのだ。
これで、母とやっていくしかないのだ。
しかも、母が亡くなったら、わたしは収入48000万円で貯金を切り崩すという、いつ終わるかわからない不安定な生活を余儀なくされるのだ。

わたしは、世の中って厳しいんだ、と今ごろになって思った。
普通の人が、裕福にみえる。
でも考えたら、いまの若い世代って、いつ切られるかわからない派遣で仕事して、貯金も貯まらず、結婚も子どもをつくることもできず、将来が見えないなかで必死で働いていて、ほんとうにつくづく大変すぎる、と思う。
わたしは、そんな厳しい環境に耐えていけない。
16年間も、ボーっとキチガイの世界にいたのだ。
もう、世間に通用できるような人間じゃないのだ。

かなりの絶望を感じて、わたしの心はガクガクワナワナしていた。
いまは幸せだけど、この幸せがいつまで続くんだろうか。
暗い老後が待っているような気がしてならない。
怖い・・・。

今日は両親と、大阪城を見にいったのだが、誰が何を言っているのか、よくわからなかった。
こんな精神状態、いつまで続くんだろうか。
どう考えたら、楽になれるんだろうか。
なんで身体障害認定は永久なのに、精神障害はそうじゃないのか。
働く世代に働けなかったという事実は同じなのに。
おかしい。

-

これからの人生

manshon

あまりにあたまが混乱して、なにも手につかないので、わたしは今日、H主治医に会いに行った。
そして、紙に書いた自分の異常さを、読んでもらった。

「混乱かな? 躁じゃない気がするな」
「とにかく、頭がぐるぐるして、なにも手につかないんです! それが困ってるんです
! ○×△□!!」
「○○○を出すから、一週間後にまた来てください」
「あのっ、精神障害2級の人が、3級に落ちて無年金になることは、あるんですか?」
「ないっ。それに僕は、○○さん(わたし)を一生診てあげますよ。その頃には永久認定になってますよ」

わたしは光をもらって帰った。
変な話だけど、わたしは永久に障害者で「いられる」のだ。
働く世代に、病に周囲ともども苦しみ、いまも症状に苦しんでいるわたしを、世間は障害者とみなしてくれるんだ。
怠けていたわけじゃないって、その証明に、障害年金をもらえるんだ。

その後、わたしは自分のマンションの賃貸価格と、年金額をセットにして、あれこれ将来の計算をした。
マンションは駅近で、「これで借り手がつかないはずがない」という好条件の物件なのだ。
これをほったらかしにしていたわたしは、ほんとにアホだ・・・。
じつは、大量の本がどうしても捨てられなくて、決断できなかったんだよね。
でも、老後のことを考えたら、そんなこと言ってられるか、バカ!

計算した結果、おお、これは・・・!
いける。多少のデフレが来ても、耐えられそうだ。
でも、貯金はせっせとした方がいい。

わたしは、ほんとに? こんなにうまくいくの?? と余計不安になった。
大丈夫なんだろうか、これから先。
たった一人で世渡りしていかなきゃならないんだぞ。
わたしは、おそるおそる決断した。
これからのわたしは、家賃収入と障害年金で食べていく。
いける。みんなもいけると言ってくれている。生きていくんだ。

でも、イメージすると、しょせんわたしは精神障害者なので、人から変に思われたり、なんだのしながら、ひょろひょろと生きていくんだと思う。
怪しまれたら、「精神障害者なんです」とはっきり言おう。
あとは、知り合い・友だちを大切にしなきゃ。
いままで、病気でそれらの関係を分断してきたから、これからは出会った人を大切にしよう。

できるかどうかわからないが、一応その方向で決めた。
一応でも、決めるとちょっと落ち着いた。
窓から、いつもの夕日が見える。
この空、死ぬまで見続けることになるのかな。

-

pig

今日も、将来の金策を考えていたのである。
ううむ・・・。やっぱり、お金が足りなさすぎる。
これは、寿命を待たずに干上がるぞ・・・。とわたしは思った。
これ以上、どうしようもない。
わたしは、考えに考えた。

まず、父が亡くなる前は問題なしとしよう。
それから、母との生活にどれくらいかかるかだ。
母は昨日、わたしに「え? 生活費は半分じゃないの?」と当たり前のように言った。
駄目だ。
この人は、当たり前だが、自分が生きているうちのことしか考えていない。
介護しているうちに、もしわたしが食べれなくなったら、どうすんだよ・・・。
家賃収入というのは、住人が出ていったあとは、何ヶ月か収入がない。
余裕がある人はいいが、わたしみたいに生活費に充てている場合、手元資金を費やすしかなくなるのだ。

思案にくれていると、電話が鳴った。
なんか天の采配ともいえる、デイケア仲間のKさんからだった。
わたしとKさんは仲良しで、彼は前歴もあるが、裏道には物凄く詳しい。
今日は、自分の強迫観念について話してきたが、わたしの悩みを言うと、次々とこういう手がある、と言ってきた。

「(書いていいのかなあ)・・・とか、こういう手があるで」
「へー・・・。(よくわからん)」
「そんなんやってる奴、いっぱいおるで」
「ほー」
「弁護士とか代議士に繋がり持っとくねん。そしたらあーでこーで」
「へ~~~~。Kさん、たくましいなあ~~」
「俺は、3日くらいメシくわんでも平気や。なんでも、その時になってから考える」

す・・・すごい。
知恵もあるし、なんてバイタリティーだ。
わけてほしい・・・。

わたしはその後、思い悩み、もうこれは両親の描く夢物語はあてにならない、いざというときはKさんを頼って、なんでも教えてもらおうと思った。
そのために、Kさんとの繋がりは絶やしてはいけない、と思った。

いざお金が足らなくなったら、水道もガスも電気も、究極に減らして、キャンプ生活すればいいんだ。
やれるところまで、やるしかないじゃん。
みんな、必死で生きているんだもんね。

-

開きなおり

hiraki

体重が、39kgまで落ちた。
まずい。今夜は、無理して食べよう。

今日もまた、自分の老後について、悶々と考えていた。
両親は、「大丈夫、大丈夫」というが、わたし的には、全然大丈夫じゃない。
障害年金と家賃収入だけで、生涯食っていけるのか。
もう、ほかに方法がないんだから、仕方ない。
それにしても、母は自分は家と年金を確保しているから一生安心なんだろうが、こっちは残り30年もあるんだぞ。
なんで、自分の娘に対して、そんなに鈍感なんだろうか・・・。
母に、わたしを養うだけの財力はない。
たとえ、障害年金が48000円にダウンしても、生活費を取るという。
「あなたは家賃収入があるから、いいでしょ。わたしもお小遣い欲しいわ」とのことである。

なんだか、「出ていけ」と言われた気がした。
身ぐるみはがされた気がする・・・。
わたしは、これらのことをぐるぐる考えながら、明るく笑う母を見て、絶望した。
そして、ふと思った。
「春から家賃収入をつくる。そして、母から生活費をいくら取られようが、取られておく。あとは知らんふりして節約生活を送る。そして、いざ金づまりになったら、何もかも捨てて市役所へ行って、”障害者なんですけど、生活に困っています”と泣きつく」

もうこれしかない。
わたしは、一応、こういうプランにした。
だってもう、なるようにしかならない。
もう働けないんだし、投資はできないし、お金の入りようがない。

そして、世間の冷たい風を思った。
お金のことは、誰も助けてくれないもんな・・・。
でも母は、なぜこんな重要なことを教えてくれなかったんだろう。
「何度も貸したら?って言ったじゃない」との話だが、そうじゃなくて「貸さないと、あなた将来困るわよ」と言ってほしかった。
わたしは、かなりひどい精神障害者だったから、将来のことを考えている場合じゃなかったのだ。

今さら遅いが、一人でコツコツやるしかない。
しんどい・・・。
なんだか、何も楽しめないな。
いまはもう、なるようにしかならないんだから、気分を切り替えなきゃって思うんだけど。

-

質素な生活

gakkuri

なんか、真理を見つけた。
「障害者は、余程裕福でない限り、最後は必ず生活保護」である。

だって、働いてもいないやつ、国が裕福な老後を与えてくれるわけないじゃん。
障害1級の、すごく重い人は別としてさ。
ちなみに、精神障害1級とは、精神病院の檻で放心している人レベルで、こんな人に大金? を支給してどうすんだと思う。
K電鉄なんか、精神1級のみ半額なんだよ。
あんな人たち、電車なんか乗れるわけないよ、アホか。

というわけで、自分もたぶんいつかは生活保護なんだろうと思う。
ただ、それをどこまで引き延ばせるかだと思う。
税金の無駄遣いにならないように、世間の迷惑にならないように。
節約を頑張るしかない。

ちなみに、人の迷惑といえば、わたしは妹夫婦に、さんざん恐ろしいことをしてきたらしい・・・。
母から聞いたが、なんでも「妹の前で暴れたり」「夜中じゅう、電話をかけたり」「旦那を脅したり」したらしい。
全然覚えていない・・・。
どうやらわたしは、近い人から順に、自分で知らないまま、大迷惑をかけてきたらしい。

そこでわたしは思った。
わたしは、生きているだけで、人に迷惑をかける人間なんだ。
もう、健常者の側に近づかないようにしよう。
親密になるのはやめよう。
障害者の友だちと仲良くなろう。

そこへ、障害者の友だちIちゃんが、偶然メールを送ってきた。
彼女は生活保護で生きているので、早速、「生活保護の生活って、どんなの?」と訊いてみた。

「質素に暮らしていれば、全然余裕だよー。みんなタンス預金してるよ。電化製品を買えたりもするよ」と長文で親切に送ってくれた。
そうなのかー。
ちょっと安心した。
そこにいきつくまで、わたしは節約を頑張ればいいのね。

それで思った。
もし、父が亡くなったら、我が家の収入はとてつもなく激減する。
このとき、パソコンを手放そう。
考えたら、ネット二つも要らないじゃん。パソコンとスマホ。
そんで、お茶の間でスマホでネットを見ていよう。
そうすれば、電気代の節約になる。
身の丈に合った生活をしなきゃ。
わたしは障害者で、人とは違うんだ。

それでも、不安がおさまらない。
母はまた「大丈夫よ~」を繰り返す。
まあ・・・そりゃ数年は大丈夫だと思うけど。
ほんとに、いろいろ生活を見直そうと思う。

-

母との生活を想像する

house

なんか、お金の計算ばかりしている。
マンションをどうするか。
これは、わたしだけの問題だけでなく、母との問題でもあるのだ。

お金をより稼ごうと思うなら、賃貸に出すのが有利だ。
しかし、母もあと5年もすれば、自転車に乗れなくなる。
スーパーからも病院からも遠いボロイ実家にいるのは、まずい気がする。
どうしたもんか・・・。

母は呑気で、いままで何も考えていなかったみたいだ。
「う~~ん」と考えているので、わたしはついに「わたしが一人暮らししてたときの算出では、最低月7万、多く見積もって8万でいけるって数字だったよ」
そう言って、諸経費を挙げてみせた。
わたしはすごい節約家で、4年間で1000万円貯めたこともあるのだ。

「光熱費はこれだけ。日用品はこれだけ。管理費と水道代はこれだけ。電気代は上がるかもやけど、ガス代なんか一緒でしょ」
すると、母も自分の諸経費を計算し始めた。
「電話代が・・・」
「えーー! 電話代?! 携帯があるやんか!!」
「だって、田舎の人と長電話になることもあるじゃない・・・」
「・・・日用品が・・・、1万円」
「えーー!! 何買うの?! 服買うの?! 洗剤なんか何百円やんか! 何買うの?! 2・3千円やろ??」
「・・・じゃあ、2・3千円」

まえから思っていたが、この母は、わりと金使いが荒いのだ。
服なんかは質素倹約しているが、家事はわたしからみれば、水をじゃぶじゃぶじゃぶ使って、電気をあちこち点けっぱなしにして、自分が生活費を払っているとしたら、絶対ストレスがかかるな。

「二人で××万円なら、なんとかいけるかしら?」
「いけるよ。おこづかいも出るし、貯金もあるし」
「ふーん。そうじゃなあ・・・(大分弁)」

母は、いまさらになって、わたしが置かれている環境に気づいたようだった。
障害年金は、いつまでも2級であるとは限らない、むしろ元気になったら3級に落ちることが多いということ。
そのため、3級の最低額になったときのことを念頭に、スケジュールを立てなければならない。

いろいろ話し合った結果、いまのボロ家はあと10年もしたらかなりひどいことになるだろう、そして母によると、自分は10年もしたらヨボヨボだとのこと、これらを考えると、マンションを賃貸に出すと確かに経済的には潤うのだが、そこには問題も多いことに気づいた。

そうだよな。
マンションは駅近で賑やかだし、老人向きだ・・・。
いま、ここで焦って賃貸に出さない方がいいのかもしれない。

一応、不動産屋で賃貸の話を聞いてみるが、どうもマンションに2人で住むのがいいような気がしてきた。
そこでちんまり、2人で節約して。
貧乏生活は大好きなので、そういうのもいいかもしれないな。
まー、いつもわたしは先を急ぎすぎるので、どうなるかわからないけれど。

-

恐怖体験



また、訳がわからなくなった。
母親が、「自分は、実家に住んでいたい」と言い出したのだ。

「愛着があるから」と言う。
え・・・、何歳まで・・・、死ぬまで・・・、わたしはそのときまでずっと母といて、マンションに戻るのは70歳くらいのとき・・・?
それまで、維持費を払うの・・・?

なんだか、ゾーッとした。
もうわたしは、経済的に、自分の意思で自由に住むところも決められないのだ。

そればかりか、母親は恐ろしいことを言った。
「介護って、ものすごく大変なんやでー! そらもう、汚いし訳のわからんこと言うし。あんたには勤まらんで」

再び、ゾーッ!
なんで、そんな恐ろしいことをわたしに言うんだよ。
「あんたの未来には、こんな地獄が待ってますよ」と宣言されたのと一緒じゃないか。

もう、未来が恐ろしくて止まらない。
こんなわたしを見て、母は「病気だ」と言う。
彼女の言うことは、わたしより正しいので、たぶんそうなんだろう。
これって、病気? わからない。
わたしの病気は、症状を自分で自覚できないのだ。

わたしは、足がすくんでしまって、動けなくなった。
どうしていいかわからない。
と・・・とにかく、お金を使っちゃ駄目だ。
いや、そんなに神経質になるのはおかしい。

今日、マンションの整理をしていたら、働いていた頃の銀行やなんだかの書類が出てきた。
しっかりした字で、難しい書類をこなしている。
これ、自分がやっていたのか・・・、すごい。
いまのわたしは、こんなことできない。
病気がこんなふうに、わたしを変えたのか。
病気って、なんてひどいんだ。

過去の楽しかった日々が思い出される。
同級生たちは、たぶんあの延長線にいて、立派になっているんだろうな。
わたしは、一生日陰者か・・・まあ、いいけど。
それにしても、自分の人生が、母に左右されるなんて、しんどい。

-

老後の資金調達

flower3

またお金の計算をした。
結局、わたしがしているのは、自分の老後の資金の調達なのだ。
健常者はみんなしていると思うが、障害者だって負けていられない。
なんとか、生活保護のお世話にならないよう、頑張るしかない。

それで、父亡きあと、母との生活でどのくらい必要なのかを、母と相談して算出した。
結局、マンションの管理費・固定資産税・水道代をわたしが払い、あとはぜーんぶ母に丸投げという形で、なんとかなるという話になった。
ということは、障害2級年金が支給されている、この2年間でガッツリ貯めなければならない。
この資金が、わたしの老後資金になるのだ。
2年後、もし3級に落ちたら、その時点で、わたしは一切貯蓄できなくなる。

貸すにしろ貸さないにしろ、この際マンションの片づけをしようと、母とタンスを漁っていたら、ナント現金1万4千円と、30万円が残った通帳が出てきた。
昔のわたし、ありがとう!
そして、厚生年金基金の証書と、国民年金の証書。
65歳から、わたしはちょっと楽になる。
それまで、食いつなげばなんとかなる。

一生懸命、足りないあたまで計算して、何度も何度も「いけるよな?」と確認していたら、少し落ち着いてきた。
その代わり、やはり父の亡きあとは、パソコンはどうしても手放さなければならない・・・。
ネットを2つ持っているほどの余裕がないのだ。
この2年間はガッツリ貯めるつもりなので、お小遣いも月5000円くらいにしようと思っている。
服はいっぱいあるから、たぶんこの2年くらい買わなくても大丈夫なんだよね。
あとは、そこらへんをウロウロするくらいだし、ほんと使うお金がないよ。

母は、わたしと実家に住むつもりのようだし、わたしはボロ家で生涯住めるわけないので、つまりマンションは維持である。
災害があったときに、逃げられるし。
だいたい、そんなところだよね、というふうに見当がついた。
はあ。
ぐるぐる回って考えたけれど、これは考えなければならない問題だったと思う。
老後のことをなにも考えずに、あのままダラダラ過ごしていたら、自分が世間のどの位置にいて、どう生きていかなければならないのかわからないままだったと思う。
あー怖かった。
無知って、ほんとに危ないよ。
2週間くらい、ぐるぐる考えて、ようやく落ち着いてきたから、ちょっとの間、もう少し一息入れよう。
元彼Sちゃんは、病気が悪くなっているわたしから、一旦遠ざかって、様子を見ているようである。
あの人のことだから、わたしが錯乱中はほっとこうってところだろうな。
相変わらず賢い人だ。

-

パソコンをどうするか

pc5

不穏で通院して1週間、わたしは今日もまた、診察に行った。
相変わらず、あたまの中がぐるぐるして、思うようにやりたいことができない。

「母は実家で死にたいらしいですけど、実家はボロで、わたしが生涯住めるものじゃないらしいです。だからわたしは、いつかはマンションに帰らないといけないんですが、その間ずっと管理費と固定資産税を払わないと・・・」
「・・・(カルテにカリカリ)」
「だから、父が死んで等級が3級に落ちたら、パソコンを手放そうと思ってるんですよ」
「パソコンとスマホは、ちょっと違うと思うけどなあ」
「3級に落ちたら、マンションの管理費と固定資産税と、あと自分の諸々と小遣いちょっとで、いっぱいなんです。食費とか生活費のすべてを母の年金に頼ることになるんです」
「お酒は?」
「ダメダメダメ! 飲みません!!」
「へーすごいな。尊敬するわ」
「わたしね、この2年間で節約して、○○○万円貯めます!」
「僕が、その○○○万円を3倍にしてあげますよ」
「投資ですか?」
「貯めなさい、貯めなさい」

以上のような会話(診察)をしてきたのだが、帰り道、歩きながらフト「○○○万円を3倍にするって、どういうことだ?」と思い出した。
「まさか、投資じゃないし。断言したよな。これはもしかして、2級を通してあげますよ、という意味では」と都合のいいことを考え始めた。
でも確かに、母の話では、わたしは「いまのままなら、2級間違いないわ」レベルだそうである。
「でも、2年後の審査のときは、どうなってるかわからんしな。期待せんとき」と母は言った。

ふうむ。
パソコンを手放すという話は、どうやら焦らない方がよさそうだな。
わたしは、母と散歩しながら思った。
この綺麗な風景を楽しめないなんて、ほんとうに勿体ないな。
母の目からは、わたしは病気に映っているようだ。
そうだよな、ふつうの人は、考えすぎて体重が39kgになったりしないよな・・・。

躁うつ病になってからの16年間、わたしは数々の蛮行を繰り返してきた。
イバラの道だったといってもいい・・・。
このブログの過去ログなんか、読みたくもない感じだ。
ほんとうに愚かだし、いまもこれからも愚かな人間だ。
いまわたしにできることは、チマチマ節約して老後の資金を貯め、世間の迷惑にならないよう、人との付き合いは気をつけることだと思う。

-

将来を計算

dentaku2

まだ、お金の計算をしている。
もう何日間やっているんだ・・・、完全に病気だよ。
父母も猫もTVも空も、いつもと変りなく動いているのに、わたしだけがぐるぐる落とし穴で回っている。
これ、いつ治るの?
また新たな不安が出るまで??

今日は、発想を変えて、もし障害2級に通り続けたら? を考えてみた。
そうすると、今度はわたしが母に、生活費をいくらか払わなければならなくなる。
すると、大して貯金はできないのだ。
つまり、2年後の審査のときに持っている貯金を、そのまま持ち続けるという点に、あまり変わりはない。

ううむ・・・、しかし、母の年金に100%頼って貧乏するというのは、母に悪いよな・・・。

それから、暗いことも考えた。
母は、わたしに「介護はたいっへんやんでー! 汚いしうるさいし。あんたにはとてもできへんわ!」と脅しておきながら、一方で高齢者介護つきマンションを見て、「いいな~。あんなところに住みたいわ」と言う。
つまり、わたしを養わなければいけないから、自分は高齢者介護つきマンションに行けないってことか?
どうしたらいいんだろう・・・と、わたしはぐるぐる考え続けていた。

そして、ふと気がついた。
そうだ、3級に落ちても、65歳から出る厚生年金基金と国民年金を足せば、生活保護レベルの生活はできるじゃないか?
ということは、65歳までしのげば、あとはわたしは独立できるから、母が好きなようにすることができるはず。
または、どこかの時点で2級の永久認定が出たとき、その時点で、母はわたしから自由になる。

わたしは母に、「どこかで永久認定が出たらいいね。そしたら、ママさんはここから出て、自由になれるよ」と言った。
ところが母は、皮肉をこめた目で、「あんたはそうやって、わたしを利用して、追い出そうとしてんのか」と言うのだった。
わたしは、背筋がゾーッとした。
この人、わたしをまったく信頼していないんだ!

いままで家で大暴れし、人に迷惑をかけ続けてきたから、母にさえ、信頼されなくなっているのだ。
わたしは自分の持っている問題の大きさに、再びゾーッとした。
必死で、「違うよ! わたしはママさんが、介護つきマンションをうらやましそうに見てるから、ああいうのに入りたいのかなと思って。永久が出たら、ママさん、好きなところに行けるやん。ここでもどっかでも」と釈明した。

すると母は、「ああ。そういうことか」と言ったが、たぶんわたしを信頼していないのに間違いない・・・。
16年間かけてこうなったんだから、あと16年間かかるんだろうか。
もう、死んじゃってるじゃないか・・・。
わたしは、取り返しのつかないことをしたのかもしれない。

なんて、ひどい病気にかかったんだろう。
態度や体調がコロコロ変わって、誰からも相手にされなくなる病気。
真面目に働いていた頃の自分の延長線上には、まったく別のわたしが存在しただろうと思う。
これが運命ってやつなのかな。
不幸と言ってもいいかもしれない。

-

未来の高齢者マンション

mirai

また、将来についていろいろ考えた。
元彼Sちゃんに、母が介護つき高齢者マンションに入りたいようなことを言っている、と話すと、彼は即座に「あれはね~」と苦言を呈した。

「あれは、ボタン一つ押して、”喉が渇いた”、って言ったら人が来るって話でしょ。やっぱりね、人が”喉乾いてない?”って言って飲ませてあげる方がいいよ」

確かに・・・。
どこかの他人が、呼んだら来るだけの世界。
これは、かなり侘しいかもしれない。
将来的に、人が来るんじゃなくて、ロボットが来るようになるんじゃないの?

この発想に、わたしは自分でもギョッとした。
あり得るかもしれない。
管に繋がれて、召使ロボットが来る時代。
周りに、誰一人、人がいない・・・。

わーー! とあたまを振りたくなった。
いかん、いかんよ、介護つき高齢者マンション、やばい!!
いまでも、サービス内容とか、経営破たんの懸念があるんじゃないの?
あれはきっと・・・、将来的には、誰も面倒を見てくれない寂しいお年寄りが入るところになるのでは。
家族に恵まれて、経済的にも豊かな人ではなく。

それを思うと、母には、「介護つき高齢者マンションに、夢を持つのはやめようよ」と言いたくなった。
しかし、母は母で、わたしが病気がひどいとき、家で大暴れしたから、むしろそんな所の方が安全だという考えがあるのかもしれない。
はあ・・・。
なんだか、身が縮こまる思いだなあ。
母は、「介護なんて、あんたには絶対無理!」と言っていたし、わたしには判断力がないから、彼女の指示に従うしかない。
つくづく、なにもできない精神障害者だなあ。

-

母の老後

kaigo

何度計算しても、現在の貯金と年金とで、節約すれば、将来お金には困らないだろうと思うのだが、どうしてもピピピと計算してしまう。
病気だ・・・。
TVを見ていても上の空、お箸の置き方を間違える、大根おろしを入れる鉢がトンチンカン、Tシャツをなぜか2枚着ている、・・・。

フトわたしは気がついた。
わたしだけの問題じゃないから、あたまが混乱するのだ。
母が、老後をどうしたいかハッキリしないから、わたしまで迷ってしまうのだ。
そこで、母に問題をぶつけてしまった。
ここで怒ったら、いつものわたしなので、なるべくオズオズとである。

「ママさん、介護はすっごい地獄で、無理心中する人もいる、あんたには絶対無理って言うたよね。あの時点から、わたしは考えがグルグルしてるねん。あんたの未来は地獄やで、って言われたも同然で、ゾーッとするねん。目の前のこの人が、いつかモンスターになるのかと思うと」
「そんなふうに受け取るんやったら、なんも言えんなあ・・・。あれはな、わたしの介護はあんたには無理やから、一人で抱え込まんと、わたしは自分でなんとかするから、って言う意味。そこらへんに、待遇は悪いけど、入れてくれる施設があるねん。そういうところにわたしは行くから」
「じゃあ、わたしは自分のことをやれっていうこと?」
「そう、自分のやりたいようにしなさい」

そうだったのか。
でも、なんだかわたしは、それでいいのかっていう気がした。
母親には、さんざん迷惑をかけてきたのに。
わたしは、老後の面倒をみることもできないのか。
でも、わたしより彼女の判断が正しいに決まっている。
わたしは、脳みそが障害者だから、間違った判断をすることが多々あるのだ。
彼女の言うとおりにした方がいいんだろうな・・・。
そんなことを考えながら、夕方の空を見た。

そんでまた、計算地獄である・・・。
彼女が、自分でやりたいようにしなさいということは、彼女はもうわたしを助けてはくれないということだ。
彼女は彼女で、老後の計画がある。
わたしは、次の障害2級の審査が通ると、後々かなり楽になる。
なんとかなればいいが・・・。

しかし過去と現在を振り返ると、あれ? わたしって2級そのものの患者じゃないか。
16年間も2級でいて、しかもあのキチガイをそのまま表現しましたという診断書。
あれ、母親は「そのまんまどころか、もっともっとひどい」って言っていた。
16年間もキチガイをやっている人間が、突然、軽作業ができるレベルの3級に落ちるもんだろうか??
・・・・・・・・・。

もしかしたら、ありのままの自分をH主治医に出していたら、勝手に2級が通るのかもしれない。
わたしは、おそらく自分のキチガイぶりに、気づいていないのだ。
過去には、人に迷惑をかけた残骸、しかも本人はまったく覚えていないという無惨な有様。
ひどいことをしてきたんだろうな・・・、きっと。
やっぱりかえすがえすも、節約しながら、人に迷惑をかけないように一人で生きていかなきゃ。

-

認知症様の父

koureisha

なんか、次から次へと恐ろしい問題が出てくるのである。

今日は、前から様子のおかしかった父が、駅前まで車で行って、財布を忘れたと電話してきて、それきり行方不明になったのだ。
母が、慌てて外に探しに行った。
わたしは連絡係として、留守番していた。

家に帰ってこれないって、認知症の典型例じゃないか・・・。
わたしは、いやーな予感がした。
家に帰ってこれないの次は、トイレの場所がわからない、になるんだよな。
そのへんまで行くと、結構地獄なんだよな・・・。

そうこうするうちに、2時間もしてから、父が家に帰ってきた。
状況がまるでわかっていない。
「お母さんは?」
「迎えに来いって言ったから、駐車場に行ってんやん。どこ行ってたん?」
「ずっと駐車場におったで。でもいつまで経っても来えへんから、スーパーの前で待ってたんや。それから、店のなかをウロウロして」
「あのな、場所変えたら、わかれへんようになるやろ。なんで一ヶ所でじっとしてなかったん?」
「俺、待ってたんや。駐車場で。ずっと待ってたんやで」

これはやばい。
わたしは急いで、母に電話した。
母は、ちょうど警察で話をしているところだった。

母が帰ってきてから、二人はちょっと言い合いになっていたが、それきりで終わった。
わたしは母に、「あれ認知症やで。病院に連れていった方がいいで」と言った。

しかし母は、断固とした口調で、「あんたは語調が強いから、黙ってなさい。認知症の検査に行くなんて言うても、行くわけないでしょ」とはねのけた。
でもわたしは、これからのことを考えると、いつの日か、黙っていられなくなるだろうと予感した。
とにかく、わたしは母も妹夫婦も恐れるほど凶暴な存在だから、訳わからんことを言っているジジイなんか、たぶん虐待するぞ・・・。
言っちゃーなんだが、父の命が、ガンであと数年に限られていることは、ラッキーだと思った。
しかし、母にはそれとなく、病院へ行くにも持っていき方がある、と伝えた。

「2年前に脳梗塞やってるねんから、その後の検査に来いって、先生が言ってたでしょ、忘れたの? とか言ってみるとか」
「・・・・・・。まあ、いまは休ませて。疲れたわ」

そりゃそうだよ、母一人で父を探し回って。
わたしが行くって言ったけど、あんたは駄目、ってこれまた強く言われたんだよな。
わたし一人なら・・・、もうほったらかしにしているな。
まさか、車にはねられて死ぬことはないでしょ。

そういうわけで、新たな考え事ができてしまったのである。
こんな父なのに、なんと車の運転をしている。
やめてくれと言っても、絶対聞かないのだ。
こういう困っている家庭、いまはいっぱいあると思うぞ。
そのうち重大な事故を起こして、刑務所で一生を終えることになるんじゃないかって、ちょっと暗くなっている。

-

将来の自分を想像する。

futon2

最近は、母とともに行動している。
自分が自立するために、生活することを覚えなければ! という気持ちからだが、昨日やその前のこともあって、父は家庭のなかで、孤独を極めつつある。
でも、自分はそんなことに気づいていない。
家族を心配させておいて、相変わらず、自分が母とわたしを守っているのだという自信にあふれている。

母は、病院に連れていくことなど微塵にも考えていなくて、そのへんはもう、わたしの口の出すところではない。
わたしはこっそり、家族に迷惑がかからないうちに、ポカッと死なないかなと思った。
そして次の瞬間、「いや、あの人が長生きすればするほど、母とわたしの生活は潤うはずなんだ」と思いとどめる。
そのまた次の瞬間、「おいおい、なんて恐ろしいことを考えてるんだ、やっぱりキチガイだな」と思う。

そんな葛藤もあって、いまだに体重が40kgから増えない。
予感くらいで、こんなにも痩せてしまうのなら、本格的に認知症などが始まったら、とてももたないだろう。
もしかしたらわたし、父の認知症? がひどくなったら、実家を捨てて、自分のマンションに逃げるんじゃないか。
いや、そうしそうな感じがする。
それか実家にいて、精神状態を悪くして、自分自身も暴れ出すとか・・・。

どっちにしても、母親は地獄だ。
やっぱり、「父親、ポカッと死んでくれ」になる。
わたしは精神障害者だから、ほんとうに将来、自分が何をしでかすかわからない。
しかも、やっているときに自覚がない、記憶にも残らない。
いままでにも、人が聞けばゾッとするようなことをしたらしいが、ほとんど覚えていない。

精神障害2級の人たちは、やっぱり見ればそれなりの感じはある。
ふだん大らかな人なのに、いきなりハイテンションになって入院とか、しばらく見ないなと思ったら、幻覚幻聴妄想で暴れていた、とか。
わたしは、H主治医から2級の永久認定を受けるとしたら、そういうことなのだ。
つまり、いままで家族や周囲、自分が見てきた地獄を、これからも見続けるということなのだ。

わたしは、自分の未来のことをまた考えた。
10年、15年後の自分はどうなっているんだろう。
過去15年前のわたしは、まだPTの学校にいて、まだまだ希望に燃えていた。
とてもじゃないが、いまからなんて、想像もつかない・・・。

ただ、と思った。
罪を犯して、刑務所に入るようなことは避けよう。
そのぐらいわかるよな? 自分。
それか・・・、もしかしたら、外国で住んでいるなんてことがあるかもよ?
その頃には、日本には外国人が増えていそうじゃん。

結局、自分をなぐさめようとしたが、あまり上手くいかず、とりあえず皿洗いをした。
皿洗いは身体が覚えているので、なんとかできる。
やれるだけのことをするしかない。
いま自分にやれるのは、一生懸命生きることと、節約だけだ、と思う。

-

父への憎悪

kaibutsu

もう、自分が怖い!

昨夜、母とわたしがつくった肉じゃががあるのに、父は「残りもののおでんが食べたい」と言った。
わたしは、なにバカげたことを言ってんだ! と思わず後ろを振り向いて、憎悪の目を向けた。
そして、「先に言えばいいのに! そしたらみんなでおでんで、作らんでもよかったのに!」と口走った。
母が「なんてことを言うの! 食べさせてあげたらいいじゃない」とわたしを咎めた。
こういうときの母の声色は独特で、わたしが間違ったことを言っているときのものだ・・・。
わたしは、なんとなく腑に落ちないまま、とりあえずおとなしく従うことにした。

そこまでは、まだよかった。

今日の昼、父がモタモタと墓の話をしていた。
うちの墓は遠く不便なところにあり、母が亡きあとは、わたしは管理ができずにそのままになるだろう、と予想されている。
その母だって、お墓参りに行けるかどうか・・・。
父母はそのへんの話をしていたのだが、わたしはスマホでニュースを見ながら、「母が言うとおり、田舎の寺に預けてもらえばいいのに」と思っていた。

すると父が、「娘は嫁に行ってしまうから、あとは継げんしのう。男の子やったら、継げるんやが」と口にした。
その瞬間、わたしは炸裂して、大声で口汚く父親を罵った。
「ほなら、男をつくったらよかったんやろーが!! 死んだあとの心配できるなんて、幸せやのぅぅ!!」

わたしのドス声は、周りを震撼とさせるのだ。
母が、「なに急に言ってんの」と慌てていた。
やっちまったかも、とわたしは思った。
こうやって、たぶんわたしは、次第に怒りをつのらせ、物にあたり、暴力をふるうようになるんだと思う。

やばい・・・。
暴れ出したら、わたしはキツイ副作用の出る薬を飲まなければならなくなる。
しかし、この父への怒りはおさまるどころか、たぶんこれから強くなっていくぞ。
ボケて、変なことを言って、人の言うことを聞かず、危険運転を止めない父。
お金のことさえなければ、「死ね!」と思った。

ああ恐ろしい。
自分で、自分の病気が怖い・・・。
言葉の暴力なんて、たぶんふつうにやるな。
だって、母親に咎められなければ、いまだってそんなに悪いことを言っているとは思っていないんだから。
あれは危険を感じた人が、「わ!」というのと同じで、反射的に出るから止められないのだ。

もうゾワゾワして、落ち着かない。

該当の記事は見つかりませんでした。