LIFE,LOVE&PAIN(旧)

LIFE,LOVE&PAIN(旧)

タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。(新URL:○ttp://lifelovepain02.blog.fc2.com/)
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うつに似た症状

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3日連続で、朝の具合が悪い。
どうしよう・・・。ほんとうに、うつが来たんだろうか。
いまのわたしの目標は、一人になってもコンスタントに家事ができる、なのだが、これがもし激うつになったら、そんなことはまずできなくなる。
早いうちに、H主治医に診てもらった方がいいのかな・・・。

体調が悪いせいなのか、わたしは両親の言動が気に障るようになった。
もともと聞いていて「うんざりするなあ・・・」と思っていたのだが、昨日・今日はとくにしんどい。
老夫婦だから仕方ないのだが、ニュースを見ていても、「こいつ、ええやっちゃなー」「悪いやっちゃなー」くらいの感想しか言わない。
父に至っては、「世の中、悪いことをするやつばっかりやから、小学生に、牢屋に入っている奴を見学させたらいい」など、非常識なことを本気で言う。
聞くに耐えない・・・・・・。
こんな会話が飛びかう食卓で、食事をすることが苦痛だ。

母とは最近、家事手伝いをするようになったことで、一緒にいる時間が長くなり、そのぶんわたしのストレスが溜まっている。
H主治医には言ってあるが、わたしは小さい頃から、母が好きではない。
双子の妹もそう言っている。
なにが原因なのか限定はできないが、ぼんやりと「恐怖政治されたんだよなー」という気持ちがある。
機嫌のいいときは、自分の言うことを聞く子どもに満足してニコニコしているが、悪いときはストレス解消とばかり理不尽な罰を与える。
わたしも妹も、いつ罰を与えられるかと、ビクビク母親の顔色を伺っていた。
もしかしたらそのことが理由で、いまのわたしが母親の望むとおりに家事手伝いをしていると、彼女が満足してほくそ笑んでいるので(そう見える)、「この人が笑っているのを見ると、寒気がするんだよなー」と思ってしまうのかもしれない。

どっちにしろ、まえにお世話になっていた臨床心理士だかH主治医だかに、「あなたは、高級デパートでしか売っていないものを、スーパーで買おうとしている」と言われたことがあるので、たぶんわたしは、ないものねだりをしているのだろう。
でも、それにしても、両親が高級デパートだったらよかったのになあ、と思ってしまう。
よそと比べても仕方ないけれど、例えば元彼Sちゃんみたいに、正しい愛情表現と見識と知識を備えた人のもとに生まれた子どもは、それなりにまっすぐ育っていると思う。

と、しんどいので、どうしても考えが負の方へ行ってしまうのだが、そもそも問題なのは、わたしが独立していないことなのだ。
ふつうは、家庭や仕事を持って、親のことをグズグズ考えている暇なんかないはずだ。
わたしが、経済的・物理的独立ができれば、親と一緒に住まなくてすむんだけれど、その前提には、障害年金が3級に落ちても生活できるくらいの貯金ができることと、家事や社会的手続きなどが一人前にできること、が出てくる。
そのためには、激うつでも、最低限の食事くらいは用意できるようにならないと・・・。

明朝、頑張って起き上がれるだろうか、と考えただけでしんどくなる。
一人なら絶対、朝食を遅らせて寝ているな・・・。
ごはんと味噌汁じゃなくて、食パンを食べているな・・・。
母親が要介護になったら・・・なんて、いまはもう、なにも考えたくないな。

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財産をめぐる恐怖

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4日目の朝も、起きられない症状なのである。
今日はついに、朝食に間に合わなった。
元彼Sちゃんと焼肉に行ったのが、こんなにダメージだったのか。
それとも、疲労が引き金となって、うつ期に突入したのかな・・・。

昨日は、また母親が不用意なことを言って、わたしを不安に陥れた。
「いまの土地、辺鄙なところにあるけど、売れるのかな?」とわたしが口にしたところ、彼女は「売れへんかもしれんな~」とニコニコしながら言うのだ。
えっ、あてにしているのに。
これが売れなかったら、わたしの老後資金は出ないよ。
だいたいあなた、「この土地は、あんたにあげるよう、妹に言うとくから」って言ったじゃないですか。
あばら家になって、市から「壊してください」って言われても、解体費が出ないよ。
固定資産税だって、要らないのに払い続けるの??

でも、こういうことを立て続けに言うと、彼女は決まって、「あんたにはなにも話せないわ」と怒り出すので、わたしは我慢した。
この人は、ほんとうに言うことがコロコロ変わるので、油断できない。
わたしは、気を取り直した。
「相続放棄だけは、絶対してはいけない。この人には預貯金があるから。この家は市がなんと言おうと、そのままにしておくほかない。でも、ねずみが出たら困るから、風通しくらいはしないと・・・」

わたしは、延々と考え続けた。
そして、「親の財産は、あてにしてはいけない。まったくの自力で財産をつくるしかない。そのためには、障害年金2級を通り続けるという確信を持っていないと、精神がもたない」と思った。

正直、自分の病気が悪いままでいるのを願うなんて、へんな話だと思う。
ただわたしの場合、もう完全な健康って望めないんだよな・・・。
生活保護を受給していない精神障害者の多くは、障害年金の等級を気にしている。
みんな、生活がかかっているのだ。
等級が落ちるのを心配するあまり、病状を悪化させる患者がいるとH主治医は言う。
それって、わたしのことではないか・・・。

とにかく、いまわたしは「3級に落ちるなんて、考えられない」と強く思っている。
そうじゃないと、ほんとうに精神がやられる。
いまのわたしは、将来があまりに不透明で、なにも手につかず、ブルブル震えている状態である。
こんなのを、母親あたりは見て、「へんな子ねえ。なんでそんなに、怖がることがあるの」と言うんだろうな。
たぶんそっちの方が正しくて、わたしの方が狂気の世界にいるんだと思うけれど、どうしてもそこから抜け出せない。

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母の認知症疑惑

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昨日は、「母が認知症になったら、どうしよう」という、「どうしよう病」が出ていた。
きっかけは、母が買い物で2回のミスをしたことである。

「あら、手羽先を買ったつもりで、手羽元を買ってしもたわ、あははー」と彼女は笑う。
でもわたしは、えっと思った。
確かスーパーでは、別の品物で、同じミスをもう一回しているのである。
母はいままで、あたまがしっかりしていて、こんなミスを侵す人じゃなかった。
なんで急に・・・?
わたしの疑惑は一気に高まったのである。

「ただのボケだったらいいけど、認知症だったら、わたしの手に負えないよ・・・」
わたしは、すごく危機感を覚えた。
「お金だってないし、家事だって二人分なんて到底無理だし。母に”あなた誰ですか”なんて言われたら、あたまがおかしくなって(もうおかしいけど)、家を飛び出していきそう」

来る日も来る日も、ガスを点検して、徘徊しないよう見張る、なんて、もしそんな世界が来たら、わたしは間違いなく逃げる。
でも最低限、母のもとには介護士が来るようにしておかないと・・・。
そして、わたしは経済的にやっていけるのか?

いろいろな考えがあたまに浮かび、わたしはぼーっとなった。
考えたら、いままでの将来設計は、すべて大黒柱の母が元気であるという前提だった。
少なくとも、いま認知症になられたら、かなり困る。
また、考えたくもない未来が襲ってくる・・・。

これが、「どうしよう病」の一つの症状なんだということは、なんとなくわかる。
だって、日替わりで別のテーマで、「どうしよう」って、困っているんだから。
それでも、どうしようもない、止まらない。
また恐怖が襲ってくる・・・。

早く、この「どうしよう病」から解放されたい。
でももしかしたら、かなり長期戦になるのかな・・・。
とにかく、すべてがお金との絡みだから、そのことを考えないようにしないと。

昨日は朝、元彼Sちゃんから、雪景色の写真が送られていることも気づかず、一日中悩みぬいていた。
こんな調子では、ほんとうになんのために生きているのか、わからない。
「なんとかなる」って思えるようになりたい。

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緩和ケアに移る?

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今朝もだるい。
でも、だるい方が「どうしよう、オロオロ病」が出ないので、楽かもしれない。

さて、朝食を摂っていたとき、大腸ガンの父が、「もう抗ガン剤をやめる」と言い出した。
前から言っていたのだが、ガンの進行は止まっているし、あまりにも早すぎるということで、医師も家族も制止していた。

「わからんと思うけど、副作用がきついんや。もう、こんなになってるのはしんどいんや」
「でも、手足の痺れと湿疹だけやろ? そんなので治療やめるって、ちょっと・・・」
「そうよ、先生かって、いまやめるのは勿体ないって言うてたやん」←母
「いま治療やめたら、あと半年かもしれんで? 正月の餅を食べたいとか思えへんの?」
「そうよ、薬飲んでたら、あと2年だっていけるわよ」
「毎日病気のこと考えててしんどいやろうけど、緩和ケアに入ったからって、それが治るわけやないで」
「そうよ、湿疹かってちゃんと薬飲んでるの? 飲んでたら、どうってことないやん」

わたしと母で、矢継ぎ早で言葉を浴びせたのだが、父は何も言わず黙っていた。
わたしが見るに、この人は「緩和ケア」というものに、変な期待を持っている。
まるで、病気にまつわるすべての辛いことがなくなって、幸せに死んでいける・・・かのような。
実際は、やっぱり身体の異変と闘いながら、痛みを緩和していくという話じゃないのかなと思うけれど。

父が病院に行ったあとで、わたしと母はこの件について相談した。
「あの人、緩和ケアに夢を持ってない?」
「そうやねん。なんかなー、病院で寝てたら、看護師さんが優しくしてくれて・・・とか。そんなもんじゃないやろうに」
「だいたい、病院に入るのって、ラスト2・3ヶ月じゃないの? そしたら家にいれるのって、あと3ヶ月くらいとか・・・」
「そうやなあ・・・。半年か・・・、1年もたんやろうな・・・」
「・・・・・・いま死なれたら困るな・・・」
「うん、困る・・・・・・」

たぶん、両者が考えていたのは、経済的なことである。
わたしは、2年後に○○○万円を貯めるという目標を持っているし、母は母で、なにか考えがあるようだ。
それは、「いま」が最初についていることでわかる。
しかしどのくらい困るんだろうな・・・。
わたしは、ちょっと、くらいだけれど。

父親がガンの末期だというのに、母もわたしも冷静である。
母は「もう歳なんだから仕方ない」と言っているし、わたしは「もうボケているし、”早く死ね”になる前の方がいいかも」と思っている。
でも、もし治療をやめるというのであれば、にわかに忙しくなってくるな。
わたしが、体調をこれ以上崩さなきゃいいけれど・・・。
ちょっと心配。

そういえば、先日、元彼Sちゃんとお寺に行って、ガン封じのお酒を買ってきたんだけれど、あれ仏壇に飾ったまんまなんだよね。
いつ飲むのかなあ。
まえのときは、すぐに開けて飲んだのに、もう積極的に治そうとしていないってことなのかな。

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老後の資金にゾクゾク

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「どうしよう・オロオロ病」は、朝は出なくて、昼過ぎから夕方にかけてがひどくなる。
これ、何度も思うけれど、病気だよな・・・。
H主治医は、病名などつけたりしない。
聞いたら、なにか答えてくれるかもしれないけれど。

昨日の昼は、少し気を取り直して、昔読んだ小説を読み返してみた。
南側の陽の当たる部屋は、暖房いらずで、とても眩しくて暖かい。
わたしはそこで、猫と一緒に寝そべりながら、ゾクゾクする身体を抑えつつ、読んでは休みを繰り返していた。

こうやって、読書を趣味に、少しでも居心地のいいところを探して、ひっそりと生きるのもありかな・・・。
でも本って、新刊は高いよな。
わたしは、いま読んでいる古本を裏返して、値段を見た。
300円か。これなら、趣味として成り立つな。

夕方、また恐怖の妄想が出てきて、「老後のお金が足らない!」と身体がガクガクし始めた。
母の家事手伝いをしたが、まったくの上の空で、指がワナワナ震えるのを、抑えることができない。
老後の資金、いや、足らないはずはないんだけど・・・。
たぶん、わたしが心配しているのは、「ガンになったら」とか「大きな出費があるのでは」のあたりで、ふつうの人はそんなに深く悩まないところだと思う。

とはいえ、もし医療費3割負担の状態でガンに罹ったら、4年も5年も治療にお金をかけるのは、無理じゃないかと思う。
生還しても、今度は老後の資金が残っていないとか・・・。
下手に貧乏だと、生活保護よりも、苦しい家計になるんだよね。
でもいまのわたしは、自分のマンションを売って、ややこしいことになるくらいなら、もう死のうと思っているけれど。

昔々、「貧乏だから、薬代が払えない」みたいな世界があったと思うけれど、現在だって、それは存在するね。
お金がなかったら、治療費出ないじゃん・・・。
「上限があるはず」といっても、その上限が、生活ギリギリの人からすれば高いんだよね。
ほんと、「病気もできない」って、しんどい環境だな・・・。
こんなことを考えるようになったのは、わたしが歳をとったせいなんだろうな。

この10月までは、ほんとうに何にも考えていない、お気楽なわたしだった。
着飾って、あちこちで歩いて、酒飲みだのカラオケだのお見合いパーティだの、アホなことをしたなあ。
もう、やり尽した感があるから、こんなところで店じまいってところなのかな。
大阪のおばちゃんになるときも、遠くない気がする。
お金がなくても、「も~、知らんやん、わたし」とか開き直っていて、そっちの方が幸せかも。

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母への漢字教育

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うちの母は、一日中TVを見ている。
「将来どうしよう・オロオロ病」に罹っているわたしとしては、気が気でない。
この人がもしボケたら、介護費として、どんどんお金が出ていくではないか。
一応、彼女は自分の介護費を貯めてあると言うが、額がいくらかは定かではない。
それに、介護費用がどのくらいかかるかなんて、なってみないとわからない。

わたしは、TVに向かっている母に、「入力ばかりやと、ボケるよ」と言ってみた。
「え?」
「あたまの活性化にはな、入力と出力の両方する必要があるねん。いま、ママさんがやってるのは入力ばっかり。出力もせんと」
「出力?」
「なんか、字を書くとか、絵を描くとか、表現するようなこと。日記とかいいんちゃう? わたしも書いてるよ」
「日記やったら、家計簿にちょっと書いてるよ」
「もっと長文。具体的なことまで書くねん」
「あーそうか。今日はちゃんぽん食べた、じゃなくて、卵が入ってなかった、とか・・・」
「そうそう、思ったこと」
「ふーん。あ、そう」

日記はあまり、乗り気じゃないみたいだった。
「なにが好きなん?」と訊いてみたら、彼女は「大工仕事」と答えた。
大工仕事ねえ・・・、毎日やるものじゃないな・・・。

そのうち、母はそこらへんのチラシにある単語を、なぞって書き始めた。
これは出力じゃないんだよな・・・。
自分のあたまから絞り出さないと。

わたしは、「ちょっと、そこの辞書取って」と言って辞書を開き、「いまから言う単語の漢字を書いて」と促した。
「え~?」と母はたじろいたが、すぐ乗り気で書き始めた。
「極寒」
「気概」
「骨盤」
・・・あれ? サラサラ書いてる?
74歳なんだから、この程度を楽に書けるんだったら、心配ないのでは・・・。

それでもわたしは言った。
「これ、毎日やろう」
「えっへっへ~?」

自分の将来のために、母に元気で長生きしてもらいたい→ボケさせてはならない→勉強させるというのは、ちょっと動機が不純な気もするが、このままTVばっかり見ている状態は、どうも不安でいけない。
わたしは、母を強化するプランを立てた。
買い物に一緒に行って、散歩をして、漢字の書き取りをしてもらって。
それで、自分の安心にも繋がるというものだ。

H主治医は、「あなたはいずれ一人になるんですよ」と言うが、わたしはそれよりも、母が死ぬ間際に、どんな状態であるかが気になる。
介護費がかかりすぎて、わたしの貯金を脅かさないか・・・とか。
その点、一人になったら、むしろ気楽になるかも。
気持ちは、すごく淋しくてたまらないんじゃないかと思うけどね。

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楽天家になること

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将来のことを考えているうちに、さすがに疲れてきた。
肩が重い。
いままでは、「次はどこに遊びに行こう」だったのが、いまは「頑張って生活しなければ」になっているので、環境の激変も、あたまの混乱の一因なんだろうな。
でも、たまには外に遊びに行った方が、いいのかもしれない・・・。

元彼Sちゃんから、また連絡が来ない。
腰が痛いのかな・・・。
今度、トマト鍋をしようって、約束しているんだけど。
いまのところ、Sちゃんがいなければ、わたしはどこに行く用事もないからなあ。

わたしは、また古い小説を読んだり、スマホでニュースを見たり、窓の外をぼーっと見たりした。
こんなことを、何年もやって生きていくのかなあ。
わたしのことだから、いずれ「こんな生活できるか!」と何か考えて、やらかしそうな気がする。
そっちの方が、わたしらしい。
そしてまた、その方がいいんじゃないかと思う。

もし、「障害年金が3級に落ちたら」を考えなければ、それはそれで、わたしはいままで通り、パジャマで一日中寝そべって、ときに暴れたりして、「やっぱり、この人2級ね」という判定を下されたんじゃないかと思う。
前回の診断書が悲惨で、「周りじゅうが腫れものに障るようで、気が休まらない」と書かれてあったから、そのまま暴れていたら、たぶん2級は通っている・・・。
でも、そんな自分をいつまでも続けていたら、ほんとうに母親が要介護になったとき、死んだときにどうしようもなくなる。
もっとも病気だから、自分では制御できないわけだけれど。
10月に自分の身体に起こった異変により、これまでの自分と違う自分が続けばいいのにと思う。

鏡を見ると、わたしはまだ若い。
なんだか、このところ歳をとった自分のことを考えていたので、もっと老けているような感じがしていた。
わたしの髪は、ほっておいてもクルクルカールがかかるので、適当にカットして染めておけば大丈夫である。
あとは好きな服を着て、肌に気を使っていれば、そんなに変になることはないと思う。

考えていることは見た目に出るから、あんまり暗い未来は想像しないようにしよう。
いざとなったら、なんとかなるよ、と考えられるようになることが、わたしのいまの課題だと思う。

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立て続けにショック

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なんだか、立て続けにショックなことがあった。
昨日、母が経済的なことで、「あんたの将来なんか知らんわ!」と言い放ったので、わたしはゾーッとし、「この人はもう、自分のお金を守ることしか考えていない!」と、またビクビクワナワナしていたのである。
どうしよう・・・。
もしわたしが、障害年金3級に落ちたら、この人を頼るしか方法がないのに。

わたしは今日の診察で、H主治医にそのことを伝えた。
だが、半分予想していたが、彼は「そんなん、当たり前ちゃうの?」と言った。
「それは普通に勤めている人ならそうですけど、わたしは途中から駄目になって、いまは半人前ですから・・・」
「どっちかの家、売らなあかんのちゃう?」
「えと、実家はボロでもうわたしが一生住めないそうですし、売るとなれば母親がいなくなってからでないと・・・」
「働いたら? 最近、精神障害の障害者枠、増えてんで」
「えっ。何%ですか」
「2%」
「・・・・・・(入れるかよ)」
「年金受けながら、月8万くらいは稼げるで。そういうの、デイケアで情報収集せんと」
「でもわたし、絶対無理ですよ。それはいくらなんでもちょっと」
「大丈夫ですよ。○○さん(わたし)なら、できますよ」
「・・・・・・わかりました! わたし、超節約して、母親に長生きしてもらうために、脳トレと一緒に散歩します」
「いいですねえ。それも一つの方法ですよ。そやけど、どこまでも他力本願やなあ」

仕方ない・・・。
わたしは、ほんとうに働くなんて無理なのだ。
だって、料理の手伝いをしている途中でさえ、しんどくなって息継ぎをしているのだから。
いつも、「こんなの新入社員だったら、蹴とばされてるな」と思っている。

しかし、いつも「働いたら?」などと言わないH医師が、突然「できるよ」と言い始めたのには、ショックを受けた。
「仕事は一生無理です」って、断言したのに。
だが冷静になって考えてみると、これはH医師が、「この経済状態は、ほっておいてもどうにもならない、このままではいずれ生活保護」と判断したのではないかと思う。
わたしが、「できない、できない」を繰り返したから、選択肢として、主治医として提案したのかもしれないな。
それにしても、先生といい、母親といい、ビクビクワナワナと震えているわたしに、思い切りブスブスと槍を突き刺してくるな・・・。
わたしは、のみの心臓なので、世界が恐ろしくてたまらない。

帰宅してから、ちまちまと貯金生活の計算をやり直した。
母親が生きていると思われるあと10年の間、いかにしていくら貯められるか。
母亡きあと、一人暮らしを成立するためには、相当な貧乏生活が予想される。
こころが暗くなる・・・。一生の貧乏か。
障害者になんて、なったら終わりだね。

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次に起こす行動

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今朝の状態は、ましである。
なんだかポワーンとして、「母親があと5年先に、どうにかなるなんて考えられないよ。まあ、なんとかなるよ」という気持ちになっている。

それでも、昨夕はひどかった。
「母親が認知症になったら、どうしよう。わたしはとても介護できない」とワナワナ震えていたのだ。
それを母に相談したら(するか?)、「認知症といっても、突然徘徊するわけじゃないんやから。最初はわかるんやから、そのとき考えればいいでしょ」と言われた。
そうだよね・・・。認知症でも、最初は訳がわかるんだよね。
この件は、後回しにしよう・・・。

それで、今日はなんとなく穏やかなのである。
最近のわたしは、ずっと母の家事のアシスタントになっていて、電気代の節約のために、同じ部屋にいることも多い。
スケジュールは、朝食後しばらくしてから、自転車に乗って買い物、昼食、30分間散歩、しょうが湯や甘酒、夕食の支度、夕食、リラックスタイム、である。
ほんとうに、毎日判を押したようにこれである。
でも、しょうが湯を飲んでいるときなんか、ほんとうにホッとするな。
母親が話しかけてきて、それにうんうんと返事をして、ゆっくり時間が流れる暖かい部屋が落ち着く。
いまのわたしって、ほんとうに身分は「家事手伝い」だな・・・。
障害者と老いた母が、毎日家事をして、貧乏でつましくささやかに生きているって、型にはまっているな・・・。

でも、わたしは10年先まで、この毎日を続けるのだろうか。
74歳の人と同じ生活を、あと10年も?
わたしはまた、母に訊いてみた(なんでも訊くな)。
「わたし、あと10年してもこんな生活なのかな? なにかやったりするのかな?」
すると母は、「さあ。なにかあるといっても・・・仕事はできへんしなあ」
なにかヒントをくれるかなと思ったが、やっぱり自分で考えなきゃならないな。
考えようによっては、母が認知症などになる前に、悔いのないように行動しなきゃならないのかもしれない。

仕事ができれば、健常者の知り合いがたくさんできるし、お金が入るし、いいことづくめなんだけれど、どう考えても、隔日2・3時間がギリギリ限界。
そんな都合のいい仕事って、あるのかな。
だいいち、一度採用されたら責任が生じるし、具合が悪くて何度も休むとかすぐやめるとか、許されないよね。
ちなみに過去にもバイトをしたことがあるが、どれも仕事を始めてから1ケ月以内で入院となった。
いますぐお金に困っていないのに、入院前提として働かせてもらうというのは、すごく迷惑な話だよな・・・。
わたしの最大のテーマは「闘病」で、いかに自分の体調をフラットにするかだし。
働いて、すぐやめて、入院費の方が足が出ましたなんて、ほんとに双方、勘弁しての話である。

なので、なにか行動を起こすにしても、自分の体調がアップダウンしない程度のものでなければならないと思う。
とりあえず、10年先がどーのこーのと言うのではなくて、一日一日を楽しく家事手伝いをしていくことかなー・・・。
母が、「ゆみさんが元気でいてくれるのが、なにより嬉しい」と言っていた。
母の心の平穏のためにも、あんまり過激な発案は避けよう。
しかしこれが激躁になると、自分でも歯止めが利かなくなって、何を言い出すかわからないので、非常に困るんだけどね。

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安楽死とか

chushaki

昨日、またまた自分の老後を考えていたのだが(しつこい・病気)、ふと介護費って、こんなにもバカ高いんだと思った。
これじゃあ、生活保護に頼っている人の介護費用って・・・。
ものすごい多額の税金が使われているのでは・・・・・・。

なかには、ほとんど意識のない人もいるのでは?
うーん、とわたしは考えた。
これはいずれ、安楽死の話が出るな。
いや、もうすでに、そういう話は出ている。
もちろん、本人に確認はしなければならないだろうが、高齢で身寄りのない人なんかを対象に、「楽になりたいあなたのために」とかいうキャッチコピーをつけて、希望者を募ったりするんじゃないか。
もちろん、目的は税金・年金の負担を減らすためである。
どう考えてもこの少子超高齢社会、まずいもんね。

ということで、そういう制度があったら、わたしもその候補者だろうなと思う。
介護費、高すぎて長生きしたら、出ないもん・・・。
貧乏すれば、平均寿命くらいまでは生きられるけど、その後要介護になったら、どっかで弾が尽きる。
悪いことに、うちは長寿家系なんだよね。
そのくらいの歳になったら、その時代にはもう、「えっ。その歳で生活保護を受けるんですか。(しぶしぶ)最近は皆さん、こっちの方を選ばれますよ」とか言って、安楽死のパンフレットを出されるのだ。
まあ、いいけど・・・。
その頃には、わたしも煩悩を捨てて、仙人みたいになっていると思うから。

わたしのあたまは、去年10月からぐるぐる回って、想像ばかりが膨らんでいく。
早く止めてほしいのだが、止まらない。
そういえば、母の財布の中身についても、あれ? と気づいたことがあった。
一度、2つの通帳を見せてもらったのだが、なんか多いのだ。
これなら、15年間くらい独居老人として介護を受けられるのでは・・・、である。

いろいろ考えたが、ふーん、と納得した限りでは、母はとにかく自分が子どもに迷惑をかけないことを念頭に置いていて、わたしが彼女の側にいようがいまいが、勝手にしなさい、ということなんだろう。
あなたのことは、生きているうちは面倒をみてあげてもいいけど、死んだら知らないよ、この家でも売ったら? という考えなのだ、たぶん。
そうなのかー。
やっぱり、自力で貯金をつくるしかないな。
わたしは65歳から、厚生年金基金と国民年金基金が出ると思うので、そこまで頑張ればなんとかである。
しかし、ほんとうに遠い未来のことを言ってるなー。
もっと、近いところに目を向けたい。

ともかく、母は独居老人として生きていけるようなので、わたしはその側で、暖房を入れたり窓を開けたり、いてもいなくてもいいような用事をしていようと思う。
あなたには介護は絶対できない、って、母からもH主治医からも言われているんだよね。
元彼Sちゃんからは、「ちょっと顔を見せるだけでも、じゅうぶん介護だよ」と言ってもらったので、それでいっかと思っている。
なんといっても母はわたしにとって、最後の話し相手だから、亡くなるまではなるべく一緒にいたい。
そのあとのわたしって、ほんとに一人ぼっちだもんな。
元彼Sちゃんは、いてくれるかな。
安楽死しなくてもいい未来は、待っているのかな。

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うんこ攻撃

umenohana

朝、起きたら、「アレ? 自分に戻ってる」と思った。
この4ケ月間、ビクビクワナワナと震えて、あらぬことをさんざん考えていたわけだが、今日はなんか違う。
治ったのかな??
でもこんな急に??

昨日は、母と話をしていて、「老後のお金はそんなに要らない」と指摘された。
「常に△△△万円くらい、持ってればいいのよ」
「えー! そんなので足りるの?」
「足りる、足りる。わたしがおれへんようになったら、ここの家売ったらええやん。×××万円くらいにはなると思うで」

・・・そういえばそうか・・・。
要介護になってから、10年間ほど生きられる資金を持っていればいいのか。
死ぬまで、どんどん増やしていく必要はないんだ。

それで少し安心したところで、ふと「母親がもし、アルツハイマーなんかで、うんこを投げ始めたら、わたしはマンションに逃げなきゃならないな」と思った。
母親には悪いが、やっぱりうんこは駄目である。
手が汚れるでしょ、家が汚れるでしょ、服が汚れるでしょ。
みんなが、わたしに「あなたには介護はできない」と言うのは、こういう場合のことを言っているんだと思うよ。

横でしゃべっている母を観察すると、どう見ても、あと5年は元気でピンピンしていそうである。
でも、アルツハイマーって、病気だからなあ・・・。
発症して何年目くらいで、うんこを投げ始めるんだろう。
あと2・3年後に発症したとしたら、うんこを投げるのは、その2~5年後?
うーん・・・。わからない・・・。
わたしは、あたまで計算した。
たとえば、あと5年後に、実家を逃亡しても、マンションで10年間は籠城していられるな。
そして10年経てば、状況も変わってくるだろう。

まーそのまえに、もちろん老人ホームの予約をして、独居老人として介護サービスを受けられるように、手配しなきゃだけど。
どうやら、うんこ攻撃からは避けられそうね。
そこまで考えると、ホッとした。
備えがあってこそ、お互い仲良く生活できるってもんだ。
そして、母娘2人に暗い未来はない、と信じたい。

いまは2人で自転車で買い物に行っているが、あと3・4年もすれば、母が自転車に乗るのをやめる宣言をしているので、そのときは、母が無料の市バス、わたしが自転車に乗って、スーパーで待ち合わせをし、買い物をして、一緒に歩いて帰ろうかと目論んでいる。
2kmあるから、これだけ毎日歩いていたら、さすがに足は弱るまい。
ふつうの老人ボケならかまわないので、ぜひ元気で長生きしてもらいたい。

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考え事が落ち着く

saraarai

今日は、ものすごく身体が重い。
16年間考えるべきだったことを、この4ケ月の間にずーっとし続けたので、相当の疲れがきたみたいだ。

わたしが考えていなかったことは、親が亡くなってからの資金繰り、そして親の介護のことだった。
でも、そのことは決着がついた。
結局、家を売ることを視野に入れて、資金繰りのメドは立ち、介護ももう、どうせ壊す家なんだから、母と一緒にうんこも共に、お金がなくなったら、わたしの貯金を使えばいいじゃんー、その頃にはさすがに母は亡くなっているよ、という結論にいたった。
は~。
わたしに足りなかったのは、将来に対する覚悟だったのかな。
でもまあ、よかった。
これで、たぶんガクガクワナワナは消えるだろう。

ということで。
これから先、まさかわたしは10年もこんな暇な生活をしているわけじゃないよな・・・と思って、いまは元気でピンピンしている母に尋ねてみた。
「わたしって、ずっとこのままなのかなー」
「なんで。もう少し元気になったら、働けるよ。近くにショッピング施設ができるじゃない? 土日の昼だけ2時間皿洗いとか、そういうちょっとした仕事、出てくるよ」
「そうかなあ」
「あるよー。店の奥で、いろいろしてる人おるやん。ちょっとなら、なんかあると思うで」

そうだなあ。
最近は、働く年齢に上限がないからなあ・・・。
まずは、躁うつ病の波を少しでもフラットに保てるようにして、今回のガクガクワナワナ病のようなものが、何ヶ月も続くようなことにならないようにしないと・・・。
どうも、精神病になってから、少しのことでいろんな精神症状が出るようになった。
いつもデコボコ道を歩かされているような感じなのだ。

しばらくほったかされている元彼Sちゃん、どうしているかなあ。
最近、彼から連絡が少ないのは、本気で腰が痛いとわかってから、離れていこうとしているんじゃないと信じている。
一応、今週末はマンションでトマト鍋をしようという話になっている。
楽しみだなー。
悶々と考え続けた果ての、ご褒美みたいな感じ。
トマト鍋というのも、この頃イタリアンとはまったく無縁になっているので、久しぶりだという感じ。

ようやく考え事のトンネルから抜けたみたいで、まだ身体がだるいけど、一息つこう。
しかし、なんだったんだ、急にパンドラの箱が開いて、16年間ぶんの考え事が噴出して、将来の恐怖からガクガクワナワナが始まって、なんとなく収まりました、みたいな?
うーん・・・、でもまだなんか、出てくるのかもしれないな。
わたしの精神世界って、ほんとうに変。
誰に説明しても、わかってもらえないだろうな。

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スーパーでの買い物

kato
この数か月間、ほぼ毎日、母親と自転車に乗って、買い物に行っているのである。
母は、たくさんの大阪のおばちゃんと話をして、楽しそうだ。
大阪のおばちゃんは、誰にでも声をかける。
昨日も、母が知らないおばちゃんと話し始めて、その人が81歳であることを知り、「えーー! お若い!!」と思わずわたしもびっくりしたら、彼女は嬉しそうにべらべらと次々しゃべり出し、「これから事業を始めるの」とおっしゃったのを聞いて、また驚いた。
なんか、車の暴走を止めるやつ? らしい。(←よくわかんなかった。)
そんで、たいがいしゃべり倒したあとは、さらっとさよならするんだよね。
大阪のおばちゃんは、観察していて面白い。

まえも思ったけれど、母が死んで一人になっても、大阪の下町にいる限り、淋しい思いをせずにすみそう。
なんだか、わたしも生活が楽しくなってきたな。
具体的には、まだこれからだけど、発病後、なにもできず感じることも見ることも聞くこともできなかった檻の中から、ようやく抜け出したような気がして、これから健常者に近づいていけるのかなあと期待する。

まだあたまがこんがらがっているけれど、スーパーで、わたしは値段の高い安いはわかる。
病前は、ふつうに働いて家事をしていたから、そのへんの金銭感覚はある。
障害年金の診断書の項目に、「金銭感覚はあるか」というのがあるので、たぶんそれがない人がいるんだと思う。
そういう人は、年金額が上がってラッキー・・・というよりは、結局ドバーッと使ってしまって、困ったことになっているんじゃないかと思う。
そういう意味で、わたし金銭感覚があって、ラッキーということである。

物の価値がわかる自分に、安心する。
一人立ちするには、絶対必要だ。
「今日の太刀魚は安い・・・」と思ったら、母も「これ、安いな。これにしようか?」と言うので、今日の晩ごはんは太刀魚に決まった。
まー、一人のときは、太刀魚なんて高いもの、買わないけどね。
だいたいわたしは、赤魚・かれい・鮭・さんま、と決まっているのよ。
一切れ100円くらいで買えるやつ。
わたしから見れば、母は贅沢にモノを買い過ぎである。

でも、買い物も料理も、ほかの家事全般も、まだ感覚を全然取り戻していない。
なにしろ、16年間もなにもできずにいたのだ。
わたしの身体に何が起こったのかわからないが、これから徐々に、ふつうの生活を取り戻さなければ。

しかし長いなー、16年間。
長すぎるわ・・・。わたしの人生って、ここまではかなり不幸よ。
幸福なんてもう自分には関係ないと思っているけれど、万が一、そんなものを手にいれられることがあればいいな。

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防波堤と音楽

yuyake

4ケ月間に及ぶ考え事が一段落したのち、わたしはようやく一息つくことができた。
そしたら、スーパーで聴こえてきた音楽に、耳を奪われたのである。
「懐かしい・・・、フュージョンだ・・・」

そして、わたしは無性に音楽が聴きたいと思った。
いままで、ずっと聴きたいと思わなかった。
でもいまは、カフェに流れるボサノバでもいいから、なんか聴きたい気がする。

でもわたしは、一人でカフェに入るのって、しないんだなー。
だって、あれは一人でぼーっとするところじゃないんだもん・・・。
わたしにとって、一人でぼーっとするところは、一杯飲み屋。
もうお酒はやめたけど、カフェは人の出入りが多くて、どうも落ち着かないと思っている。

それよっか、聴くならジャズ喫茶でしょー。
ジャズ喫茶っていうと、ものすごくレトロに聞こえるけれど、大音量で曲を流す、偏屈なマスターがやっている小さな店があったのよね。
その大音量を身体に浴びると、すごく気持ちよかった。
あの店、もうないけど、いまもあったら絶対行くな。

そういうことで、わたしはいま、オーディオを持っているが、隣にいる父がうるさいので、つけれずにいる。
元彼Sちゃんは、音楽の趣味がいまいちだし、いまわたしが気持ちよく音楽を聴ける環境ってないなー。
思えば、音楽って、過去の記憶と直結していることがあるよね。
わたしにとって、それは昔の恋人たちの風景の一つであったような気がする。

そして何気なく思い浮かべてみると、なんだか夕焼けの防波堤が見えてきた。
あー・・・。そんな日もあったな。
当時彼氏と、防波堤で座っていたんだっけ。
なんとなく、クスと笑ってしまう。
いや、いまでもしたいねえ、そういうこと。

これからのわたしは、新しい彼氏を見つけたりすることは、たぶん・・・ないと思う。?
だって、元彼Sちゃんはわたしの人生の指標だから。
あの人がいないと、一人ぼっちで生きていくのは大変なことになるよ。
わたしが彼に対して、「元彼」と呼んでも、「俺、元彼なの?」とのんびりしているので、まあ古くから伝わる一族のドンだから、細かいことは気にしないんだろうな。
ただし、彼氏をつくっちゃーならんだろう。

人生守りの体制に入ってしまったかなと思う。
しかし、明日はなにがあるかわからない。
今日を楽しく生きて、明日も明るい一日を楽しみにして、生きていこう。

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蕁麻疹がかゆい。

kayui

えーん・・・。
昨日の朝から、なんか腰のへんが痒いなと思っていたら、全身に広がった。
なんだろう、これ? と母に見せてみたら、「蕁麻疹じゃないの」と言う。

「蕁麻疹? なんで・・・」
「食べ物やろ。昨日、なに食べた? ――牛肉や!」
「あー。そういえば、父親が自分で焼くって言って、後ろで待ってたから、急いでんやった・・・。生焼けか」

そういうわけで、昨日・今日と、身体が痒いのである。
とにかく、全身をガリガリボロボロ掻いている。
ああ、気持ちいい・・・。
でもそんなわたしを見て、成人型アトピーを持つ母と、抗ガン剤の副作用で痒みに悩む父は、「病院に行ったら?」と心配する。

「いや、このくらい何でもないよ。本能に従ってるだけ」
今後、わたしは貧乏に備えて、あんまりすぐに病院に行かないことにしたのだ。
これくらいなら、今日一日様子見だと思う。
しかし、週末は元彼Sちゃんとトマト鍋だからなあ。
そのときには、治ってもらわないと困るな。

それにしても、ボリボリガリガリ掻くのは、気持ちいい~。
用事をしたあと、「さあ、やりますか」という感じで、全身を掻きまくっている。
だが、気持ち悪いことに、わたしはいま激ヤセしていて、体重が41kgしかないので、あばら骨が浮いているし肩もゴツゴツ。
膝の裏は、手羽先の軟骨のところみたい骨と皮になっているので、そこを掻くときは足を伸ばしている。
これ、鏡で見たら、相当不気味な身体だろうな・・・。
もちろん、見る気はない。

最近、こっそりご先祖様を信じているので、この試練はなんのためかな? と考えたら、「そっかー。母親がいつも痒みで苦しんでいるから、その身になりなさい」ってことかー、と納得することにした。
自分の体験を通じて、人の身になるって、悪いことじゃないよね。
あとは、「調理は手を抜かず、ちゃんとやりなさい」ってところかな。
今回は、自分一人の被害だったからよかったけれど、家族のぶんをつくるとなったら、大変だったよ。
気をつけなきゃなー。
母が、しつこいくらい肉に火を通すのがわかったよ。

いまでも、身体をボリボリ掻いているが、脇の下も、皮と筋である。
ちょっと太らなきゃな。
秋はダイエットダイエットって、体重ばかり気にしていたのに、いまは無頓着すぎるよ。
ほんと、わたしって極端だなあと思う。

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ベルト被害

beruto

昨日はひどかった。
朝から、まだ身体がかゆくて、全身をボリボリ掻きむしっていたのである。
掻き方もなんだか変わってきて、一ヶ所をボリボリ掻いて、ああ終わり、じゃなくて、次々と痒いところが出てくる感じ。
ついにわたしも、「これ、ほんとに牛肉にあたったのか?」と疑いを持ち始めた。

とりあえず薬局に行って、抗ヒスタミン剤をもらってくる。
そして、自室で本を読みながら、ふと「やっぱりおかしい、考えろ!」と考えたとき、「歯ブラシとベルトを買った」と思い出した。
ベルト・・・、これまさか?
でも、痒いのは腰からきたんだしな・・・。

反射的に、わたしはベルトを抜いた。
そして、心配していた母に「これじゃないかと思う」と言った。
「そうでしょー。わたしもそれじゃないかと思ってたのよ。最初にまずそれが思い浮かんだけど、あんたが違うって言うから」

え? 確かに違うって言ったけど・・・。
母によると、わたしは変で、ふつう「腰がかゆい」→「ベルトじゃないの?」と言ったら、「そっか、新しいベルトのせいか」と思うらしいが、わたしは「なんで? ベルトなんかいつもしてるじゃん」になるのだ。

ともかく、ベルトを抜いたら、急に身体が軽くなった。
なんなの? いったいどんなベルトなのよ!
「中国製はすごいなー」
「こわーー!」
と家族で口々に言い合った。

それでしばらくは楽だったのだが、夕方にかけて、またかゆさが出てきた。
でも今度は、あたまや首が出なかったので、たぶん掻きむしって傷だらけの身体に、衣服がこすれたのだと思われる。

今日は、まだ少し痒みが残っているが、身体全体のピリピリ感はなくなった。
うはー、災難だった。
いま身体じゅう、赤い斑点がどばーっとあって、掻きむしったあとが生々しい。

元彼Sちゃんに話してみた。
すると、「ストレスで免疫力が、下がってるんだよ」という回答が返ってきた。
「そういえばわたし、最近オロオロ病で、ずっとしんどかったからなあ・・・。あれか・・・」
「テレビでも見て、バカ笑いしてなよー」
将来の心配をするまえに、自分の健康だろと自分に言いたい。
ほんとうに、わたしは精神的に弱いし、自己管理ができない。
今回もがっくりだが、母も「家事はちょっとずつでいいから」と言ってくれていることだし、のんびりやろうと思う。

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中国製? の恐怖

Chemicals

まだ、身体のかゆさに悩まされているのである・・・。

昨日は午前中、いったん治ったと思ったのだが、夕食のあたりで、またゴソゴソとかゆくなってきた。
その前日ほどじゃないけれど、これ、どんだけ強いアレルギーを出しているの・・・?

「皮膚になにかできているの?」と母が聞くので、「あざみたいなものがあるよ」と言って見せたら、彼女は「まあ・・・、こんなの見たことがないわ」と顔を曇らせた。
足にも腕にも、赤い大きな斑点が、どわーっと広がっている。
「でも、かゆみは昨日よりはるかにましだけど」
「そうやなあ。でも、原因は調べといた方が、いいかもしれんなあ」

そういうわけで、今日は元彼Sちゃんとトマト鍋の予定だが、午前中に皮膚科へ行く予定である。
しかしこれ、絶対中国製のベルトのせいだよな・・・。
だとしたら、中国はなんてものをつくってるんだ?
あり得ない!!
しょせん、「売ってしまったら、あとのことはなにも知らない」と公然と言う民族性だから、消費者の健康被害のことなんて、絶対何も考えていない。
どうしてこんなものを、輸入してるんだよ・・・。
日本にも責任があるんじゃないの。

わたしは、こころに決めた。
基本、中国製は買わない!
あんな、ゾンビ肉を平気でつくっている国なんか、信用できるかよ!!
しかし、うっかり買ってしまうこともあるだろうから、そのときは、異変が起きた瞬間に新しく買ったものではないかと疑うこと。
ましてや、中国産の食品なんて、とんでもない!!
中国の人は裕福な人も含め、よく国内で平気で過ごしているよ。
ガンなんて、すごく多いんじゃないのかなあ。
意味不明の体調不良とか。

とまあ、あくまで「中国製ベルトが原因だ」と決めつけたうえで、中国製品にケチをつけてしまったが、言っちゃーなんだけど、中国の富裕層が、あんなに日本製にこだわるのも、自国の製品が信頼できないからだよね。
日本国内で、中国製を完璧に避けることなんてできるのかな・・・。
難しいかもしれない。
でもこんな、悪意に満ちた商売人の手にかかるなんて、腹が立ってしかたないので、「皆さん、中国製を買うのをやめしょう!」とここの片隅に書いておく。

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トマト鍋と考えごと

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身体の痒みはとれたが、皮膚科では、原因が特定できなかった。
とりあえず、1週間抗ヒスタミン剤を飲んで、様子をみることにする。

土日は、元彼Sちゃんとトマト鍋をした。
なぜか今回は、わたしがつくることになっていた。
「はい、これこういうふうに切って」と言われるままにやっていると、食べてから「やっぱり、人がつくってくれたものは美味しい」と言う。
「わたし、つくってないよ」と言い返すも、Sちゃんはそれでいいんだ、と満足げだった。

わたしは、その後TVを見ながら、「これはどういう意図だろう」と考えた。
もしかして、わたしが最近家事に目覚めたから、そのお手伝いをしてやろうという魂胆? ・・・さあ、やりなさい、俺がみてやるから。みたいな感じ?

んー。そういうことをしそうな感じではあるな。
自立のお手伝いをしてやろう、みたいな。
ともかく、Sちゃんはなんの考えもなしに行動する人じゃないし、自分的にはこのへんなんだろうと落ちていて思っておこう。

土曜日は深夜まで、米映画を観ながらツッコミまくり、日曜日はふつーにTVを見ながらダラダラしたり、図書館や公園に行ってボケーッとした。
なんか、アレルギーの薬、あたまがボーっとする・・・。
その後、Sちゃんがいろいろ話しかけてきても、生返事して、わたしはいろんなことを考えた。
それで、ふと「Sちゃんって、言うほど炊事が得意じゃないんじゃないかなあ」と思った。
いちばん違和感を覚えるのは、スピード感なんだよね。
わたしも昔は仕事して家事をしていたわけだから、忙しくて家事にダラダラ時間をかけていられなかったのよ。
だから、やらせてみると手つきは速い。
でも、Sちゃんは正確なんだけど、この調子では、家事の手が回らないのではないかと思う。
Sちゃんは、若くして妻を亡くしたあと、3人の子どもを育てた実績がある。
お弁当をつくってあげたりもしていたと言っていた。
いったい、どうやってやりくりしていたんだろうと思う。

そんなSちゃんが、いままでわたしを見守ってくれた様子を、客観的に描き出してみた。
精神病で乱暴な女を、ニコニコと受け入れる男性、女が朝から晩までビールを飲んでも、マイペースで見ている男性、女が自立したいと言い出せば、その手を差し伸べる男性。
うわっ!! Sちゃんって、ものすごくいい人じゃない!!
わたしは、Sちゃんが背中向けで、洗い物をニコニコとしている姿を思い浮かべた。
そしたら、その風景は、クレパスで描かれた優しいクマおじさんになるのだった。
この人を傷つけたら、痛々しい。
大事にしなきゃな・・・。って、この人、元彼のはずなのに大事って、どういうことだ。
懸案にしよう。

そういうことで、土日にのんびりしたものの、心配事とは別の考え事をしてしまったので、ちょっと疲れた。
ほんとにあたまがボーっとする。
でも、心配事はおさまったみたいだし、ゆっくりと休もうと思う。

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抗ヒスタミン剤でうとうと

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抗ヒスタミン剤、ものすごく眠い・・・。
昨日は、一日じゅう寝ていた。
身体が動かないうえ、あたまも働かない。
「昨日、元彼Sちゃんとどこに行ったんだっけ」と思い出そうとしてもできなくて、つい若年性アルツハイマーじゃないかと焦った。
うん、ブックオフだったよね。
数分間かけて、思い出した。

そんなわけで、いまは、人のあたまのなかも心配してしまうというものである。
先日から、母はわたしと双子の妹の名前を、間違って呼ぶのだが、わたしは密かに「そのうち、わたしのことを妹と間違え始めるんじゃないだろうな」と気にしていた。

そして、昨日も「ゆき・・・ゆみさん」と呼び間違えたので、ついにわたしは「なんで呼び間違えるの?」と訊いてみたのである。
すると母は、即答で「似てるねん!!」と言う。
「似てるって? 当たり前やろ??」とわたしはますます、おかしなことを言うなと彼女の脳細胞を疑った。
「いや、そうじゃないねん。顔がな、全然違うかってん、いままでは。あっちは痩せてて頬がほっそりしてるやろ? いまのゆみさん、ゆきさんとそっくりで、あら? こんなに似てるもんかなって、びっくりするねん」

そういえばわたしの体重は、ずっと40kg後半から落ちることは滅多になくて、あっちは高校時代から42kgあたりをキープしている。
そっかー、母親は、どっちの家に住んでいるかで見分けるのではなく、顔で子どもを見分けているのか。
それなら、腑に落ちる・・・。
しかし、体重が10kgも違えば、双子でもそんなに見た目が変わるのね。
バスの運転手に「顔の大きい方」と呼ばれたことがあるので、今後あまり太らないようにしよう。

そんなことを考えたほかは、昨日はほんとに何もなかった。
身体が少しチクチクしたが、将来の不安から解放されて、ぼーっとして楽だった。
なにが原因のアレルギー反応だか、真相は掴めないが、精神的ストレスで免疫力が弱まっていたのは、あり得るな。
自分で一ヶ所でグルグル回っていて、なにをしているんだろう。
目先2・3年のことを積み重ねることによって、10年先の自分があるのにな。
そこのところを、考えを改めなければなと思った。

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家事手伝いと読書

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まだ、抗ヒスタミン剤のため、身体がだるーいのである。
昨日も、ほぼ一日じゅう寝ていた。

寝ながら、ぼーっと考えたのが、「わたしって、なにしてる人・・・」である。
いまは、家事手伝いをして、自立へのリハビリをしている精神障害者である。
最近は、ちょこっと読書も始めた。
家事手伝いのリハをしつつ、趣味の読書をしている精神障害者・・・、まあふつうか・・・。
それにしても、健康だったときは、スポーツなり仕事なり、「自分はこれやってます」っていうのがあったんだけどな。
そういうのがあってこそ、充実した人生のような気がするが、いまは読書くらいしかできることがないな。

読書はいまのところ、既読は読めるが未読がなかなか読めない状態にある。
病気になってからだ。
しかしわたしはこの状態を変えようと、いままで持っていた大量の本を処分することにした。
じつはいますでに、300冊余りを処分している。
でもこのまえ、元彼Sちゃんと近くの図書館に行ったとき、こっちに寄贈すればよかったと思った。
図書館の本、古すぎるんだよー。いいのが何もない。
古本屋に売っても二束三文だしね。
残りの処分をどうするか、また考えよう。

そんで、所蔵本を処分とはいっても、全部をするわけではないので、わたしは「これは置いておこう」というのを、より分けた。
すると、わたしの大嫌いな渡辺淳一、田辺聖子が残るのである!
あとは、アガサ・クリスティーと外国文学が少し、村上春樹は軒並み落選!!
どういうこと?
思い出したが、わたしの本の読み方の一つとして、内容にケチをつけながらうっぷんを晴らす、という癖があるのだった。
これをしないと、なぜかわたしのストレスが溜まる。
もちろん、内容や表現が好きで、手元に置いておきたい本もある。
「主人公たち、金もないのに酒飲んで遊んでばっかりで終わりかよ」(←日はまた昇る@ヘミングウェイ)も、アホらしすぎて当選である。
どうやら、自分が「この本が好き」という基準で、ずっと持っていたい本になるわけではないらしい・・・。
きっと、本の読み方が間違っているんだろうな。
書いた人からすれば、そういう読み方するな! って地団駄を踏む読み手かもしれない。

16年間の眠りから覚め、ようやく家事手伝いをしようという覚悟ができたところだから、これから春夏秋冬一巡りして、とりあえず1年間ぶんの家事を肌で覚えていこうと思う。
その間、ちょこちょこ読書して知識を蓄えるか・・・というあたりが、「いまのわたしって、なにしてる人」の答えになるのかな。
とりあえず、在庫本を読み返すかなー。
はたから見たら、わたしは静かに読書している人で、まさかこころの中で、ケッとか言って罵っているとはわからないと思うけど。

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暗いカオスな記憶

karenda

わたしには日付感覚がなくて、今日は何日で何曜日かがわからないばかりか、過去にあった出来事についても、かなりの部分を忘れている。
この頃、家事手伝いをし、生活することをもう一度始めているわけだが、病気になってから16年間、いったい自分はなにをしてきたんだろう? と不思議に思う。

そこで、このブログの過去ログを、ランダムにぱらぱら読んでみた。
あれぇ・・・、なんだか、しょっちゅう具合が悪いって言ってるな。
あとは、暇暇。
そりゃ暇だよねえ・・・、家から出ずに、寝てばかりいるんだから。
それと、彼氏が必ずいるんだよね。
でも、こんなに体調が二転三転する人が、ふつうの男性と付き合うのは、無理だと思うよ。

住むところも、実家とマンションを行き来している。
なんで、そういうことになったのか、いきさつはすでに忘れている。
なんか、支離滅裂だなあ・・・。
これは、周りをぶん回したに違いない。
でも、もう忘れたことなので、誰になにを謝ったらいいのか、わからない。

病前の記憶は、しっかりと残っている。
何歳のときにこれをやって、何歳のときにこんなことがあって。
ふつうは、こんなふうに記憶が刻まれていくもんだよな。
なんだか、そういうことができた自分って、すごく遠い過去だな。
これからのわたしが、あんなふうに、記憶を繋げていけるのかどうか自信がない。

人生のうちの、失われた記憶があまりに長いので、空恐ろしいものを感じる。
生涯のあいだの、若くて貴重な長い年月が、闇のカオスになっているという事実。
なんて、大きな穴を空けてしまったんだろう、と振り返ってゾッとする。
そして、これから体験していくことも、黒く沈んでカオスとなり、歳とったわたしのあたまの中で、不気味がられるのだろうか。
わたしは、病気になってから、数々の愚かな行為をしてきているので、自分で自分が信じられない。

やるべきことは、一般的に正しいと思われる道を進むことかなと思う。
あとは、あまり自分を過信しない・・・。
信じられる人の意見は、とりあえず聞くことにしよう。
先日、H主治医から「どこまでも他力本願ですねえ」と言われたが、先生でも何でも、使えるものは使わなければ。

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双子の妹の存在

sakuranbo

今日は診察日だった。
H主治医に、「だいぶ、オロオロ病がよくなりました」と報告する。
H先生はへえ? という感じで、「最近はどういう生活をしていますか」と訊いてこられた。

「朝食の用意をして、母と自転車で買い物に行って、昼は母と散歩に行って、その後お茶を飲んで・・・」
「お母さんとは、仲良くやってるの?」
「はい、ふつうですけど」
「○○さん(わたし)は、お母さんの方が長生きしてもらわんとあかんからなー。まあ、長生きしそうな感じやで」

わたしはそれを聞いて、あれ? わたしはそんなに具合が悪いのか? と思ってしまった。
母親がいないと生活できないほどに?
そりゃ、まえはそうだったけど・・・。

帰りみち、駅から20分のところを、ブラブラ歩いた。
そして、ふと、「ああそうか。経済的なことを言ってるんだ」と気づいた。

何度も書いているが、わたしの障害年金は生涯出るものではなく、病気の状態によっては、等級が下がって支給されなくなることもある。
わたしは無年金になることはないが、3級に落ちたら、生活費は出ない。
貯金を切り崩して65歳を迎えれば、なんとかならないでもないが、そこに至るまでの長い道のりには、なにがあるかわからない。

わたしは、家はわたしにくれるよう、妹に頼んでみると母は言ったが、預貯金についてはどうなんだろう・・・と思った。
預貯金は、△△△万円あることは知っているが、これ、半分こしないと、揉めるよなあ・・・。
しかし、向こうは裕福で、郊外に馬を飼おうっていう人たちだから、わたしの生活に関わる切実な△△△万円は、「遊ぶ金ができた、ラッキー」くらいなんだろうなと胸が痛む。
公平に分けたものは、使い道なんて勝手なんだけどね・・・。
うーん。・・・きょうだいで、あまりに貧富の差が出ると、問題が出るね。

妹とは、もう何年も会っていない。
わたしが、彼らを脅迫とやらをしたそうだからだ。
まったく記憶にない。
一度アレルギーが出たら、頑として跳ねのけるような妹の性格からすると、「ママさんの貯金? 要らん。どうでもいいから、もう連絡せんといて」とか高飛車に言いそう。
上から目線は間違いないな。
お金持ちが貧乏人を、あざけるの図・・・わかりやす過ぎる・・・。
しかも、これが双子だから、女性の世界では「結婚してお金持ちになって、成功した女」と「結婚できなくて貧乏になって、失敗した女」と分類されるんだろうな・・・。
まー実際のところは、二人とも同じ躁うつ病を抱えて、しんどい思いをしているんだけどね。

対母親については、ここ数か月間いろいろ考えたが、妹については、なにも考えなかった。
財産分与の話か・・・、いまからため息が出るな。
内容も嫌だし、わたしが脅したっていうなら、まず謝らなきゃいけないんだろうし、ほんとうに気が重い。
ふつうの人は、いまからそんなこと、考える必要ないよって言うだろうと思うけど。

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認知症の人の気持ち

chabudai2
母が、「2年ほど前から、急に物忘れし始めたのよー」と言うので、じつはちょっと気にかけている。
「俳優さんの名前とか、全然出てけえへようになったわ」

「俳優の名前なんか、知識として蓄えておく必要あんの?」
「でも、まえはちゃんと覚えていたのに。ほら、この・・・ピンチ? こういうのの名前も出てこないのよ。ボールペンはわかるけど」

そりゃ、ボールペンを忘れたらやばいと思うけど。
俳優の名前を忘れるって、どうなんだろう・・・、でも、本人が異常に思っているんだから、やっぱりそうなんだろうな。

わたしは、まさかアルツハイマー病じゃないだろうなと密かに思った。
ただの老人ボケはいいけど、これだけは勘弁してくれと思っているのである。
あれって、介護がすごく大変なんだよな・・・。
ただ、弱ってくれるだけじゃないもんな。

だけど、わたしは認知症の初期の人の気持ちは、わかるような気がするのである。
5・6年前、わたしは躁が大爆発して、自分を失い、1ケ月ほどキチガイになった。
そのときのことは、ほとんど覚えていない。
だが、点々と残っている記憶があって、そのなかには、「ここはどこ? 自分の家じゃない」という恐怖に囚われたシーンが、ハッキリとあるのだ。
知らない家にいる自分は、じっと固まって、身動きもとれずにいた。
苦しくて仕方なかった。
でも、どのくらいか経ったとき、「もう、わたしはこの家でみなしごとして生きていこう。(年齢が逆行していた?)この家の子になるんだ」と決心して、居間の方へ行ったのである。
すると、あれ? 見慣れた棚が・・・。ここはわたしの家だ・・・。
――ということで、呆気にとられたまま、わたしは一安心したのである。

認知症の人が同じかどうかわからないけれど、もし、ああいう状態に陥られているんだとしたら、そりゃ「なんでそんなこともわからないの!」って言われたら、パニックになると思うよ。
「あら、ここはあなたの家よ。大丈夫、すぐ思い出すよ」って優しく言ってくれたら、安心するなあ。
ほかのことでも、わからないことや間違ったことがあっても、「駄目じゃない!」って言われたら、ほんとうにショックを受けてどうしたらいいのか苦しんでしまうと思う。
まー、介護している人からすれば、腹が立ってしょうがないっていうこともあるんだろうけど。

わたしの、あのキチガイワールドはなんだったのかなあ。
ほかにも、母親に「あなたは誰?」って言ったらしいけど、わたしはそうじゃなくて「(あなたは)ママさんじゃないの?」って言ったはずなんだよね。
その後も母は「あなたの母ですよ」って返したのに、わたしのなかでは「わたしはあなたの母じゃありませんよ」に変換されていて、わたしは大ショックを受けたのだった。
認知症の人のあたまのなかでも、ああいう変換ミスが起こっているのかなあ。
だとしたら、恐怖と不安でたまらないと思うなー。
周りのできることは、優しくニコニコと接してあげることだろうな。
ただの予測にすぎないけれど。

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TVがしんどい。

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わたしは、子どもの頃からTVに興味がない。
なぜなのかわからないが、食い入って見るようなものじゃない感じ?
点いていたら、目がぼーと追っているが、あんまり中身は見ていない。

でも最近、家事手伝いとともに、両親といる時間が長くなって、TVを見ている時間が増えた。
ちょっとしんどい・・・。
なかでも、ちょっとボケている父親のTV評論が、聞いていて疲れる。
昨日は、東京築地・豊洲問題について、母と話していたのに、いきなり大阪森友学園の話に飛躍させた。
これは・・・、キーワードが「土地」で、二つの話を混同したんだな。
でも、そういうことを指摘すると、年寄りにはありがちな、不機嫌になるのである。
母も、「最近、お父さんと話すときは、ふんふん、そーかって言わんとあかんから、疲れるわ」と言っている。

NHKばかり見てくれるのも、ちょっと困る。
NHKは、朝から晩まで、ひどいと翌日まで同じ画像・アナウンスを流して、ほんとうに手抜きだなと思う。
しかし、父のようなちょっとボケが入っている人にとっては、あまり退屈しないみたいだ。
朝の火事のニュースを見て、「こりゃひどいな」と言っていたのに、夕方また同じ画像を見て、「こりゃひどいな」と初めて見たかのように言っている。
思わず、「それ、朝も言うてたやん」と言ってみたら、ムッと黙り込んでしまった。
父の場合、間違いを指摘されて、「ああ、そうか」じゃなくて、「なんだと、このお」になるのだ。
こういうことがなければ、たんに「ちょっとボケたかな」ですむんだけどな。

いまは、電気代の節約と思って、夕食後も母と同じ部屋にいるが、その間は母にとって至福の時間らしく、好きなTVをずっと見て楽しんでいる。
この時間の邪魔はしてはいけない・・・。
でも、母と一緒にTVを見る気にはなれなくて、わたしはスマホでニュースを見たりしている。
母は、「アハハ」とか「へー」とか言っているが、わたしには、TVでそこまで感嘆することが、よくわからない。
かつて、一人だけ、「自分はTVは小さい頃から見ない」って言う人がいたが、もしかしたらそういう人種がいるのかもしれないな。
そういう人は、必ず芸能人の系譜を知らなくて、とんでもない無知を晒すことになる。

ともかく、いまはわたし的には、一日のうち、あまりにもTVの前にいることが多すぎるので、しんどさを回避する方法を考えなければならない。
こんなことを言っちゃーなんだけど、父親がTVの前で、ありもしない事実をブツブツ解説しなきゃ、だいぶ楽になると思うんだけどな。
あたまのボケた老人とTVを組み合わせって、離しても離れない関係だけどね。

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やせ我慢

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昨日からずっと、またお金のことで悩んでいるのである。
いま、母親が死んだらどうしよう・・・、から話がスタートして、そのとき財産分与はどうなるんだろう・・・とあたまがこんらがらったのである。

母はわたしに家をくれると言ったが、預貯金の半分は、やはり妹と半分にしなければなるまい。
このとき、わたしには決意がいるのだ。
向こうは裕福で、生活に困るなど一生あり得ない人たち。
こっちはいつなんの間違いで、生活保護になるかわからない人間。
もちろん、金持ちには金持ちなりの、お金の使い方があるから、彼らにもお金はあった方がいいに決まっている。
そのことに、わたしが口を出す権利はない。

だから勇気をもって、わたしは財産のことを切り出すときのことを、あたまに描いてみた。
「ママさんには預貯金があって、△△△万円やねん。これ、二等分にしよう」
「え? いいの?」
「うん、わたしは大丈夫やから。心配いらんで」
「ふーん。ほんまに大丈夫なん?」
「いけるって」
「あっそう」

こんな感じじゃないかと思う。
まあ・・・、いくらなんでも、両親の財産を、一人の娘が全部持って行ったら、それは駄目だと思う。
もし、預貯金があることを黙って使っていたら、わたしは毎日後ろめたさで、憂鬱になると思う。
しかし・・・、お金を渡すときって、身を切られるようだろうな。
わたしの生活を左右するお金が、この人のレジャー費か・・・と思うと、ほんとうに手がワナワナ震えそう。

でも、自分は絶対、両親の残したお金をネコババすることはしない!
どんなに苦しくても、それはしたら駄目だよ、とこころに言い聞かせる。
きょうだいで、あとあと「あの子、あんなに持っていって、腹立つわ・・・」ということがあってはならない。
財産(というほどでもないが)争いのうえ、きょうだいがいがみ合うって、いちばん体験したくないことだ。

わたしは、もし急に母が死んだら、正直に「家がこのくらいの価格で、預貯金がこれだけ」って話すだろう。
こころのなかでは、「泣きたい・・・」と思ってても、やせ我慢しなきゃいけないときもあると思っている。

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バイトにまつわること

sakana_niku

スーパーで買い物を袋に入れていたら、目の前にバイトの広告があった。
「鮮魚・畜産/朝5~8時/時給1,000円」である。

わたしは、へ~・・・と考えた。
早朝に仕事をしてしまえば、あとは自由に時間を使えるじゃん。
朝には強いから、元気になればこういう仕事もできるかもね。
週3日3時間働いたとして、月36,000円か。
障害年金が3級に落ちたとしても、これなら生活できるな・・・。

そして母に言った。
「こういう仕事があるんやね。何歳くらいまで雇ってくれるのかな」
「・・・まだな、いまはもうちょっと、よくならんとな」

母に言わせると、わたしのいまの状態は、健康だった頃の50%くらいだそうだ。
10数年ものブランクがあるから、もう元のように働くことができるとは思えない。
少なくとも、あたまを使う仕事は無理だろう。
裏方で、ごそごそしているのが、自分に合っているかもしれない。
どっちにしろ、バイトをするには、もっとコンスタントに作業ができるようにならないとな・・・。
結局のところ、いまやっている家事手伝いが、毎日ちゃんとできるようになることだな。

しかし、そんな想像をしたあとで、ふと考えた。
「でも、母親がもし要介護になったら、どんなに仕事が軌道に乗っても、わたしはそれを辞めなきゃいけないのでは・・・」

暗い発想だが、あり得る話でもある。
なんか、自分の将来に明るい希望が見えないのは、そこなのである。
なにを目指して進んでも、途中でそれが中断され、あきらめることになるのではないか。
老人がある朝、ポックリ死ぬ確率なんて、たぶん少ない。
ある時点で、自分の人生が、自分だけのものではなくなる時期が来るのではないだろうか。

若い頃は、上を見れば光があって、ああしたい、こうなりたい、という希望に従って動いていれば、それだけで楽しかった。
でもいまは、上を見ても、老いて力がなくなり、苦労している自分しか見えない。
ふつうの家庭を築いている人たちはたぶん、子どもや孫の成長を楽しみにしながら、明るい未来を描くんだろうな。
いや、いまのご時世、みんながみんな、そうでもないか・・・。

こんなことを言っていると、母に罰当たりなのである。
彼女は、わたしの病気で人生を狂わされたと言っている。
ほんとうにそうなのだから、仕方ない。
わたしが病気にならずに、あのまま社会人でいられたら、今ごろ彼女は、駅近マンションの一つでも買って、悠々自適に暮らしていたはずなのだ。
だからわたしは、介護のせいで人生を狂わされるなんて、言えない立場なんだよね・・・。

とりあえず、あんまり遠い将来のことを悲観しないように、あたまを切り替えたい。
それから、ちょっとでも働いて、社会参加できるようになりたいな。
それがわずかな期間になってしまっても、それはそれだよな。
未来では、80歳でもみんな仕事をしているかもしれないし・・・、自分はまだまだこれからだって思いたいな。

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