LIFE,LOVE&PAIN

LIFE,LOVE&PAIN

タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。
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バーベキューに思う。

babekyu

ゴールデンウィークも、こうも晴れて気温がいいと、どこかへパーッと出かけたくなる。
わたしには、もう連休なんか関係ないのに・・・。
でも、休日を楽しく過ごしている人たちを見ると、光がもらえる感じがするんだよね。

家の裏の堤防に行けば、たぶんバーベキューをしている人たちがいると思う。
わたしはいま、左足をケガで包帯ぐるぐる巻きにしているので、見に行けない。
のどかな風景のなか、煙もくもくか・・・、いいな。
でも、ビールをやめたいま、ビール抜きのバーベキューの魅力って、なんだろうな。

第一に、青空の下で、気持ちよく食事ができるってことか。
開放的な雰囲気のなかで、空気を味わいながら食べるっていいよね。
第二に、大勢の人と、食を通じて交流できるところかな。
みんなでワイワイ、子どもも犬もハッピー。

もちろん、ビールを飲む人にとっては、それだけじゃ全然物足りないだろうけどね。
デイケアでも、バーベキューをしたことがあるけれど、ビールがないうえに、みんな黙々と食べていて、あれはバーベキューと呼べなかった。
やっぱり、会話・交流がないと駄目なんだな。
だから、親しい人同士でやると、楽しいのか・・・。

健康で、仲間がたくさんいた頃、わたしもよくバーベキューをした。
当たり前だけど、楽しかったな・・・。
森のなか、山のなか、焼ける肉の匂い、軽くて頼りない紙皿、ビール、笑い声。
いまは懐かしいけれど、真夏の海で、暑くてさんざんな思いをしたこともあった。
灼熱のなか、ぬるいビールを手に、火に近づけない状態で、バーベキューというのは、暑いところでやるものではない、と気づかされたパーティだった。
よかったのは、どこかの高原。
夏だというのにとても涼しくて、わたしは混雑したテーブルから、白ワインを草原の上に転がした。
当時はまだ、みんなはワインを横向きにする発想はなかったらしく、みんながアレ? という目で、わたしを見た。
わたしも、あたまが正常だったときは、「変なことばかりして、なにこの人」じゃなかったんだよ。
いまアレなことをやったら、たぶんみんな、見ないふりをするだろうな。

元彼Sちゃんはなにも言わないけれど、たぶんゴールデンウィークには、自宅でバーベキューをやっているに違いない。
Sちゃんの家にはどうやら、バーベキューの窯みたいなもんがあって、親戚一同集まってワイワイやるらしい。
恐ろしい犬上家の一族は、「うちの子はこうで」「あそこの家のアレはこうで」とかやってんだろうか。
こわー。
でも、長であるSちゃんは、一族の結束を固めたいので、呑気に「肉をね、○○kg買ってくるんだ。子どもたちにまず、ソーセージを食わせて、それから大人が肉を食べるんだよ、わはは」と何回も同じことを言っている。
この人が何回も言うことは、何度でも聞いてほしいことなのだ。
最初は「ふーん。ファミリーをアピールしたいのか」と思っていたが、どうやらわたしが知る「楽しい一家のバーベキュー」っていうんでもなさそうだな。
だいたいよく考えたら、何人いるかわからん親戚が一同に会して、本家の長自らが肉を焼くバーベキューって楽しいのか。
不幸な匂いのする集まりだ・・・。

でもどんな状況にせよ、誰か集まれる人がいるのって、幸福なことだと思う。
人間って、社会をつくって生きていく動物だもんね。
そのなかに参加しているというだけで、人間として充実した生活を送っているといえるんじゃないかな。
わたしはもう、仲間といえる人々を失ってしまったけれど、いまそういう友だちや家族を持っている人は、是非バーベキューを楽しんだらいいと思うな。
自然があって、周りに話せる人がいて、食べ物があって。
これぞ幸せじゃないかーと思う。

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精神病患者の崩れ方

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飽きもせず、一日中、FMを聴きながら、考えごとをする。
今日は、「精神病患者って、もともとは優秀な人がいたりするんだよな・・・」であった。

どこから、転落するのだろう。
最終的には、見た目がなんとなく、違和感のあるものになる。
症状のせいか、副作用のせいか、生活環境のせいか。
わたしは周りの、優秀だったと思われる精神病患者について、考えてみた。

もう死んじゃったSさん(40代男)。
たぶん、双極性障害1型だった。
生涯で、1000万円+3000万円を使いまくって、見事になにも残らなかった。
服装も表情も言っていることも、まったくまともじゃなかった。
でもこの人の弟さんは、京大を出たあとアメリカの大学を卒業し、起業して成功している。
そんな優秀な人の兄が、もともとそんな無茶な人だとは思えない。
なにを経て、あんなふうに人格が壊れていったんだろうな。
治療がかなり遅れたか、症状がよほど酷いものだったか、・・・、だろうか。

いまデイケアにいるYさん(40代男)。
関西の私立4大を出て、妻子もいるが、双極性障害2型で休職中。
この人は、最初デイケアに来たときは、まだ生きがあって、「ふつうの人だな」という感じだった。
しかししばらくしてから見ると、デイケアに馴染んでいて、ちょっとうす汚れた感じになっていたので(服が汚いわけではない)、わたしは、「この人は、もとの世界には戻れないな」という気がした。
休職も3年目だというし、たぶん退職する・・・、妻との離婚も五分五分だな。
男は、職を失うと、離婚されやすいのだ。
双極性障害は、離婚の理由になり得るので、この人を見ていると、大丈夫か・・・、と同病者として思う。

偏差値70以上の高校を中退したという@@さん(30代男)。
たぶん、統合失調症。
受け答えがハッキリしていて、いかにもあたまがいい感じ・・・、だが、世間的には中退となる。
おとなしくて柔和に話をするが、「僕は、すべての友人関係を切りました」と冷たく言い放つ場面もある。
この人、どうなるんだろうなあ・・・。
友だちを全員切ったということは、プライドが残っているんだろうけど、病気は繰り返すし、付き合っていく人のレベルはだんだん落ちるだろうな。

わたしの嫌いなTさん(50代男)。
たぶん、頭部に外傷を負ったかなんかだろう。
へんな多幸感があり、同じことばかりしゃべっているが、どうも過去は、毎週ゴルフに出かけるような人だったらしい。
ちゃんとした仕事についていたということだな。
気の毒だが、相手にしようとは思わない。

Hさん(40代男)。
元○井物産社員。入社後、まもなく統合失調症を発病。
最初の症状があまりに酷かったらしく、閉鎖病棟で2週間拘束されたのち、障害年金永久2級となる。
いまは、社交的に話すことはない。たまに具合が悪くなって、家にこもっている。

Yさん(40代女性)。
非常に勉強ができたらしく、教科書は見ただけで丸覚え、京大に余裕で入るはずだったが、その過程で統合失調症を発病。
いまは、ポカンとした人になっている。昔の写真を見せてもらったが、表情やたたずまいが別人のように違う。

ざっと考えただけでも、これくらいはいる。
これらの人たちが、いまより裕福に、しっかりした社会的基盤を獲得することは、まずないだろう。
そういうあきらめや悲哀が、身体からにじみ出てくるのかな。
いや、そういう人もいるかもしれないが、多くは気づいていない気もするな。
徐々に、精神病にむしばまれていく感じか・・・。

そして、わたしは自分のことを考えた。
「わたし一人が、例外であるはずがない」。
わたしの見た目のどこが、へんだろう?
精神病臭さが出ているとしたら・・・、もしやファッション??
精神病の中年女が、若くて似合わない流行の服を着て、平気な顔をして歩いている??
若いってほど若くもないんだが、最近、かなりワイドパンツをだぶだぶに着崩しているからな・・・。

わたしは、ほかの精神病患者のように、まだ自分の外見をあきらめたくない。
ワイドパンツ自体は、大丈夫だろうと思う。
しかしこれを、たとえば今度の、大学同窓会で着崩したら、アウトかもしれない。
いままでは、「見かけがどこも悪くないじゃない」と言われてムッとしていたが、これからはその言葉に安心することにしよう。

正常な人たちの間に紛れて生きる。
これは、これからのわたしのテーマになるかもしれない。
そしてその裏には、「ただふつうに見られたいだけ」という気持ちがある。
ふつうが何か、わからない状態で難しいけれど、相手の反応を鏡にして、慎重に生きていこうと思う。

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チョウチョを追う女

chocho

昨日も一日中、FMを聴きながら考えごとをしていた。
そしてそれは、元彼Sちゃんのことになった。
「あの人って、社会的通念とか常識とか、何でも教えてくれる辞書だなー。たまに外に連れ出してくれるし、なくてはならない存在だ。でも、Sちゃんにとって、わたしって何者なんだろうな」

このことは、H主治医との間で、「たまに食事をおごってあげて、楽しく会話するキャバ嬢」という話で落ち着いている。
しかし、わたしはSちゃんが、室町時代から続く旧家の長であることを考えると、べつの見方が出てくるのだった。

「実際、仲良くみえてあの家はへんだぞ。本家をジャンケンで勝ちとった3女は、生まれ育った宮崎から、まったく知らない土地に嬉々として出てきて、自ら父・祖父・祖母3人の介護予備人。旦那は一日たりとも家にいない。おじいちゃん(元彼)と娘と孫が、家でべったり。本家って、そんなに魅力的なんか? なんか気持ち悪い・・・」
さらに言うと、Sちゃんは娘のことを、娘たちと呼ぶから、仲良くしてんのかなあと思ったら、どうも男の子を産むまで各自頑張ったらしい。
なんであんなに孫が多いのかと思ったよ。
早くから、後継者争いしていたんだね。

Sちゃん自身も、強い一族意識があり、先祖代々の土地・財産、系譜、などにすごい執着心を持っている。
次の代は、3女の旦那というわけだが、わたしはたぶん、他所から来た男に、○代目を継がせるのって、Sちゃんはかなり嫌だろうなと思って、知らん家なのをいいことに、ズケズケ訊いてみた。
「その、日本全国を飛び回ってる婿って、ほんまに跡継げるの?」
「ちゃんと言って聞かせてある。もし駄目なら、俺が、娘と孫を守る」
「ええ~?」
「どうせ、あいつには相続権はない。全部、娘のところにいくからね」
「えええ~~!!」

・・・なんか、すごいことを聞いたような気がした。
それって、姑と嫁の関係だと、「子どもさえ産んだら、あなたは実家へ帰っていいのよ」って話では・・・。
とするとやっぱりSちゃんは、可愛がっている孫に、絶対次の座を継がせたいよな。
Sちゃん、長生きする気だな。野望を感じる・・・。
やはり、外から感じるこのきな臭さは、事実無根ではないな。

さて、そんな犬上家の一族におけるわたしの役割は、屋敷のそばの田んぼで、チョウチョを追っているキチガイの女である。
一族の初老の長は、女のキラキラ輝く目と相反する残酷な言葉に、なぜか安らぎを覚え、ときどきあたまを撫でたり飴をやったりする。
って、なんか手塚治虫の漫画に出てきそうな設定だが、わたしは妙にリアリティを感じるな。
キャバ嬢より、こっちの方が説得力があるんじゃないか。
ふつうの人が、わたしにまともに相手をするわけないもんな。
キチガイ女か・・・、まあいいだろう。

そんなことを考えていたら、3・4日ぶりにSちゃんに連絡を取ってみようと、ラインをした。
しかしかなりの間、繋がらず、聞けばゴールデンウィーク前の仕事が押している、ということだった。
明日も仕事だ・・・、と声が疲れていたので、酒飲んで風呂に入ってください、と言っておいた。
Sちゃんはほかにも、地区の誇り高いナンダカの副会長をしていて、ゴールデンウィーク中は、そっちも忙しい。
一日中、FMを聴いてゴロゴロしているわたしとは、対極にあるな。

なんというか、Sちゃん一族を見ていると、骨肉の争いをしている人々って、パワーがあると思う。
守るべきものがあると、人間強くなるっていうけれど、いい意味でいうとそれか。
わたしもちょっとは見習って、欲を出せばいいのかもね。
チョウチョっていう、ささやかなもんでも探すか。

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FMと過去と未来

kaeru

昨日は、小雨のなか、部屋でFMを聴きながら、猫と寝そべっていた。
それにしても、ヘタな日本語ラップで、HeyとかHere We Go とか、恥ずかしいからやめてくれんかね。
10年後には、絶対、当の本人が恥かくって。

さて、天井を見ながら、わたしはまた自分の過去と未来について、ボンヤリ考えていたのだが、障害を負ってからこの17年間、わたしはほぼすべての人に、もとのふつうの人間として、接してこられなかったのだなと気づいた。
わたしは、いわば「事故であたまに外傷を負ってから、性格が変わり、言うこともすることも、おかしくなった人」なのである。
双極性障害(躁うつ病)っていうより、そっちの方が理解されやすいんじゃないかな。

去っていった友人たちには、そのことを知ってもらいたかった。
「こんな人だとは思ってなかった」ではなく。
外傷を負った場合でも、「こんな人とは話ができない」と去っていくのはわかっているけれどね。
その方が、正常だったときの自分が守られるというか。
今後話をする、主に大学関係の友人には、そういう説明の仕方がいいかなと思っている。

デイケアのPSWは、完全に患者を「おかしくなった人」と見ているので、非常にプライドを傷つけられる。
確かに、行動は正常のときとは同じにはいかないんだけれど、できていた自分を知っているし、記憶はあるわけだから、子ども扱いされると、当然腹が立つ。
それと、どうもお勉強方面において、患者の方が上だと困るらしい・・・?
ある見た目妖精ちゃんが、難しい英語の格言をスラスラ書いていたのだが、まったく無視であった。
サッカーやお花見なら、いくらでも話すのに・・・。
思想や宗教、政治など、確かにNG話題はあるが、正常者としてのプライドがあるんだろうなと、わたしは思ってしまった。
プロとして、まったく尊敬できない。

それから、母さえも、むかしの続きが、いまのわたしと思っているんじゃないかなと思った。
なぜなら、わたしに対する態度が、必要以上に険しいからである。
つまり、母にとっても「こんな子だとは思ってなかった」という形になっているのではないかな。
わたしは、37歳のとき、死んだんだけどな。
「この人は、事故のあとで、おかしくなってしまった、ちょっと気の毒な人」だったら、わたしはかなり楽だと思う。

そのあとで、わたしはずーっと天井の角を見つめたまま、「もしかして、自分も自分自身に、騙されてるんじゃないかな」と思った。
自分さえもわからなくて、宙に浮いている・・・、これが狂うっていうことか。
同級生たちを思い浮かべる。
みんな、どういう形であれ、正常なあたまのまま生きている。
成功した人も、ヘマをした人も、わたしからすれば同じだ。
成功を自慢する人がいたら、本心で「へーすごいね」だし、ヘマをした人には、寄り添わず「ふーん。そっかー」である。
税金を払って、社会に参加しているだけで、みんな偉いよ。
わたしは、社会に参列することさえできない。
まったくこんなつもりじゃなかったけれど、どうやらもう、あがいても仕方ないみたい。

そんな感じで、ずーっとFMと考えごとの一日だった。
そういえば、FMではしきりにGWという言葉を聞いたな。
そういう時期なのか・・・。病気になってからは、関係ないな。
あの<事故>のとき、過去と未来が切断されなければ、GWを楽しみに待つ自分がいたのかなって、昔懐かしく思うね。

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味噌汁の恨み

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今朝、目が覚めてあまりに身体が重いので、うー・・・って感じだった。
昨日、一日中、デスノート4~8巻を読んでいたからだ。
ほんとに疲れた・・・、これくらいの作業が、わたしの一日分の限界である。
もう、今日は寝たきりだと思いながら、朝食に下りていく。

食卓では、なんだかツンケンしている両親の姿があった。
たぶん、昨日母親が、「味噌汁も食べたら?」と、満腹の父親に駄目押し、父が腹を立てたことを、まだ引きずっているのだ。
母は、昔ながらのおばあさん気質と言おうか、そばにいる人に、なんでもかんでも、「これ食べたら?」「これあげる」と、自分の食べかけを出したりする。
ほんとうに要らないと言っても、次から次へと、「これは?」「あれは?」と勧めてくるのだ。
まえに鮎を食べに行ったとき、自分の食べかけの3分の1を、わたしと父に与えたとき、わたしはこの人は、誰かと一緒にモノを食べに行くことの意味を、まったく把握していないなと思った。
そうして、昨日もなにかを勧めて、父が「要らん」と言ったのに、「じゃあ、味噌汁を食べたら?」と余計なお節介をしたのである。

「あの人、難しいわ」
と母は父がいなくなったあとで言った。
「でも、要らんって言うてんねんから、それで充分ってことやろ? べつにそれ以上、勧めなくてもええやん」
「でも、味噌汁があるのに・・・」
「だから、お腹いっぱいになるから、要らんって言うてんねんやろ」
「でも、これだけしかないのに」
母は、オムレツを示し、自分はそれだけで満足しているのに、矛盾したことを言う。
「これだけで充分やで。それに、父親もいろいろ考えたいことがあるんやろ」
当然だ。昨日、ガンの治療を終えて、入院から帰ってきたのだから、なにもかも忘れて、パクパクものを食べている方が、変わっていると思う。

「あんたも、お父さんとそっくりやわ。変わってるわ」
双極性障害の心得を知らないまえのわたしだったら、ここで暴れているな。
それにしても、この人は、自分がいちばん正しいとでも言うんだろうか。
「人には、他人との距離があって、ここから入るなっていうラインがあるやん。そこに足を踏み入れたら、攻撃されるねん」
「・・・・・・」

母は、どうも不満そうだった。
彼女は、ほんとうの女性で、とにかくしゃべり方が女だ。
「ねー」「そうよね、ねー」とか言って、人の噂や悪口を言い合う。
今回も、わたしに「お父さん、変よねー」って言ってほしかったんだろうな。
でもわたしは、自分の食べかけを次々と、周りの人に与える人の方が、ドン引きするわ・・・。

そうして、わたしは思った。
確かに父は、3年前脳梗塞をしてから、ちょっと頑固になってはいるが、母の方も、同じようにキレやすくなっているんじゃないか?
こんなに文句を言う人だっけ・・・。
味噌汁を断られたくらいでプンプンするって、どうも理解できない。
父が亡きあとは、今度はわたしがターゲットになるんだろうか。
そのとき、わたしは暴れてはいけないので、なにを言われてもあたまの上でスルーしなきゃいけないな。

これからのわたしは、自分を信頼せずに、自分のことをこころから考えてくれる母を、信じていかなければならない。
その結果、無表情になって、「ふーん」「へー」とか言ってるかもしれないな。
つくづく、うちの母親って、サラリーマンの旦那に無視されるタイプだよね。
自分の意見が正しいのを前提に、旦那に不満を言って、思ったとおりの答えを求めるって、ほんとうざいわ。

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過去とこれから

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昨日、入院している、父のいない食卓で、母と二人で夕食を摂った。
わたしがテレビを嫌うのを知ってか、母はそれを点けようとはしない。
しばらく、しーんとしたなかで、黙々と食べていた。

なにかのはずみで、わたしは気になっていることを口にした。
「Sっていう抗精神薬やねんけど・・・、あれ怖いねん・・・」
「なんで?」
「足にこんなケガするし、これからもやりそうな気がするし、だいいちネットが怖いわ。睡眠薬を飲んでるときって、理性がぶっ飛んでるから、あの調子でネットを触られたら困る」
「でも、このまえ二階で電気が点いてたのは、ただ点けて寝てただけかもしれんやないの」
「そんなこと、ママさんする?」
「でも・・・、病気やから」

病気だって、起きて電気をつけて、なにもせずに寝たりしないよ。
でもそのあたりは、恐ろしい想像をしたくないらしく、どうしてもその意見を通したいようだった。
正常な人は、自分に理解できないことは、自分の意見を患者に押しつける。
これ以上、あたまのおかしい方が主張すると、言い合いになるな・・・。

「・・・・・・、これっていう、バッチリな薬が見つかれば、いいけどな」
「そうやなあ。RMっていう薬が入ってから、ようなったな」
「ひどいうつがなくなったからなあ。あれを飲んでから、たぶん波が小さくなって、躁も浅くなってるねんで」
「そうやなあ。まえは、ほんまにひどくて」

ここからは、母とわたしの二人とも、もう思い出したくない悪夢だ。
わたしが病気になりたての、30代後半、ほんとうにひどい嵐の中で、家の中も外も、すさまじかった。
わたしには、記憶のないことがたくさんだ。
母は、まさに病人を抱えて、髪を振り乱していたという。
当然、自殺未遂もやっているし、訳のわからない衝動で、家では暴れ、病院でも暴れ(たらしい)、誰が見てもひどいことになっていた。
転機が訪れたのは、RMという精神安定薬を飲み始めてからである。
それまで重かったうつ期がなくなり、寝込むようなことがなくなった。
その反動で、暴れるような躁期がなくなったのである。

さまざまな困難を乗り越えて、わたしは患者歴17年目にしてようやく、双極性障害(躁うつ病)の患者は、どうすべきなのか知った。
要は、自分より相手の方が正しいんだと常に考え、慎重に物事を考え、人と親しくしない、ってところだ。
いま、わたしは「死にたい」なんて口にしている精神病患者に、「甘いね・・・」とハッキリ言うことができる。
そういうのは、口に出している時点で、やる気がないって、よく言われる通りだと思うよ。
苦しいのは確かなんだろうけれど、脱出口は自分で見つけるしかないのかもな、と思う。

しかしこんな偉そうなことを言っても、病気は簡単にはいかないもので、軽躁のわたしはつい、いたずら心を出して、ここまでは大丈夫なのかなと思ったことを、母に話してみた。
「わたしときどき、お坊さんのお経が聞こえる幻聴があるねん」
「知ってる」
「それでな、いまもし、葬式でお坊さんのハゲを見ながら、お経とポクポクを聞いたら、絶対笑うねんやんかー」
「・・・・・・」
「変?」
「変やわ・・・・・・」
母は、予想外に異様な顔で、わたしを見つめた。
あれ・・・、やっぱりそんなに? これ以上は話さない方がいい。
「外で、人としゃべらん方がいいな」
「そうやな」
父の葬式のときにやったら、それこそ自殺ものなのかもしれんな。
双極性障害における自殺は、だいたいは、躁のときやったことを、鬱のとき後悔して実行する。

気まずい雰囲気を取り払うために、わたしはべつの話をふってみた。
「じつは、いまの薬の量でも、あたまがボーっとするねん」
「そうなん?」
「スーパーで、数字とか商品がわかれへんねん。見てるんじゃなくて、眺めてるだけ。あたまの中で、考えがぐるぐる回ってるから、視覚から入る情報を脳が処理できへんねん」
「へえ・・・。じゃ、献立どうする、とかわからへんの?」
「わからへん」
「・・・・・・」
「障害者やな」
「障害者やな・・・」

結局、わたしはおかしな障害者として、生きていくことに間違いはないのだ。
父がガンで死んだあと、母とこうして静かに住んで、買い物はわたしがポカーンとついていくだけ。
母が亡きあとは、家も散らかして、適当なものを食べて、気ままにやって。
昔からある、精神障害者が家にこもり、訳のわからないことを言って、へんな恰好をして、でも本人は幸せそうに虚空を見ている、みたいな感じになるのかな。
あんまり、人間として充実した人生とはいえないが、自分が幸せだったら、まあいいか・・・。

わたしは、そんなことをあたまに浮かべて、ふと口にした。
「わたし、ずっと一人で生きていくねん」
「そうし」
母が、当然のように言った。
母からも認めてもらえる、狂人としての孤独な生き方。
自分なりに、楽しく精一杯やったっていえるものになるといいな。

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抗精神薬による体重増加

shougayaki

今朝、体重計に乗って、ビックリした。
「43kg台に乗ってる!!」

最近のわたしの体重は、41kgくらいで、ちょっと痩せすぎだと言われていたが、まあ自然にしていれば、そのうち適正体重になるだろうと思っていた。
だが、ちょっと前から、アレ? って感じで、ドンドン増えてきていたのである。
まえと同じようにしか、食べていないのに・・・。

わたしは、43の数字を見た瞬間、確信した。
これは、いま飲んでいる抗精神薬Sの副作用だ!!
抗精神薬Sは、食欲亢進と代謝異常を起こすとされている。
食欲はどちらかというとないくらいだったから、代謝が低下しているに違いない。

わたしは、眉間にしわを寄せて、考えた。
デブ薬Jと違って、爆発的食欲が出ないから、油断していた。
いったい、いつから増えていた・・・?
3週間くらい前? 3週間で2kg増えるって、しかも食べていないのにって、なにそれ?!
許せない・・・。

わたしは、健康的に美味しく食べて、適正な身体を持つぶんには、全然いいのだ。
嫌なのは、人工的に本能がやられるとか、代謝が勝手に変わるとか、そういう自分の意思に関係ないところで、なにかが起こることなのである。
だいいちこの薬、どこまで体重を増やすの?
患者同士の噂では、月15kgペースとのことだった。
そりゃ、こんなに代謝が低下したうえ、パクパク食べていたら、そのくらいいくよ。
脳をコントロールしなきゃいけないとはいえ、自分の体重までコントロールされるなんて、受け入れられない。
わたしは、診察時間のH主治医に電話した。
まえに、Sでフラフラになって飲み時間を変えたとき、自分でそんなことしてはいけませんと言われたから、問題はない。

「S減らしてもらったですけど、やっぱり夜中、起きてなんかしてるみたいなんですよ(本当)。母が12時頃に電気が点いてるって言うんですけど」
「眠剤飲んで、抑制のきけへんことをやるって、経験あるねんからわかるやろ」
「でも、いま足にケガしてますけど、またケガしたらどうしようって、怖いんですよ。階段落ちたらどうしようとか・・・」
「ハルシオンを・・・ハルシオンを・・・、もう、どうせ電話じゃ、どうにもならんやん!」
「必要があれば、出向きます」
「うーん。もう、そのまま飲むしかないやん。あー。×○△□・・・!!」
「じゃ、様子をみます」
「様子をみてください!!」

電話が終わったあと、わたしはさて、どうするか・・・と考えた。
H先生は、どうやら薬をやめる気はないらしい。
Sは、デブ薬Jほど凶悪ではないが、やっぱりかなり太る悪人だ。
妄想とか出たら嫌だけれど、自分にはいきなり10kg太るとか、絶対許容できない。
そこでわたしは、このゴールデンウィークを利用して、薬を自己中止することにした。
よい子は真似してはいけない技である・・・。

Hクリニックの休日がいつかは知らんが、わたしの診察は、ゴールデンウィーク明けである。
作戦では、そのときにこう言うのだ。
「まえから思っていたんですけど、やっぱり夜中、わたしはパソコンしてるみたいなんですよ(本当)。もう、なにをやってるのか気になって。もし、フェイスブックとかだったら、眠剤で抑制効かなくなってるのに、怖すぎです。だから、ケガのことも心配だし、4月末くらいに薬やめたんです」

一回電話したんだから、休みの日に再びかけなかったとしても、追及されまい。
しかし薬を出すたびに、なんだかんだとケチをつけまくる患者って、もうほんとうに嫌でたまらんと思う。
でも、わたしも精神科特有の、外観がガラリと変わるような副作用は、どうしても避けたいの。
夜中に理性の外れた自分がいるのが怖いのも、事実である。
デブ薬Jが、作用としてすばらしいものであることは、知っている。
でも、普通体型の人が、糖尿病になるって、どうなのよ・・・。
ちなみに、Jは「お医者さんが飲みたくない薬ランキング」に堂々と入っている。
わたしは、この薬をつくった人に、QOL(生活の質)って言葉を知ってるか? と聞きたい。

しかし薬をやめたら、H先生は困るだろうが、もっと困るのはわたしである。
またあの、軽薄・軽率で、上の空で、独り言をつぶやいている、なんだあの人になってしまう。
あれはあれで、しんどいんだよね・・・。
これからなんとか、許容できる副作用の抗精神薬が見つかるといいけれど。

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父のガン入院

kensagi

昨日、父がガンの治療のため、入院した。
死にかけではないが、血液検査の数値が、いきなり上がっているという。

入院は急に決まったらしく、朝から母はバタバタとしていた。
わたしが、「イヤホンは?」と言ったら、「ああ、イヤホン!」と、どうやら相当混乱しているようだった。
わたしは出る幕がなかったので、一人ぼーっと突っ立っていた。

両親が出ていってから、わたしは猫と、自室でFMを聴きながら、寝転がっていた。
最近、FMをつけるようになったが、「ボイスチェンジャーが入ってる曲がやたら多いな」とか、「ラップ、長生きしすぎだろ」とか、要するにあんまり聴いていないのだ。
そんで、ぽけーっと考えた。
父親、あんまり長くないんだろうな・・・。
このまま加速していけば、あと半年くらいなのかな。
父がいなくて、母と猫と三人の生活って、想像しにくいな・・・。

昼、階下に下りて、甘い菓子パンと食パンを食べる。
それからまた自室へ上がって、再び猫とごろんと寝た。
そして、いまさらながらの「デスノート・2巻」を読む。
全然あたまに入らないので、わたしは「これ、ラストは主人公が勝つか、引き分けだな」と、余計な想像をした。
なんでって、主人公には善良な家族がいるから。
主人公が死んだら、あの人たち、可哀想なまま終わってしまうじゃん。

と、既読の人からすれば、「違うよ!!」と言われるようなことを書いてしまったが、それくらいページが進まないのよ。
わたしはまた、ぽけーっと窓を見ながら、「わたしはいずれ、こうやって一人になるんだな」と、自分の将来をイメージトレーニングしたりした。
世間から隠れて、家の中だけで生活を営み、たまにジョギングしている謎の人。
これからもう、人からの評価をもらおうなんて、思わないな。

母が病院から帰ってくると、「耳栓も時計も買った」と言うので、わたしは「あーあ」とため息をついた。
「そんなん、わたしに聞いてくれたら、すぐ出たのに」←入院回数がやたら多い。
「プラスチックのコップも忘れた」
「基本やろ!」

わたしは久しぶりに、入院のことを思い出した。
とにかく壁が白いので、わたしは入院は大嫌いなんだよね。
それに反して、父は入院が好きらしい。
看護師さんが手厚く看護してくれるかららしいが、どうなんだろうな・・・、一ケ月もいたら、そんなこと言えなくなるんじゃないのかなあ。
色彩のある家や外に、戻りたくなるような気がする。
父の場合、次の入院は最後で、もう家に帰ってこれないとのことだから、あまり急がないように引きとめた方がいいかもしれないな。

そんな一日の終わりに、いつものポクポク、という幻聴が聞こえてきた。
お坊さんがあのナントカを叩きながら、なんだら~かんだら~って、お経を唱えているんだよね。
いまから言うのもなんだけど、葬式のときこれ聞いたら、吹き出しそう。
躁って恐ろしい病気だなー。
周りをどん底に陥れないようにしないと。

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街にいるキチガイ

densha4

昨日は、なぜかいっぱいの人が、連絡してきてくれて、こういうものは重なるんだなあと思った。
全員に対して、「躁だから、外に出れない」と語る。

3人のうち2人は、まえに入院していたH病院からの知り合いだから、すぐに理解してくれたが、残りの1人はスルーだった。
大学陸上部の同期なんだけれど、「躁で、へんな人になってるから無理」と言ったのだが、「いや、無理しなくていいから、調子がよければ食事に行こう!」という返事が返ってきた。
ふぅ。
100%うつ病と混同しているな。

双極性障害(躁うつ病)を、うつ病とイコールにしている人は、たぶんとても多い。
でも、実際の躁を見たら、さすがにふつうの人は、躁うつ病=うつ病じゃないって、わかるだろう。
もし、わたしがいま、目の前の知らない人と話をするとしたら、こう言うと思う。

「わたしはね、精神病で判断力がないから、人から見ておかしなことを言ったりしたりするのね。だから、あんまり人には近づかないようにしてるの」
「へえ?」
「だから、ふだんはだいたい、家にいるの。それでたまに、こうして外に出てきたりするのね」

じつはこの会話、わたし=キチガイに置き換えたら、ちょっと怖いものになる。
「キチガイはね、精神病で判断力がないから、人から見ておかしなことを言ったりしたりするのね。だからあんまり人には近づかないようにしてるの」
「へえ?」
「だから、ふだんはだいたい、家にいるの。それでたまに、こうして外に出てきたりするのね」

え・・・って、一瞬、ドキッとしない?
このやり取りは実際、わたしがH病院入院中の双極性障害患者さんから、聞いたものだ。
「キチガイは案外、表にたくさんおるで。隠れてんねん。△×□○十▽・・・」←意味不明。
そのときは、ふーん? と聞き流したが、いまになって、とても意味がわかる。
というか、正しい。
わたしだって、街に出ればもと閉鎖病棟患者のキチガイが、堂々と服を着て歩いているんだもんな。
ほんとに、いわゆるキチガイって、あちこちに存在していると思うよー。

というわけで、わたしは正常な人々に、自分のことを説明するときに、正しく伝えようとしたら、やっぱり病名じゃなくなってくるなと思った。
「自分は判断力、社会性、人間構築力がなくなっている。脳の障害」
「障害があるゆえ、基本は一人でいる」
この方が、わかりやすいんじゃないかなー。
うつ病と間違われると、躁のとき動き回るわ、偉そうにするわで、総スカン食うのが間違いなしだしな。

軽躁のせいか、将来そんな自己紹介をしながら、ふふといたずらするのもいいなと思う。
そのときのわたしは、伏し目がちで髪をまとめ、コーヒーを手にする謎のばあさん。
バカな空想ばっかりしているけれど、なんの展望もない人生だから、そのくらい夢を見てもいいよね。

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診察室での攻防

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昨日は、Hクリニックへ向かう電車のなかで、診察で話すことをまとめていた。
診察は5分間なので、自分に有利な成果をあげるためには、こっちが弾丸のようにしゃべらなければならない。
H主治医はあたまが超速いので、遅れをとってアワアワしている場合じゃないのだ。

「おはようございます」と言って、しばらく20・30代の写真を見せてから(まだやってる)、わたしはようやく本題(診察・・・)に入った。
「先生、あの新しい薬、駄目ですよ!」
「ん?」
「これを見てください!」(ケガした脚を挙げて、見せる)
「んん??」
「ここ(額)に、たんこぶもできたんです!」
「・・・・・・」
「なんか、夜中に勝手に歩いてるみたいなんですよ! フラフラするんです!」

事情を把握したH先生が、カルテに向かった。
わたしは、いまの薬を打ち切り、Rという薬に変えてもらうという、困難なミッションの第一段階をクリアしようとして、医師が無視できない患者の切実な訴えをした。
「このままじゃ、とても怖くて飲めません!」
「ええっ?!!」
いきなり、デカイ声で、H先生はあたまを抱えてしまった。

「えええ~~!!!」(←精巧なコンピュータに、バグが出たので混乱中。)
あっ・・・!
予想外だ、ヤバい! 次、大きいのが来るぞ!!
危機を悟った瞬間、わたしは、牛のお産を励ます、牧場のおじさんになった。
「違う使い方、するとか!」
「――50!」(モー!)

ンモモ~~。・・・
よい仔を産んでくれた・・・、予想通りではないが。
つまり、いまの薬100mgが、50mgに減らすだけですんだ。
Rにはならなかったけれど、デブ薬Jにもならなくてよかった。
ひとまず、大きな変更はなしだ。セーフだ!

それにしても、こんだけわたしがリクエストしても、H先生が「もう知りません!」にならない理由の一つに、おそらく重症患者であることが挙げられると思う。
ふつうに考えて、精神病の重症患者と、まともに接していたのでは、折り合いがつかない。
たぶん、患者の特性を見極めて、うまく治療に結びつくようにしているんじゃないだろうか。
わたしの場合、「肥満恐怖症」を特性とし、なるべくそれに触れないよう、処方しているとすれば、H先生の振舞いも納得できる。

某掲示板によると、精神科クリニックは、重症患者ほど、看護師さんその他が優しく接するものらしい。
わたしもそれである。
軽めの人は会計だけなのに、わたしにはニコニコと「カワイイ服ね」などと、毎回話しかけてくれる。
なんでわたしだけ? と不気味だったが、そりゃ親に連れてこられて、外に聞こえるくらい診察室で怒鳴りまくったら、それだけで要経過観察の患者だよ。
わたしは、よくも悪くも、クリニックに甘やかされている。

サテ、終わったことを思い出していても、仕方ないな。
まずは、いまの薬でこの3週間を乗り切れるかどうかだ。
皆さんの慈悲に助けられて、かろうじて脳みそを維持できていることに、感謝しなければならないな。
ゴールデンウィークは、たぶん外は人がいっぱいだから、基本、外に出ないようにしよう。
脳の刺激になるようなものからは、なるべく一生、逃げ回るつもり。

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抗精神薬の変更に向けて

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サテ、一昨日ケガした原因の精神薬を、昨日朝に飲んでみたら、今度は眠気と脱力感で、一日どうにもならなかった。
これは駄目だ・・・・・・。

せっかくほかの副作用がなくて、喜んでいたのに。
わたしは「抗精神薬」というので、とても副作用を出す。
そして、こういった薬の副作用って、ものすごく嫌なものばかりなのだ。

例をあげると、
・肥満・食欲亢進・代謝異常。(1ケ月10~20kg級)
・じっとしていられない。(しんどいのに、這ってでも動く。)
・白目になる。
・姿勢が不自然になる。(首が傾くなど。)
・口・顔が不随意運動する。(これは、表に出られなくなる。一生治らないこともある。)

というわけで、生活の質を著しく落としてくれるものばかりなので、わたしは抗精神薬にあたまを痛めているのである。
本来なら、あたまを痛めるのはドクターだろう・・・、という感じだが、わたしの場合、すでにモンスター・ペイシェントとなっているので、H主治医は、その人をいかにだまして薬を飲ませるかに、腐心している。

今日は、Hクリニックに行かなければならないなー、とわたしは思った。
わたしには、どうしても飲みたくないデブ薬Jがあった。
でもこれ、H先生的に、第ニ選択肢に入っている。
いかに因縁をつけて、H先生に「仕方ないですね」を言わせるか。
因縁をつけるって変だな・・・、要するに、医師として撤回せざるを得ないような、患者としての訴えを、並べ立てるのだ。
このまえは、「太るから嫌です」ではなく、「いくら食べても満腹にならないから、困ります」と言った。
ドクターとしては、患者が困るような薬は出せまい。
しかしこの手はもう使ってしまったから、次はどの手を使うか、考え中である。

ほんとうのところは、わたしはようやく双極性障害(躁うつ病)患者として、薬であたまをコントロールしながら生きようと思ったわけだから、抗精神薬を嫌だ嫌だなんて、言っていられないんだけどね・・・。
吐き気とか、悪心とか、ふつうっぽい副作用ならともかく、白目を向いて、首が傾いているとかって、ほんとうに困るんだよなあ・・・。
わたしは、精神病患者の外見が、ちょっとおかしく見える理由の一つは、副作用じゃないかと思っている。
だからといって、病気を悪くしちゃ元も子もないんだけどね。

サテ、今日勝負したいのは、Rという薬にしたい、というリクエストを通すことである。
これは太るけど少しだし、いままで飲んできたなかで、副作用を出したことがない。
作戦としては、「先週、頓服で飲んだら、翌日に調子が戻りました」と、淡々と事実を告げることである。
医師のまえに、感情や意見は収穫にならない。

診察室に入ってみないとわからないけれど、あたまが超優秀なH先生は、わたしが話を切り出したとたん、「来たな、こう行くか」と、もう次の手を決めてくるだろう。
H先生のスーパー頭脳は、「このまえ、肥満を空腹感に変換しやがった」という、忌まわしい過去のデータを、決して無駄にはしない。
さらなる変化球を投げられたら、こっちはぐうの音も出ないだろう。
だがそのときは、「それくらい、この薬はあなたに必要なんですよ」というメッセージを、素直に受け取らなければならないな。
しかし結構、緊張するな。
やっぱり、なんだかんだ言って、ドクターに立てつくのって、怖いからね。

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躁患者と大阪のおばちゃん

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じつは、前回の診察から処方されている精神薬を飲んだら、あたまがフラフラになるのである。
それで先日、フト気がつくと、いつの間にか、おでこにデカイたんこぶを作っていた。
どこでぶつけてきたの・・・、と思っていたら、今度は朝方に「ギャー!」って飛び跳ねるほどの痛みを、左親指に覚えたのである。

でも、どうやらそのときは、痛みに耐えたあと、寝てしまったようだった。
朝起きると、ものすごく痛い・・・。
いったい、どこで引っかけたんだろう・・・。
なんとなく、内出血もしているし、左足を引きずらなければ、歩けない・・・。

わたしは、去年の今ごろ、同じようにケガをして、しばらく整形外科に通っていたのを思い出した。
あのとき、2週間くらいほったらかしにして、治りにくくしちゃったんだよな・・・。
診せた方がいいよな、これ・・・。
というわけで、自転車は大丈夫なので、それに乗って、まえの整形外科を訪ねた。
そこのT先生は、相変わらず、慇懃無礼だった。

「どうしましたか?」
「じつはわたしは、眠剤を飲んでて、ふらつくんですけど、朝方どこかにぶつけて、どういうコケ方したのか、わからないんです」
「ふーん。トイレには何回行くんですか。ふらつくのは、そっちの先生にね。じゃあ、診せてください」
その後、レントゲンを撮り、T先生はその写真をカチカチと拡大させて、「骨折はしてないですね」と言った。
「これは打撲と捻挫ですから、固定しましょう」
げ!

処置室で、ぐるぐる巻きにされていく足を見ながら、わたしは「これじゃ、ニューバランスが履けないじゃん・・・」と、去年の悪夢の再現を呪った。
そして、駄々っ子のような気持ちになり、思わずポロッと、「あっ、おでこにたんこぶもあるんです~」と隠していた軽薄な、軽躁患者の化けの皮をはがしてしまった!

T先生は、まったく表情を変えずに、ぼそっと「それはそっちの先生に」と言った。
看護師さんも、どこかよそを見ていた。
わーー! やっちまったー!!
軽躁患者は、これだから、あっちこっちで変な人だと思われるんだよー!!

しかしわたしは、こういうシーンはこれからもあるから、前向きに考えなければならないと思った。
そうだな・・・、この、ペラペラと何でも軽くしゃべる感じはどこかで・・・・・・、
あーーー!! そうだ!! 大阪のおばちゃんだ!!

それからわたしは、あたまの中で、「大阪のおばちゃん、大阪のおばちゃん」と唱えていた。
そうよ、わたしだって、大阪のおばちゃん。
どーでもいいことを、誰彼かまわずつかまえてしゃべり、手首をペコペコ屈伸させている人たち。
あれになったと思えば、軽躁患者はふつうの人になるじゃない。

だけど、処置があらかた終わったところで、「でもなんか、服装が違うな」と思った。
大阪ならではのヒョウ柄は、いまは埼玉かどっかに負けているらしいから、最近のトレンドはたぶん、黒地に大柄プリントの長袖シャツ、黒ゴムズボン、黒ぺたんこシューズ、やたら赤い口紅、ゴツイ指輪と結婚指輪、必ず短髪、みたいな感じだろうか。
うーん・・・。そういうファッション、嫌いだなあ・・・。

やっぱり、先日書いたように、サングラスをあたまに乗っけた、奇妙なばあさんになるか。
大阪のおばちゃんの方が、絶対生きやすいだろうけどなあ・・・。
しかし、大阪のおばちゃん、最強だな。
軽躁患者も負けていられないな。

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高齢者とインターネット

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フトなんか、想像してしまったのである。
昨日の、原因不明の痺れに悩まされていた、70代の叔父夫婦が、「インターネットっちゅーんのは、すごいもんじゃのう~! なーんでそんな、知らん他人のことまで、わかるんじゃ?!」などと言っていそうだと思ったのである。

インターネットを知らない人は、うちの両親を含め、この台詞をよく使う。
なんで何でもわかるって?? ・・・いや、それはたまたま、そういうのを見つけたり、検索で引っかかったりするんだけど・・・。
まずどうやら、「検索」の意味がわからないらしい。
何度説明しても、よくイメージが湧かないようなので、これは自分で使ってみなきゃいけないんだろうなと思う。

彼らにとって、インターネットは、まるで宇宙のように、暗くて広いものであるようだ。
その中に張り巡らされる、無数のピアノ線のようなものが、情報を走らせてチカチカと行き来している。
どういう形でそういうことになって、どうやって閲覧できるのか? 
インターネットっていえば、線で繋がっているんやろ?
それやのに、外国のものが見れるってどういうことや??
なんでそんな詳しいことが、一瞬でわかったりするんや??
わからん! 難しすぎてわからん!!

・・・というのが、うちの両親の見解である。
ネットがあるのとないのとでは、まったく生活が変わってくるのにねえ。
まーもしこれから、ケータイからスマホに変えたら、気が変わって、少し勉強するかもしれないけれど。
時代に取り残されると、なんか損をするよな。

そういうわたしは、「自分もいつの日かは、時代に取り残されるときが来るはず」と考えて、母に「デジタルとか、そういう新しいものについていけなくなるのって、何歳くらい?」と尋ねてみた。
「そうやな、60歳くらいやな」
「えっ、そんなに早いん??」
「まあ、そのくらいやったかな・・・」

えー・・・。
元彼Sちゃんは、ちょうど60歳だが、あの人現役だよ?・・・
しかしSちゃんは、もともとパソコンを改造するような人だし、仕事もまだまだ辞めないそうだし、希少なんだろうな・・・。

わたしはもう、隠居を決めようと思っているが、それにしても、どんどん変わっていく社会に、まったく乗り遅れるわけにはいかないな。
このパソコンだって、いつまでふつうのご家庭に、存在するかわからない。
すでにわたしは、ポイントだのチャージだのが、めんどくせえ! と思っていて、貧乏なくせに損をしているのだ。
精神病でじっとしていて、時代遅れのあたま、っていうのは、非常にマズイ。

時代遅れといえば、いまの高齢者も、「健康でいたい」と身体に気を使っている人はいるが、情報弱者であることに鈍感な人も結構いるな。
今回の叔父の奥さんの件だって、痺れの原因を本格的に調べてくれって言われたら、1日くらいでやれたかもしれないのにな・・・。
1年間も闘病してきたというから、このことは、絶対に言えないな・・・。
今後、どんな情報ツールが出てくるかわからないが、わたしもできる限りついていって、隠居生活なりに、うまく楽しく生きていけたらいいなと思う。

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くすりの副作用について

kusuri16

このたび、父方の叔父さんの、うつ病の奥さんが、とても具合が悪いということを聞いた。
なんでも、手足がしびれて、歩けないほどだという。
3軒の大学病院に行ったが、原因不明とのことだった。
このことは、一族のあいだでも、「Yさん(奥さん)、大変じゃなあ」とささやかれているそうである。

そんで、それを聞きつけた母が、「抗うつ剤じゃないやろうか」とわたしを見るのである。
えー、そんな振られても・・・、わたしは精神薬をよく知っている方だが、手足にしびれなんて、聞いたことがないよ。

でもほんの数日後、わたしがたまたま躁うつ病を調べていると、抗うつ剤で、手足がしびれるという人がいた。
わたしはあまり考えずに、母に「Rっていう抗うつ剤飲んで、手足がしびれるっていう人が、ネットにいたよー」と言った。
すると母は、「えっ」と表情を厳しくし、「Rな・・・。ふうむ」と考え込んでしまったのである。
そこでわたしは、軽躁のノリで、ペラペラと事情を話し始めた。

「精神薬っていうのはな、製薬会社が把握してない副作用が、いっぱいあるねん。そういうのはな、むしろ患者の方がよく知ってたりするねんで」
「・・・・・・」
「わたしが患者になりたての頃も、患者みんなが激太りする! って知ってた薬があったけど、医者がそんな副作用ありません! って言うて、でもいまはちゃんと副作用に入ってて、それ糖尿病の患者には処方せえへんねんで」
「そうなぁ~(大分弁)」
「あとな、やっぱり薬は飲んでる期間が、長ければ長いほど、副作用が出やすいねん。だから、あんまり長いこと、同じ薬を飲まん方がええで」
「はー」

ということで、母は知らないうちに、叔父にこのことを伝えたようであった。
じつは母は、最初から抗うつ剤のせいじゃないかと疑っていて、それを言い出す根拠が欲しかったようだ。
要するに、母にとっては抗うつ剤RだろうがPだろうが、なんでもよかったわけである。

しかし、このRがいきなりヒットした。
「Yさん、Rを飲んじょったんやて」と母は言った。
「ふうん」(←軽躁のため、上の空)
「製薬会社の副作用のことも、ちゃんと言うといたからな」
「ふーん」
「絶対、これやと思うわ。ゆみが正しいわ」
「ふぅ~~ん」

ナンダこのあまりの無関心は・・・。
考えてみると、こういう話って、精神薬では珍しくないんだよね。
わたしは結構、薬にはうるさくて、ネットや入院中に聞いた話を参考にしているけれど、そういうのを考えない人も、当然いるだろうな。

もしこれで、Yさんの不調の原因がわかれば、1年間に及ぶ症状がようやく改善されて、喜ばしいことだと思う。
それにしても、患者歴17年のわたしから言わせれば、わりと製薬会社もドクターも、副作用に関しては、鈍感なところもあるな・・・。
なんというか、ドクターは当たり前だけど、患者の訴えではなく、製薬会社の発表している副作用を信じているから、患者がどれだけ症状を言っても、それは副作用じゃないって否定するんだよね。
大学病院なんかじゃ、まず絶対、じつは訳アリの副作用なんか、探ってみようともしないと思う。
3軒回ってわからなかったら、案外近くに原因があるんじゃないかって、考え直してみるのもいいのかもね。
それは、どんな病気でも、そうなのかなと思う。

そんなわたしは、いままでどんな「躁を下げる薬」を飲んでも、全部強い副作用を出していたのだが、ナント酒をやめると、ピタッとそれがなくなった。
これまで、ずーーっと、「酒をやめなさい!」って言ってくださった先生方、ゴメンナサイ!
わたしは反省して、これからもしっかり襟を正して、躁うつ病のコントロールしていきます。

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大学同窓会の案内

joshikai

昨日の夜、大学学部・女子同期会の案内が来た。
これは、幹事がしっかりしていて、毎年行なわれるものである。
直近の3回は、わたしの方で具合が悪くなり、出席できなかった。

この会は、いつも名前がついているのだが、今回はある人が、小学校の校長になったということで、「校長先生の有難い訓示を聞く会」と命名されていた。
うーん、またか・・・。
この歳になると、出世している人は、出世しているんだよね。

わたしには、友だちと呼べる人が、もう大学関係しかいない。
だから、この集まりでは、人間関係のトラブルを起こしたくない。
とにかく、話題はふつうで、おとなしく聞き役に回ろう。
当たり前だが、酒は飲まないようにしよう。
そしてなるべく、連絡先の交換はしないようにしよう・・・、これは求められると、断れないが、連絡先を知ってしまうと、激躁になったとき、ラインのしまくりとかあり得るので、その予防策としてである。

それにしても、こういう会に出て来るのは、揃いも揃って、ちょっと名が知られている「ナントカ先生」ばっかりである。
わたしとは180°べつの世界にいることは間違いない。
50°くらいだったら、「わたしもこうだったのかな・・・」と落ち込んでしまうが、180°となると、もう何でも言ってという感じである。

わたしと同じ陸上部だったRちゃんも、グーグルで引っかかるようなナントカ先生なのだが、いつもわたしに優しくしてくれる。
もちろん、わたしが双極性障害(躁うつ病)1型という、キチガイになって暴れまくる、恐ろしい病気であることを知らないからだ。
彼女はいつ見ても、ツヤツヤの髪をくるくるにして、背を伸ばし、いかにもきちんと仕事してます、という風体になっている。
旦那は警察官で、自分はナントカ先生、子どもは二人とも、有名私立高校・大学、・・・うーん・・・、この人の悩みってなんだろう・・・。
人生には、浮き沈みがあって、トータルすると0になるっていうけど、わたしは生物界における自然って、そんな人間都合じゃないと思うけどな。
努力すればしたぶん、浮くとは一概に言えないと思う。
もっとも、人には、誰にもわからない苦しみがあるというが、じゃあそれって、わたしと比べてどうなんだろう? っていつも思うんだよね。
障害者ってそうなった時点で、不自由だし、一般社会から外されるし、孤独になるし、貧困になるし、しかもそれが一生続くわけだけれど、これほどの生き辛さを味わっている人って、そんなにたくさんいるのかな?

軽躁のとき、危ないのは、こうしたふだんから思っていることが、知らない間にペラペラ口をついて出ることである。
今回は、べつに誰に対しても悪意はないので、「そんなこと考えてたの!」にはならないはずだが、「障害者って大変やねんで」と、熱弁をふるって相手をタジタジさせる可能性はある。
こういうことを重ねて、躁病患者はだんだん、人から敬遠されていくのである。
だからわたしは、この度は、絶対に自慢も不幸話もしないことにする。
それをぐっとこころに念じて、あとは薬に頼って、昔の友だちを失くさないように、頑張ろうと思う。

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末期ガンの父に思う。

700kei

昨日は、両親が福岡へ出向いた。
末期ガンの父が、兄弟に会うためである。

父はいま、腹水が溜まり始めていて、最後ともいえる治療を始めようとしている。
ふつうに歩いているが、食欲がなく、お腹が張るという。
なんとなく、あと数ヶ月じゃないか・・・と思えてくる。

元彼Sちゃんちのお父さんもガンで余命宣告されているが、こっちはえらい気の使いようである。
「毎日、好物を買って帰るんだ」という。
「そんなに大袈裟なことしたら、勘のいい人なら気づくんじゃないの」とわたしが切り捨てたら、向こうは必死で、「いや、いつもこんなふうに、会社帰りに買ってきたりするんだ。いいところだけ食べて、残したりもするんだよ」と口数が多くなるのだった。
ふーん・・・、87歳だっけ? のお父さんでも、やっぱり死ぬとわかると、子どもは動揺するのかなあ。
人のことはわからないけれど、わたしは、父がガンでもう治りませんとわかってからも、平静である。
これって、躁うつ病だからなのかな・・・。
だとしたら、うつ期に入ったとき、不幸かもな・・・。

もう一つ、わたしが非情なのは、いまから葬式のことを考えているところである。
葬式には、同じく躁うつ病の妹がやって来るだろう。
お互い、会えば火花どころか爆発する、危険物のようなものである。
どんな顔をして、立ち会えばいいのだろう。
わたしにとっては、社会的地位のある義弟に、脅迫を行ったという事実があるので(←覚えていない)、この人になにを言えばいいのか。
やっぱり、黙ってやり過ごした方がいいのかな・・・。
父には悪いが、葬式は、険悪なムードになるかもしれないな・・・。

さらにわたしには、まだまだ考えなければならないことがある。
躁うつ病は、葬式や災害などにより、一夜にして大躁転することがある。
なのでいまのうちに、H主治医に状況を話して、軽躁を落ち着かせて、脳みそを安定させなければならない。
父の看病で忙しいときに、入院沙汰になったりなんかしたら、大変だよ。
でも実際、そういう例があるから、注意しないといけない。

と、勝手にこんなことを考えているが、父はなんか・・・、もういまのわたしを半分諦めている感じがする。
彼がほんとうに愛しているのは、病気になるまえのわたしじゃないかな。
先日、わたしの20・30代の写真をかき集めて見ていたが、40代の写真は取り除かれていた。
病気とはいえ、暴言・暴力を繰り返し、警察を呼ぼうとするところまでいった娘を、男親としては許容できないのかもしれないな・・・。
父のこころの中で消された、いまの自分に胸が少し痛むな。

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自分を嫌がる人々

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「双極性障害(躁うつ病)の人は、相手が嫌がっているのに気づかず、前に仲良くしてくれたときのその人と、同じだと勘違いしている」
昨日、当人が書いてあるものを読んでいたら、えっと反応してしまった。
・・・そんなことを言ってたら、わたし、いっぱい心当たりあるよ・・・。

10数年間、親友だと思っていた女友だちたちは、「仕事で忙しい」と言い始めて、だんだん離れていった。
あれはまさしく、彼女らが嫌がって逃げていたのを、わたしが気づいていなかったケースだろう。
あちらとしては、「こんだけ嫌がっているのに、なんで気づかないの?」って感じだったんだろうな。
わたしの方は、なにをした記憶もないので、なんだか前と雰囲気が違うなと思いながら、ふつうにしていた。
「桜の木は英語でなんと言うでしょう?」とキャッキャと誰かが質問したとき、わたしが答えたら、みんなが白けて無言でわたしを置き去りにした。
串カツを食べたあとで、「ラーメンを食べに行こう」という話になった瞬間、「ああ、ゆみがいるからな・・・」とみんなが沈んだ。
どこが悪いんだろう?
わたしからすれば、向こうがおかしいって感じなんだけれど、そういう病気なので、どうやらわたしの方が間違っているらしい。
もう、さんざんやらかしたあとなので、この子は昔のなじみで誘ってやっているだけ、って感じだったのかな。

元彼KJは、突然、連絡を絶やして、ほんとうにひどい人だと思ったが、あれももしかして、わたしの方が悪かったのか?
たいがい問題のある人だと思っていたが、人間関係って、相手を鏡のように映すっていうよね。
わたしが彼に、うんざりするような言動をしたんだろうか。
いまとなってはわからないが、その可能性はある・・・。
わたしは知らないうちに、近い人から順に、呆れるようなことをしたりするのだ。
すると、彼からのメールが、スケジュールだけの素っ気ないものになったのも、「もう気持ちが離れていること、気づけよ」っていうサインだったのだろうか。
東京―大阪の遠距離だったから、そのうち消えていくと考えたのかな。
わたしから、彼に会う手段はなかったからな・・・。

そうすると、考えずにいられないのは、元彼Sちゃんだ。
Sちゃんはこのまえ、わたしのことを「支離滅裂が半分、正常が半分」だと言った。
そんなの、ふつうだったら付き合いきれない。
Sちゃんは、去年11月頃から、腰が痛いのを理由に、毎日のスカイプをやめている。
しかも、いまはSちゃんからではなく、こちらが一方的に連絡を取っているだけだ。
前例からいうと、Sちゃんもわたしを嫌がっているかもしれないな・・・。
でも、キチガイで可哀想だからという理由で、相手にしてくれているのかもしれない。

するともしかしたら、いままで接してきた人すべてが、わたしのことを嫌がっているのかもしれない。
わたしはつくづく、もう今後の新しい人付き合いは無理だと思った。
いろんな理由をつくられて、騙される自分が惨めだ。
しかし、付き合いをやめると言っても完全にはいかないから、これからは相手の表情とか、出方を見て、こちらが反応しなければならないと思う。

それにしても、自分が正しいと思ったことがすべて間違っていて、相手の方が正しい世界って、誰か想像してみてくれるかな。
身動きできなくなるよね。
「自分を信じて」っていう言葉があるけれど、自分が信じられなくなったら、半分自殺したも同じよ。
他人がポジで、自分がネガ。
まるで、他人の人生を送っているみたい。

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将来への空恐ろしさ

futon2

昨日の昼、あんまりあたまの中が、考えや音楽でうるさいので、頓服薬を飲んだ。
すると、はじめソワソワしてじっとしていられなくなり、次に眠気が襲ってきた。

だるい・・・。
今朝も、起きられなかった。
まー躁うつ病は、軽いうつくらいの方がいいので、これでいいんだと思うが、もしこれが本格的うつになったら、やっぱり辛いだろうな・・・。

軽躁になって3年経つので、うつのことはだいぶ忘れたが、とにかくしんどくて、布団から出られなかった。
あの状態で、家事をやれっていうのは、勘弁してくださいって感じだろうな。
母親の世話とか必要になったら、どうなるんだろう・・・。
躁のときも、うつのときも、無理だろうな。

躁のときに家事ができないのは、あたまの中で考えが一日中ぐるぐる回っていて、手元がおろそかになるからである。
スーパーに行くまではいいが、店内に入ると、値札や商品が目に入らない。
あらぬところを、目がキョロキョロ見ているだけなのだ。
躁の患者は、なんでもできるようで、じつはなにもできない。

こんな、なにもできない自分を引っさげて、一生生きていくのは、大変だろうな。
なにもできないばかりか、躁で、ご近所を何度もウロウロして怪しまれたり(←両親がいなければ、もうやっている)、興奮して電話で変なことを叫んだり(←元彼Sちゃんが被害者)、「あの人、変」のレッテルに耐えなければならない。
より楽に生きるためには、早めに躁転を察知して、薬の変更をしてもらうことだ。
躁の大きさと、うつの大きさは、比例している。

元彼Sちゃんは、わたしの躁時代のことしか知らないのだが、先日わたしのことを、「支離滅裂が半分、正常が半分」だと言った。
わたしはビックリして、「そんなに正常が少ないの?!」と言ったら、Sちゃんは黙ってしまった。
えー? そうなの??
それは少なすぎる・・・。
でも思い出せば、H主治医に「元彼さんとは、どういう関係なんですか」と訊かれたとき、わたしは「たまに食事をおごってあげて、楽しい会話をするキャバ嬢ですかねえ」と言ったら、納得したようであった。
ということは、やっぱりそういう関係なのだ。
わたしの判断力がなくなっているのに対し、H先生は普通の人以上に、間違った判断はしない。

わたしは、周りに、ほんとうにわたしを正しく認識してくれる人がいないんだと思った。
というより、もう正常なわたしは、どこにもいないんだろう。
常に、危うい糸の上をブレながら落っこちている人。
これからの人生に、空恐ろしいものを感じるけれど、躁のキチガイ状態とうつの苦しみを我慢しながら、無難に生きていくしかない。

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失われた自主性

josei15

昨日は、自分の自主性について、考えた。
自主性なんか・・・、病気になるまえは、当たり前に持っていたものだ。
でもいまは違う。
脳に障害を負い、判断力がなくなっているのだ。

病前は社会人として、ふつうに働き、友だちもふつうにいて、みんなと楽しく交流していた。
旅行に行ったり、家でパーティをしたり、ドライブしたり。
笑顔の集まるグループが、絶えずわたしの側にいた。
一人での生活も充実していた。
なんでも自分で決めて、自分で行動し、自分の人生を切り開いていたのだ。

病気で倒れてしばらくは、混迷を極めた。
記憶があまりない・・・。
そこから、わたしの判断力は失われた。
周りからの非難を浴びる。
自分は正しいことをしているつもりなので、頑固に押し通す。
あきれられて、見捨てられる・・・。

いまのわたしは、間違ったことばかりするので、誰かの判断を仰がなければ、不安だ。
たぶん、この状態は一生続く。
周りは全部、わたしより目上の人。
母、H主治医、デイケアスタッフ、元彼Sちゃん。

しんどいのだ・・・。
一生、わたしは誰かの下で、言うことを聞かなければならないのかと思うと、胸が塞がる。
なにかしたいと思っても、それ、間違ってるよと言われれば、わたしはためらうだろう。
我慢ならないのは、自分の子どもくらいの歳の女の子に、「それ間違われたら、困ります」と、上から目線で言われることである。
たぶん彼女にとっては、わたしはもともと、会議の資料を忘れて、手ぶらで退室するようなボケた中年女性なんだろうと思う。
でも、よく考えたら、そんな人が13年間も社会人が勤まるわけがないのだ。
知らないのか、想像力がないのか、たぶんあれはずっとああだろうな。
給料をもらっているわけでもないのに、なんでそんな人の言いなりにならなきゃいけないんだ。

曇り空の下、パンを買うために自転車をこいでいたら、ふと「一人になりたいな」と思った。
すると、切り開かれた真青な空と川と、風を受けているサングラス姿の自分が、浮かび上がった。
たった一人で、近場であちこち出かけて、気ままに生きているおばあさん。
ふーん。それもいいかもね。
そうなるためには、どうすればいいのかな・・・。

たぶん、わたしの自主性は、人とのつながりを閉ざすことでしか、成立しないと思う。
わたしの場合、自分から動けば動くほど、アリ地獄のように周囲に迷惑をかけるからだ。
でもじゃあ、どうすればいいか、まるで答えが出て来ない。
しかし、このまま負け続けているわけにはいかない。
まずは、自分のコントロールの仕方をマスターしなきゃ。
友だち同士、楽しく老後を迎える夢は消えたけど、一人でもそれなりの人生だったって、最後は締めくくれるようになりたい。

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躁の症状

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昨日は元彼Sちゃんと、久しぶりに話した。
しかし、軽躁のわたしは、ペラペラ早話になっているので、Sちゃんの会話の遅さに疲れた・・・。

躁患者のペラペラ話は、ひどくなると、しまいに何をしゃべっているのか、意味不明になることがある。
わたしはまだ、そこまでではないが、Sちゃんが一息呼吸している間に、かなりのワードをしゃべる。
そして、もっと早く! もっと早くしゃべり終えてくれ! と話が終わるのをイライラして待っている。
「わたしはもう、結論が知りたいから、早くしゃべってくれへんかなあ?」とお願いしたところ、「ふつうは相手を怒らせないように、周りからじっくりと、申し訳ありませんが、とか言いながらしゃべるもんでしょ」と言われてしまった。
うーん・・・、そんなもんかなあ・・・。
最近のわたしは、自分の障害をなんとなく把握して、大抵のことは、自分の方が間違っているんだと思っている。

それで、Sちゃんが、わたしの父のガンの話をしているのに、即座に自分の父親のガンの話に切り替えたことにも、じっと我慢して耐えていた。
あーしゃべりたい・・・。
Sちゃんは、自分の会話を遮られるのが大嫌いなので、わたしは仕方なく「そこんとこ、はしょれるだろ」と椅子をくるくる回していたが、やがて一方的に情報が入るのが苦痛になって、脳が勝手に思考停止してしまった。
わがまま言うけど、躁患者が黙っているのって、相当苦しいんだよ。
なんでそんなSちゃんと話さなければならないかというと、たんに友だちがいないからである。
親友を失くしたのは、たぶん妄想と解離性障害のせい。
妄想って、わたしの場合、一つのことをグルグル考えていると、次第に大きくなって、「~かも」「~に決まっている」「~しなければならない」という具合に、発想が飛躍して、とんでもないことをするのだ。
内田裕也が愛人宅に忍び込んだって聞いたら、わかるわ~って思う。
なんとなく、妄想を起こした躁患者がやりそうな感じ。

躁のときはほかにも、単語がポンポン出てきて、あたまが回っているような気がする。
ときに躁患者は、ユーモアにあふれるという話もある。
しかし、それもどこか軽々しい感じだと思う。
じっくり話をしてみたら、なんだかあんまり考えていないよなー・・・、とか、そんなのできるわけないでしょ・・・、とかいう雰囲気になると思う。

そういうわけで、わたしはどーも、軽躁の時期が長すぎるし、春からあまりにフワフワして、なにかとんでもない失敗をしそうなので、近いうちにH主治医に相談しようと思う。
人から軽蔑されたりバカ扱いされる躁の時期より、人間らしい判断のできるうつ期の方が、自由に生きられるよ。
うつはうつで、ものすごくしんどいんだけどね・・・。
ほんとうに、フラットな状態の健康な身体に戻れたらって思うよ。

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プライドを賭けたもの

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まだ一日中、考え事である。
もう、H主治医に言って、薬を増やしてもらった方がいいのだろうか。
でも、副作用がハンパないので、それも嫌だなあ・・・。
うつのときは軽躁になりたいが、躁のときはうつになりたいと 願うものである。

昨日も、自分のプライドについて、グズグズ考えていた。
わたしにとって、陸上競技は人生の半分なのに、デイケアでは誰もそのことを知らなかった。
言っていなかったから当たり前なんだけど、そうだとすれば、いままで10年間、わたしは誰だと思われていたんだ??
なんかゾッとする・・・。もしかしてわたしは人格について、大きな勘違いされていたのか。

人は、ほんとうに自分がプライドを賭けてやっていることは、案外誰にも言わない気がする。
「いい声ですね、コーラスやったらどうですか」とある男性にたまたま言ったら、「じつはもうやってて、学生時代は東京芸術大学で一緒にやらせてもらってた」とかいう人が出てくる。
その人に、「いまはどんなのをやってるんですか」と訊いても、もう教えてくれない。
「これ、イタリア語ですか」
「うん、まあね」
って感じである。

そういえば、元彼Sちゃんはどうだろう。
あの人は、わたしが人生の半分を賭けた陸上競技について、なんにも知らないと思う。
Sちゃんは、これからのわたしの人生の道標なのに、わたしの半分を知らないなんて残念だ。
けれどSちゃんは、陸上競技を、中学生のクラブ活動と一緒にするのは、目に見えている。
だから、コーラスをやっていた人と同じく、言ってもわからない人には言わないのだ。

ところで、わたしが100メートルのタイムを言いたがらない理由がもう一つある。
古いのだ・・・。
もう時代が過ぎて、女子100メートルは、11秒台の世界に入っている。
あんまり書くとバレてしまうが、じつはわたしの▽歳下に、11秒台の日本新記録を樹立した人がいて、それがしばらくの間、大阪記録になっていた。
つまり、わたしの選手時代から、すでに女子は11秒台だったのだ。

それが、一般の男性からすれば、「12″△ってすごいね」という誉め言葉になる。
いや、違うんです、・・・と元選手は、笑顔と別に下を向く。
誰もわかってくれないよな・・・、誉めてくれているんだから、ちゃんと感謝しないと。
でもやっぱり、本人としては、恥ずかしいのである。

だから贅沢を言うと、陸上競技をやっていました、タイムはこんだけです、まではいいんだけれど、「自分はこれだけ(だからあなたはすごい)」と言われると、いやそれ競技じゃないし、女子にはもっとすごいのがいるんですよ、という羞恥心が駆け巡るのである。
うーん。やっぱりなんか、わたしが熱くなりすぎなのかもな。
でも、プライドを賭けたものだったら、どんな人でも、そのことに触れられると、簡単にペラペラ喋らないし、わりと謙遜しつつ相手の出方を見たりするんじゃないかな。
よくわからないけれど、わたしはそんな気がする。
昨日も書いたけれど、自分のメダルとか宝物って、ホイホイ人に見せないんだよね。

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陸上選手生活

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昨日も、考え事。
もう、ほんとうに躁だな・・・。
あたまから、考えが次々湧いてくるんだよね。

H主治医に、わたしの20・30代の写真を見せたわけだが、そのとき先生は「陸上選手であった」ということに、興味を示していた。
それ、わかるんだよね。
一流大学医学部に入るような人にとって、ふつうの有名大学に入った人なんてどうでもよくて、むしろスポーツで大学に入りました、の方が「ほお」になる感じ。

わたしはH先生が、デイケアの精神保健福祉士(以下スタッフ)に、「○○さん(わたし)、短距離選手やったって」といかにも言いそうな気がした。
Hクリニックは、医師・看護師・デイケアスタッフの連携が強く、とにかくどんな情報でも共有し合っているのだ。

もしそんなことがあれば、たぶん・・・、スタッフの頂点にいる40代男性が、驚愕しそうだな。
だってあの人、自分がスポーツ好きで、なんでもやれることを、ちょっと自慢していたからな。
まさかあの、あたまがおかしくてチャラチャラ着飾っている中年女が、元陸上選手で、100メートルが12″△(←そこらへんの男子には勝つ)だったなんて思っていない。
さりげなく筋肉を見せびらかしていた人だから、10年間、騙されていた感じになるかもな・・・。

だけど仮に、そうだったとしても、そんなの、普段から患者の経歴について無頓着なのが悪いと思うよ。
昨日も少し書いたけれど、患者の社会復帰を目指すなら、そもそもその人が、どういう人だったのかを知らないと、本人の特性が生かしきれないわけじゃん。
わたしは陸上選手のあと、フィットネスルームでインストラクターをしていたが、そういう仕事はないにしても、この人はアクティブだから、とかいろいろ考えようがあると思う。

わたしがこの10年間、陸上選手生活を黙っていた理由は、たんに訊かれなかっただけである。
職業を訊いてくれたら、その話に繋がったかもだけど・・・。
「言ってくれればよかったのに」ともし言われたら、「そんなの自分から言うわけないだろ」って思う。
競技選手にとって、タイムはいわばメダルなので、「見せて」と言われたら見せるけど、価値のわからん人に、自分からホイホイ見せないものである。

なんかケチくさい話になってしまったが、もう一つどうでもいいことを書くと、過去において、男性がわたしのタイムを訊いてきたとき、必ず「自分は50メートル・6″×」だったって、言い返してくるんだよね。
でも、テレビで陸上競技を見てもらったらわかるように、あれは体育の授業じゃないんだよ・・・。
それで、少しリアクションに困るんだよね。
だから万が一、スタッフになにか言われたら、へへへって笑ってごまかそう。
それは、正常だった自分を守るためでもある。
陸上選手だったときのことを、キチガイのわたしがキチガイ語でしゃべったら、過去の自分の名誉に傷がつく。

デイケアでは、ボーリングなどのスポーツもあるが、わたしはほぼ参加していない。
もしも、スタッフがわたしの陸上選手生活を知ったとすれば、「なぜスポーツしないんですか」と言われるかもしれない。
でもそれはなぜかって・・・、スポーツと競技は違うからですよ。・・・
スポーツは楽しむもので、競技はパフォーマンスを出すために頑張るもの。
わたしは、スポーツはあんまり好きじゃないんだよね。
まーもともと、団体競技向きではなかったけれど。

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過去の写真

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昨日は診察で、H主治医のリクエスト通り、わたしの20代の写真を見せた。
H先生は、意外とじっくり見てくれた。

「ほう。陸上選手やったん? 短距離?」
「はい。大阪で1番だったんですよ~」
「へえー。どのくらいで走るの」
「12″△です」
「ほー。僕は50メートルやったら、6″×やけどね」

写真集には、社会人になってからもやっていたマスターズ陸上の記録が、たくさん残っている。
それから、仲間でいてくれた、たくさんの過去の友だち。
「あんまり大勢いるんで、びっくりしました」というわたしのコメントに、H先生は返事しなかった。

「150円」
「は?」
「この頃のビールは、150円やったんか」
H先生は、オフィス街の居酒屋ののぼりを見て、そんなことを言っていた。
「あと3冊、また見せてくださいね」
「え? まだ見るんですか」
「そうですよ! 患者さんのことを知るのはいいことです」

それは、まあわかる。
患者が病前に、どういう生活を送っていたのか。
確か、理学療法士の学校でも教わったな。
リハビリテーションとは、その人をもとの社会に戻してあげるという意味で、だからこそ、その人の前の生活がわからなければ、成り立たないのだ。

そのあとで、H先生が「花見のときは大変やったな・・・」と言いかけたので、わたしは4月のスケジュール表を、デイケアルームのテーブルに置き去りにした件で、「持って帰ってもらわないと困ります」とスタッフに注意されたことを話した。
それはわたしにとって、まるで会議のあと、書類を全部放ったらかしにして退室し、「なにをしているんだ」と上司から叱責されるくらい、あり得ないことだった。
「まあ、それは悪気に取ったらあかんよ。スタッフはそんなつもりで言うてんとちゃうんやから」
「でも、(昔の)わたしなら絶対しないミスなのに、”ちゃんとしてもらわないと困ります”って言い方されると、ショックです」
「・・・・・・」
「脳卒中の人でもそうですよね? いままで簡単にできてたことができなくなって、しかもそれを他人に指摘されたら、絶望ですよね」

・・・わたしって、ほんとうにタチの悪いクレーマーである。
こういうところが病気なんだよ。
でも、なんで精神科のリハビリテーションって、あんなに画一的なんだろうな。
それぞれ、学歴や職業や生活、すべてが違っているのに、みーんな同じ指導の仕方。
その人の、病前の生きざまがどうであったかなんて、まるで無視である。

わたしは、「今後、一人ぼっちで生きていく案」も話してみた。
「躁うつ病の患者って、いきつくところはソレだと思うんですよ。過去に同じことを言ってる躁うつ病患者さんもいました。結局、人と触れれば迷惑かけるので、自分が一人になるのがいちばんいいんですよ」
「うーむ。しかし、○○さん(わたし)は、まだ人格が・・・もにょもにょが、もにょもにょ・・・してないからなあ・・・。まだ、ちゃんとしてるときは、ちゃんとしてるやんかー」
「そうですかねえ・・・」

わたしは、ひとまず案を持ち帰ったが、もうデイケアに行きたくないなあ・・・という気持ちは拭えなかった。
そりゃ、スタッフに悪気はないんだろうけれど、子どもにするみたいな注意が正しいとすれば、こっちがよっぽど変ってことじゃん。
そんな情けなくなった自分を、誰だって表に出したくないんじゃないかなあ。
精神病も20年選手になると、ぼちぼちそのへんがわかってくるんだと思うよ。

H先生に見せる写真は、あと3冊ある。
どれも弾ける笑顔で、たくさんの仲間と人生を過ごしている写真だ。
H先生は、とびきりあたまがいいので、わたしの過去を見て、これからわたしが話すことが、どういう意味なのか、深いところまでわかってくれると思う。
まー、いろいろあって、H先生に過去の写真を見せることになったのは、よかったと思う。

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自分を決めつけられる

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昨日、「~してもらわないと困ります」とデイケアスタッフに言われたとき、わたしは「大人の人間扱いをしていない」と少々と立腹していたのだが、ずっと考えていると、「もしかして、わたしの方が変なのでは・・・」と思えてきた。
その若い精神保健福祉士は、とてもこころの優しい、落ち着いた人で、そんな人が入社して早くも意地悪を言ってきたりするはずないのだ。

・・・・・・、確かに、ミ―ティングが終わって、目の前の紙を、そのままにして帰ってしまう行動はおかしい。
わたしなら、絶対しないミスだ。
答案用紙をひっくり返すのを忘れて、退室するなんて、あり得ない。
でも、周りから見ればどうだろう。

「○○さん(わたし)、ミーティング表を置いたままにしてるわ。困った人やなあ・・・」
「スケジュールとか、わかってるんですかね?」
――花見当日――
「え? 今日はお花見の日なのに、来ちゃったんですか。困ったなあ」
「4月の予定表を忘れてたでしょう。持って帰ってもらわないと困ります」
「(スケジュールくらい、ちゃんとあたまに入れとけよ・・・)」

そういうことなのかな。
わたしって、周りからみれば、行動がだらしなくて、まとまりがなくて、ちょっとした簡単なミスをやらかす、お子ちゃま精神障害者?
まえにわたしにつときまとっていたTさんも、先日スタッフから「そんなの、いま話さなくてもいいじゃありませんか」と、Tさんが昔よくしていたゴルフについて、子どものように注意されていた。
でもTさんは昔、日常的にゴルフをするくらいなんだから、発狂前はふつうの会社員かなにかだったはず。
そこまで本人が話したがっている過去の栄光を、「そんなのどうでもいいんです」とバッサリ切り捨てなくてもいいんじゃないだろうか。

精神障害者は、まともだったときの自分を知っているから、過去の栄誉を傷つけられると、ショックを受ける。
わたしが今回された、「~○○してもらわないと困ります」も、その一環なんじゃないかな。
「この人、持って帰るのが面倒だから、わざとスケジュール表を置いていったんだな」という前提での注意。
でもわたしは本来、完璧主義で、ルールに反することは嫌いで、人に文句を言われるくらいなら多少の無理はする、という人間なのだ。
そんな、だらしなくてゆるい人間だと思われることが屈辱だ。

確かにデイケアには、社会に出たことのない世間知らずな人もいるんだけれど、仕事や学業で優秀だった人もいる。
そういう人たちが、十把ひとからげにされて、みんながみんな「理解が悪い人」「人間社会のルールがわかっていない人」などと決めつけられると、こころが凍る。
ここは、檻の中じゃないだけで、やっぱり精神病院なんじゃないだろうか・・・。
看護師がいて、皆の容態をチェックする、規則正しい生活を送らせる、ときどき話をかける。
その人が、昔どんな人だったのかはどうでもいい。
どうも、そんな感じがするな。気のせいだろうか・・・。

今日は診察日なので、もしかしたらそのあたりを、H主治医に話すかもしれない。
とりあえず、わたしが今後一人でいるつもりだ、という点と、デイケアにはちょっと苦痛がある、くらいかな。
それにしても、たぶんスケジュール表を忘れたのは、去年10月から始まっている「考え事が次々と浮かんできて、なにも手につかない」という躁の症状のせいじゃないかと思うけどね。
どっちにしても、正常だった頃の自分を知らない人が、わたしのことを「だらしない人」って決めつけるんだったら、わたしはその人の目のまえにもう出たくない。

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デイケアでのプライド

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昨日、デイケアに行ったら、「あれ? 今日はお花見の日ですよ・・・」とのっけから言われる。
「あっそうですか。すみません!」
「うーんと。えー・・・」

スタッフの人は困っていた。
でも、そこは困るところじゃないのにな。
もう、申し込みをしなかった人は、絶対にレクリエーションに入れないことは決まっているのだ。

そこで、「いいです、いいです」とわたしが尻込みして帰ろうとしたら、若いスタッフが「いえ、持って帰ってもらわないと困るんです」と、4月のスケジュール表を出してきた。
あ・・・、わたし、忘れていったのね。
それにしても、「~してもらわないと困る」って言い方、気になるな。
べつに、わざと置いていったんじゃないんだし。
これも、わたしの考えすぎだろうか。
なんだか、胸がモヤモヤする・・・。

帰りに、考えようとしなくても、なんだか憂鬱になってしまった。
ふつう、大人が大人に言うんだったら、「~してもらえませんか」じゃないだろうか。
んー・・・、「~してもらわないと困る」、明らかに上から目線だよな・・・。
ちょっとオツムの弱い人に、言って聞かせるような感じ?
それともわたし自身が支離滅裂で、ちゃんと言ってきかせないと駄目だと思われている?

どっちにしても、精神保健福祉士はれっきとしたプロで、精神障害者をサポートする人々だから、わたしたちに必要な存在である。
こちらから離れても、損するだけだ・・・。
しかしやっぱ、障害者になるっていうことは、いくつかのプライドを捨てることになるな。
助けを借りないと生きていけないわけだから、どうしても、ふつうの人のようには扱ってもらえなくなる。
これからも、子ども扱いされんのかなー。
しんどい人生だな・・・。

わたしは、帰宅後、また自室でじーっと考え事をした。
デイケアなんて、どうせキチガイになった自分を、再確認するだけだ。
デイケアには、履歴を訊いたら、信じられないような実績をもつ人たちが結構いる。
あれもたぶん、途中でなんかあって、「発狂」した人たちなんだろうな。
よく、頑張っているよなー・・・。

わたしはどうも、根性が足りないので、「デイケアなんて、もういっか。一人でゆっくりしてる方が楽」と思ってしまうのだが、それでは、やっとデイケアに出始めたH主治医およびデイケアスタッフに、残念な思いをさせてしまうだろう。
一応、週に1回は行く! と決めたんだしな・・・。
あらゆることに、耐えうる精神力を養うのも、目的の一つのようだし。

もう、過去を悔やんでも仕方ないが、その精神力の修行の場が、なぜ企業・その他ではなく、デイケアなのかというところだ。
もちろん病気の性質もあって、就労不可だからなのだが、正常だったときの自分が納得していないのである。
なんで、目の前にいるのが、上司じゃなくて、学校を出たばかりの若い女子なんだろ・・・。
いまの世の中、珍しくもないそうだけれど、なんだか落ち込むんだよね・・・。

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お花見と障害年金と

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昨日は、両親と大阪城公園へ花見に行った。
まだ、4分咲きなのに、大勢の人が集まっていた。
多くが外国人。
そりゃそうだよね、平日だもん。

わたしはそんな人たちの、春の服装チェックをしていた。
もう、みんなすっかり春物になっているなー。
公園だからなのか、旅行者だからなのか、スニーカーが圧倒的に多い。
ワイドパンツ、強いねー。でもあれ、長続きしない流行だと思うな。
トレンチコートが流行っているのか、ふーん。

わたしは、だいぶ向精神薬が効いていて、落ち着きを取り戻しているが、まだ少し躁が上がっている。
母の一言にイラッとするし、電車で優先座席なのに、「おいで」と言われたときは、額に青筋が立った。
なにが「おいで」だよ。わたしは幼児か。
わたしは決して優先座席に座らないことを知っているくせに、ほんとうに何度も同じことを言う・・・。

でも、この母の方が正常で、わたしの方がキチガイなんだと言い聞かせて、ムッと黙っていた。
もう、なにがほんとうなのか、わからない。
正しいのは、母に逆らって、悲しい思いをさせてはいけないということだ。

帰宅後、わたしは自分の障害年金のことについて、ぼんやりと考えた。
「次回、2級通るな・・・」
なぜならば、女性の20代・30代の美しかった頃の写真を、なんの理由もなく全部捨てる中年女って、やっぱり変だからである。
もしかして、わたしがやったことって、躁病患者がよくやる、多額のローンをつくるレベルではないか・・・。
だとしたら、間違いなく1型の重い症状だから、障害年金2級は通るだろう。
だけど皮肉なことに、2級が通る人は、それなりに失うものが多いから、お金がもらえるのは嬉しいけれど、結局深い絶望感とともに生きていくことになる。

だけど、わたしは少しでもあがきたい。
元彼Sちゃんにも、今回の躁でへんな電話をしてしまったみたいだが、Sちゃんが無言だったのでヤバいと思い、それからは連絡していない。
いま失って困るのは、母、元彼Sちゃん、H主治医である。
精神病患者も病歴が長くなると、医師や公的機関としか、繋がりがなくなってしまう。
Sちゃんは他人の最後の砦なので、ほんとうに大事にしなければならないと思っている。

今日は、デイケアに行く予定である。
先週、麻雀をしながらはしゃいでしまったので、今日は神妙にしていよう。
急に変わったら、みんなもアレ? って思うだろうけど、「躁と診断されて、薬のんでます」と言ったら、「あーそう」で終わるだろうな。
そこは一般社会と違い、デイケアの楽なところである。

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社会のなかで生きる術

shakai

昨日は、ずーっと考えごと。
これから、精神障害者(躁うつ病)として、人間社会でどうやって生きていくかを、いろいろ思索していた。

もう、正常者と同じように、社会生活を送ることはできない。
ふつうの、同情されるうつ病なんかじゃないのだ。
なにか行動をすれば、遅かれ早かれ、近い人から順に、「なに考えてんの、この人。付き合いきれない」と軽蔑される。
はっきり言ってわたしは、正常な人たちの中に紛れ込んでいる、キチガイなのだ。
正常な人はまともに生きているわけだから、キチガイのわたしの方がなにか考えなければならない。
まず、正常な人とは、絶対距離を置くことだな・・・。

キチガイに触れた人は、火傷したみたいに、被害を被る。
キチガイは自分でやったことがわからないから、平気な顔だし、ケラケラ笑っていたりする。
離れていこうにも、下手をすると「なぜ離れていくの?」と言うかわりに、攻撃という形でそれが現れたりする。
関わった人は大変だよ・・・。
まーわたしは、患者歴17年になって、多少ベテランになったから、初期よりはヘマはしないと思う。
この病気って、人間関係や金銭・物を失い続けて、ようやく20年目くらいに、自分のコントロールの仕方がわかってくるんだね。

わたしは、そのことについて、部屋でぼーっと考えていて、なんとなく自分のやり方が見えてきて、それがいままで会ってきた躁うつ病患者さんと同じ結論であることに、妙に納得した。
簡単にいうと、人とは深く関わらない、具合が悪いと思ったら一人でこもる、いち早くドクターの指示を仰ぐ、モノを捨てるとき・買い物をするときは注意する、ってところだろうか・・・。
とにかく、鬱より躁のときが危ないんだよね。
「あんた、その歳で仕事もせんと、何やってんの?」という言葉を頂戴することもよくあるが、これはスルーしないと、確実に両者にとってヤバい。
落ち着いて、「わたしは精神の障害があるんです」と、そこはカミングアウトしないと駄目だろうな。
たぶん返ってくるのは、「どっこも悪くないやん」だから、そこは「見た目はそうですけど、長く付き合っていると、変だなー、なんかおかしいな、ってところがわかりますよ」とでも言っておくか。
それでも、「働けるはずだ」と言ってくる人には、「ドクターも就労不可という診断書を書いてます」だな。
はあ。
最近でこそ、身体障害者は市民権を得てきたが、精神なんか全然である。
障害者雇用枠においては、ほとんどが身体が占めていて、精神はわずか2%であるということを、知っている正常な人はほぼいないだろう。
まーそこまで説明しても、わかんない人はわかんないけど。
わかんないというよりも、理解したくないっていうふうにも、わたしは受け取っているけれど。

いままで、少なからずニートだのひきこもりだの言ってくる人がいて、ニートなんて歳でもないんだが・・・、と思いつつ、どーも居心地が悪かったのだが、よく考えたら、わたしは社会不適合なキチガイだから、大人しく人々の邪魔にならないよう、どうか自立してやってください、って話じゃないのかなあ。
国・自治体から、なんかそういうメッセージを受け取る。
デイケアなんて、みんなで「大人の幼稚園」って呼んでいるんだけど、こういうことをしながら、社会の隅で生きている障害者、っていう位置づけになるのかな。
まーいいけど・・・。

そういうわけで、わたしは今後、躁が落ち着いたら、散歩とか読書をして、両親とゆっくり過ごすつもり。
外に出るのは、通院とお花見くらいかな。
もしかしたら、こんな感じで、隅っこでひっそり生きていく人生になるのかな。
障害者になってしまったんだから、仕方ないよねって感じ。

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迷惑をかける躁うつ病

kazoku

昨日は、ナントカ知恵袋で、双極性障害(躁うつ病)の人の悩み事や解決策を読んでいた。
なんか、すごくよくわかるわ・・・。

双極性障害には1型と2型があって、1型は躁状態のとき、キチガイになるやつである。
2型は躁状態といっても、ちょっと迷惑な人くらいだと思う。
わたしは1型である。

いちばん「うんうん、わかる・・・」と思ったのは、みんな「周囲から人が離れていく」という悩みだった。
わたしも20・30代の写真を見たら、そこには大量の人々が写っていて、これらをぜんぶ失ったんだと思うと、「社会的自殺」と呼ばれるこの病気の空恐ろしさがわかる。
迷惑行為をやっちゃっているときは、自覚できないんだよね。
自分はあくまで、正しいことをやっていると思っているの。
でもこれは脳の異常だから、本人に改善を求めても、改められるものではない。
改めさせようとするなら、医師の力で薬を投与しなければならない。
ほんとにこれだけだよー。
だから、他人で迷惑している人は、その人を怒らせないように、うまく病院へ誘導するか、フェードアウトするのがいいと思う。

わたしはこれまでの、フェードアウトしていった人々を思い浮かべた。
高校時代のかけがえのない親友たち・・・、なんか急に仕事が忙しいと言い始めて、連絡が途絶え、そのまま一人にされた。
腹が立ったので、長文メールを発送、二度と関わりたくないと伝えた。
関わりたくなかったのはあっちなのに、そのへんが、病気なんだよなー。
新年会で毎年、顔を会わせていたけれど、「あの人が来るなんて憂鬱」とか思われていただろうな。

デイケアで出会った人々にも、迷惑をかけた。
正直、「この女、なんか気持ち悪い」っていう人がいて(生理的にだと思う)、攻撃がその人及びその周辺に広がり、いつの日か皆さん揃って、デイケアから作業所へ移っていった。
そのときは自分のせいだとわからなかった・・・、いやいまでも確信できないけど、タイミング的にそういう話になってもおかしくないなとは思う。
でもこんなことをしていたら、最後の砦のデイケアでも一人きりになるから、今後はほんとうに一切やっちゃー駄目よ! と自分に言い聞かせている。

フェイスブックでも、わたしはいろいろとやらかしているので、コメントする人は非常に少ない。
みんな、トモロクを外すわけにもいかないし、無言で引いているみたいだ。
フェイスブックは、こんなの書いても問題ないよね、というようなことが「やっちゃった」だったりするので、最近はどこどこに行きました、美味しかったです、くらいしか書かない。

同じ双極性障害の妹とは、なぜ断交になったのかわからない。
ふたりとも病気だから、はたから見れば、訳のわからない論争をして、訳のわからない別れ方をしたんじゃないのかな。
これはもう・・・、フェードアウトというよりも、戦闘したということなのかなと思う。

大学時代の友人は、意外と残っている!
たぶん、1・2年に1回だけの宴会でしか会わないからだ。
そのぶん、ほとんど会っていないっていうことになるけど、唯一、自分がまともだったときのことを証言してくれる人たちだ。
この人たちは大事にしなきゃいけないから、会うのはそのとき限りにしようと思う。

そんな感じで、わたしはただただ世間に肩身の狭い思いをする者なのである。
そういう病気だから、もうあきらめるしかない・・・。
ナントカ知恵袋にも、「自分は最後は、一人で静かに過ごす」と言っている人がいた。
わかるわー。
もう、そのくらい覚悟を決めないと、訳もわからず人に迷惑をかけ、後ろ指をさされる自分を守れないんだよね。

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躁鬱病の姉妹がやらかす?

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父がわたしの、大切な20・30代の写真を勝手に持ち出したおかげで、捨てたはずのものが残り、わたしは「ありがとー」と感謝しているが、なにか他にも「やっちゃった」(躁病において取り返しのつかないことをする)をしていないだろうな・・・と考えると、え? と思い当たることがあった。

末期ガンの父だ・・・!
彼の最期の望みは、わたしと妹が、顔を揃えてみんなで仲良くするというものだった。
これに対し、母は「ダメダメ、無理無理!」と、あたまから否定している。
なにしろ、わたしも妹も、激しいタイプの双極性障害(躁うつ病)だから、たった一言でお互いギャーっという騒ぎになって、地獄絵図になるのが目に見えているのだ。

しかしわたしは、これが、躁期における「やっちゃった」症状だとしたら、うつ期に入ってから、一生後悔する問題ではないだろうか・・・と考えた。
もしかして、双極性障害(躁うつ病)の双子ふたりで「やっちゃった」・・・?
親が死んでから、「あれもすればよかった、これもすればよかった」って悔いを残している人は、たくさんいる。
それプラス、病気で激しく憎み合っている二人を、そのままにして天国に行くなんて、父は死んでも死にきれないってやつ?・・・

うーん。問題が、大きすぎる・・・。
まず、いまのわたし自身が躁で、不安定である。
妹の病状もわからない。
母に話すと、いそいそと事を進めてしまい、さらに姉妹の関係が悪化する可能性がある。
元彼Sちゃんは、旧家でまともな家しか知らないから、情を出せば解決すると思っている。

わたしは、まずH主治医に相談すべきだろうなと考えた。
病気のことは、プロにまかせた方がいい。
でも予想としては、「それは解決すべきです! いま妹さんはどんな具合? ・・・」みたいになるのかなあ? と思う。

それにしても、妹となれ合うなんて忌々しい話だ。
あいつはほんとうに訳のわからんことで急に怒り出すし、偉そうに一方的に連絡を絶やすし、要するに双極性障害は、それ同士でも仲良くなれないということだ。
いまのような状況でも、こっちから折れた場合、向こうは「ふふん。勝った」くらい考えそうなんだよね。
もしくは女王さまの態度で、「あーそう?」とこっちの指示を待つだけとか。
ほんとうに嫌なやつなんだよ、あいつは・・・。
両親からみれば、どっちも可愛い娘なのはわかるけど。

ここで「やっちゃった」になるのがわかっていることを、そのままにしておくのは駄目だと思う。
でも、ほんとうに妹とは仲良くなりたくないし、この気持ちが消えない限りは、偽りの和解だとも思う。
困ったな・・・。
とりあえず、この問題はH先生に意見を求めて、考え直さないとな・・・。

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過去の写真の奇跡

album

昨日は、4日連続3時間睡眠という、非常事態になったので、Hクリニックへ行った。
わたしはまず、「具合が悪くなりました」と言った。

「3時間しか眠れません。あと、テレビと両親がうるさくて、いま2階の自室で食べてます。それから・・・、自分は一生持っていようと思ってた本がいっぱいあるんですけど、急に片づけようかなと思って、半分片づけたところで、両親がいいの? って言い出したので・・・、あれ? もしかして ”やっちゃった”かな? と思って・・・・・・」
”やっちゃった”とは、わたしの造語かもしれないが、躁患者における「自分にとって不利益な、取り返しのつかないことをやらかす」という症状を指す。
いきなり起業したり、選挙に出たり、多額のローンを抱えたり、ときには空を飛べると思って命を落とすこともある。

H先生はうーん? と虚空を見た。
そのあいだに、わたしはもう一つ気になっていたことを訴えた。
「20代・30代の写真も、全部捨てました」
「20代・30代?!」
「はい」
「”やっちゃった”でしょう! それは!!」

H先生が大声を出して、ばばばっと勢いよくカルテに書いたので、わたしはちょっとひるんだ。
「あ、そうですか?」
「そうですよ! なんでそんなことしたんですか?!」
「なんで・・・うーーん・・・なんか心理的に・・・・・・」
「覆水盆に返らず! もう仕方ないこともありますからね!」

そうか、あれはやっぱり、”やっちゃった”か・・・。
わたしは、必ずH先生が正しくて、自分が間違っているのを知っているので、視線を落として少し困った。

薬の処方を書いたあと、H先生は「今度、20代の写真、見せてください」と言った。
「ヘン顔しかないですよ(トイレに貼っていたやつ)」
「ヘン顔でいいです」
なんで写真を持ってくる必要があるのかわからないが、H先生は意味のないことはしない(本当)ので、従うことにした。

それにしても、確かにわたしは、なんであっさりと過去の記録を捨ててしまったのだろう?
やっぱり病気としか思えない・・・。
いまだって、なんかザワザワするけど、「なければないで、仕方ないか・・・」くらいの感じである。
ほんとうに今度から、行動には気をつけないといけないな。

サテ、なんだか危うい話になってしまったが、これにはいいことが続くのである。
実家にたった一枚だけ、30歳くらいの写真があったので、それをくれと父に頼んだところ、「結構たくさんあるで」と謎なことを言われたのである。
それでアルバムを見せてもらったら、あれ・・・? なんか、いっぱいわたしがいるんですけど・・・。

「あれ? なんでこんなにコピーがあるの?・・・」
「・・・・・・」
そしてわたしは気がついた。
父は! わたしのマンションから勝手に、わたしの写真を持ち出していたのである!!

「あのなー! 勝手に持ち出したら、なくなったと思って困るやろ!!」とわたしは矛盾したことを言って、ひとまずパラパラと見て、考えをまとめた。
そうか。父はもう、ガンで余命が少ない。
娘の写真を見て、生まれてからいままでのことを、想起していたのかな。

神の采配だ・・・とわたしは思った。
結局、捨ててしまったのは、半分くらいだと思う。
それも考えたら、写りが悪いのとか、風景がほとんどじゃん・・・。
つまり、整理整頓していなかった写真が、父によって整理されたという、結果オーライの話なのだった。
ほー。こんなことがあるのねー。

と、呑気に言っているわたしは、半人前なんだなあ。
将来のわたしの危機から救ってくれた、父に感謝しないといけないな。
でも、なにをしたらいいのかわからない。
とりあえず、H先生に事の顛末を話して、20代のわたしをパラ見してもらおうと思う。

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