LIFE,LOVE&PAIN

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タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。
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社会のなかで生きる術

shakai

昨日は、ずーっと考えごと。
これから、精神障害者(躁うつ病)として、人間社会でどうやって生きていくかを、いろいろ思索していた。

もう、正常者と同じように、社会生活を送ることはできない。
ふつうの、同情されるうつ病なんかじゃないのだ。
なにか行動をすれば、遅かれ早かれ、近い人から順に、「なに考えてんの、この人。付き合いきれない」と軽蔑される。
はっきり言ってわたしは、正常な人たちの中に紛れ込んでいる、キチガイなのだ。
正常な人はまともに生きているわけだから、キチガイのわたしの方がなにか考えなければならない。
まず、正常な人とは、絶対距離を置くことだな・・・。

キチガイに触れた人は、火傷したみたいに、被害を被る。
キチガイは自分でやったことがわからないから、平気な顔だし、ケラケラ笑っていたりする。
離れていこうにも、下手をすると「なぜ離れていくの?」と言うかわりに、攻撃という形でそれが現れたりする。
関わった人は大変だよ・・・。
まーわたしは、患者歴17年になって、多少ベテランになったから、初期よりはヘマはしないと思う。
この病気って、人間関係や金銭・物を失い続けて、ようやく20年目くらいに、自分のコントロールの仕方がわかってくるんだね。

わたしは、そのことについて、部屋でぼーっと考えていて、なんとなく自分のやり方が見えてきて、それがいままで会ってきた躁うつ病患者さんと同じ結論であることに、妙に納得した。
簡単にいうと、人とは深く関わらない、具合が悪いと思ったら一人でこもる、いち早くドクターの指示を仰ぐ、モノを捨てるとき・買い物をするときは注意する、ってところだろうか・・・。
とにかく、鬱より躁のときが危ないんだよね。
「あんた、その歳で仕事もせんと、何やってんの?」という言葉を頂戴することもよくあるが、これはスルーしないと、確実に両者にとってヤバい。
落ち着いて、「わたしは精神の障害があるんです」と、そこはカミングアウトしないと駄目だろうな。
たぶん返ってくるのは、「どっこも悪くないやん」だから、そこは「見た目はそうですけど、長く付き合っていると、変だなー、なんかおかしいな、ってところがわかりますよ」とでも言っておくか。
それでも、「働けるはずだ」と言ってくる人には、「ドクターも就労不可という診断書を書いてます」だな。
はあ。
最近でこそ、身体障害者は市民権を得てきたが、精神なんか全然である。
障害者雇用枠においては、ほとんどが身体が占めていて、精神はわずか2%であるということを、知っている正常な人はほぼいないだろう。
まーそこまで説明しても、わかんない人はわかんないけど。
わかんないというよりも、理解したくないっていうふうにも、わたしは受け取っているけれど。

いままで、少なからずニートだのひきこもりだの言ってくる人がいて、ニートなんて歳でもないんだが・・・、と思いつつ、どーも居心地が悪かったのだが、よく考えたら、わたしは社会不適合なキチガイだから、大人しく人々の邪魔にならないよう、どうか自立してやってください、って話じゃないのかなあ。
国・自治体から、なんかそういうメッセージを受け取る。
デイケアなんて、みんなで「大人の幼稚園」って呼んでいるんだけど、こういうことをしながら、社会の隅で生きている障害者、っていう位置づけになるのかな。
まーいいけど・・・。

そういうわけで、わたしは今後、躁が落ち着いたら、散歩とか読書をして、両親とゆっくり過ごすつもり。
外に出るのは、通院とお花見くらいかな。
もしかしたら、こんな感じで、隅っこでひっそり生きていく人生になるのかな。
障害者になってしまったんだから、仕方ないよねって感じ。

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