Yさんが必死でついて来る - LIFE,LOVE&PAIN

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タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。
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Yさんが必死でついて来る

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うう・・・、今日はしんどい・・・。
午前中、寝ていたら、誰かが声をかけてきたように思うが、気怠くて返事も出来なかった。
だから、こっからは愚痴である。

最近、facebookのことばかり書いているような気がするが、またそれなんである。
たぶん、社会との窓口がそこしかないから、そこで起こったことに集中しちゃうんだろうな。
それで、そのことをまたブログに書く、と。
なんか、不毛な循環しているような気がするわぁ。

今日、取り上げたいのは、ギタリスト1の金魚のフン、Yさん(52女)である。
この人は、学習障害があったとかで、学校にほとんど行っていない。
だからまー、学校でのお勉強のことを知らないのは仕方ないと思うよ。
でも、それがなくたって、大人になってからでも、経験から得るものってあるでしょう。
ところが、ないんである。
大人らしい知性がないんだな。

で、ギタリスト1の金魚のフンだから、彼の記事には必ずコメントを入れる。
内容は、「綺麗やね~」「面白かったね~」「カッコいい~」とか、そんなんばっか。
極めて単純な表現方法で、感想を述べているに過ぎないのである。
そんなんだったら、「いいね!」ボタン押しておきゃ充分だと思うんだけど。

このまえは、ギタリスト1が「ハーフマラソンに出る、ハーフは初めてだから、ペースがわからん」などと書いていたのだが、ふとコメント欄を見ると、「△△くん(ギタリスト1)、すご~い! がんばってね~(絵文字入り)」とだけ書いてあった。
これって、どうなの。
すご~い、がんばってね~、って。

わたしはさ、アスリートやっていたからそのときのことを思い返してみると、例えば陸上を知っている人に「がんばってね」と言われたら、「うん、ありがとう」って言うと思う。
でも、ぜんっぜんその世界を知らない人から、例えば、大阪大会に出るときに、「すご~い、がんばってね」とか言われたら、なにががんばってだよ、とその人をさげずんだと思う。
なぜなら、わたしは大阪でもトップ3に入る選手だったからである。
全国大会でがんばってね、だったらわかるけれど、なんで自分のテリトリーで出場するのがすごくて、がんばってだよ。
この人、全然わかっていないな、という訳である。

で、ギタリスト1の話に戻ると、彼は既に、何回かフルマラソンを経験している。
だから、そのハーフの20㎞は、距離としては問題ないわけだ。
ただ、ペースがわからなくて困っている、と言っているだけなのである。
それなのに、「なにがすごい」と言っているのだ、Yさんは?
なんか、その場限りの薄っぺらい言葉をかけているだけのように思える。
これに対するギタリスト1のレスも、「うん、がんばるよ」だけだった。
・・・・・・二人には悪いんだけど、氷のように薄いアホみたいな会話してますね、と言いたい。

話はまだ続くんだけれど。
わたしはちょっとこれは、ギタリスト1に声をかけておいた方がいいのかな、と思って、「最初に飛び出す奴らを相手にしない方がいい。あれはラビットだと思えばいい」とお節介ながらアドバイスした。
すると、このことは既にギタリスト1も了承済みで、「さすがによく知っているな。そうや、ラビットにやられたらおしまいや。自分のペースをあくまで守り、ラストでスパートをかけるのが理想」と書いてきた。
これだけならば、会話終了なんだけれど、そのあと、なぜかこのやり取りに、Yさんが「いいね!」ボタンを押してきたのである。

あのさ~。
総合して見るに、たぶんこの人、ラビットがなんなのかも知らないと思うよ。
だってラビットのことは、フルマラソンを見る人なら、誰だって知っていると思うけれど、彼女はどう考えても、普段マラソンに興味がない、なぜならフルマラソン経験者がハーフマラソンを走ることに「すご~い」なんて言う人だから。
ということは、こりゃ、単なる敵状視察ですな。
わたしとギタリスト1の会話が、二人だけで盛り上がらないように、必死でついてきているのである。

なんだかさー。
Yさんのやることって、上から俯瞰しているみたいに、そっくり見えてしまうと思うのはわたしだけ?
この度も、わたしがUPした記事に、ギタリスト1のコメントがつかなかったんだけれど、そうするとそれに呼応するように、彼女もして来ないんだよね。
まったく、わかりやすいと思うわ。

(おまけ)
今日のアイコンのハエは、「五月蠅い(うるさい)」が由来です。

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