鬱が明けない - LIFE,LOVE&PAIN

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タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。
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鬱が明けない

sakura

今日は2週間ぶりの外出だった。
通院である。
久しぶりに出た外は、暖かくて、眩しい光に満ちていた。
でもわたしは、相変わらず鬱なので、重い腰を上げ、どの服を着たらいいのか迷い、春物のブーツを引っ張り出して、のろのろと出かけた。

H主治医は、いつもと通り「どうですか?」と聞いてきた。
わたしは、「相変わらず、毎日パソコンの前にいて、外出できない感じです」と答えた。
「外出って、全然?」
「そうですよ。この前出てきたの、ここの通院のときですよ」
「じゃあ、お見合いパーティなんかも・・・」
「あーー! 無理無理です! 化粧も出来ないのに! 他人と会いたくないし、しゃべるのも億劫です」
「化粧してないの? いま、素肌?」
「そうですよ」
「ちょっと、(顔を触る)ほんまやな! (カルテをぺらぺら)あっ、昨日、誕生日やったんか、おめでとう」
「ありがとうございます」
「ようやく、わたしと同じ年代になってきましたね。わたしは7月に60代ですが」
「・・・(嬉しくない)」

あとは、薬の処方について、あれこれやり取りしていた。
わたしは、この例年にない長い鬱は、もしかすると激躁のときに、劇的に効いた新薬のせいかもと考えていて、その話もした。
「激鬱が軽減されたぶん、ふつうの鬱が長引いているのではないか、つまり躁鬱の波を小さくするということの意味は、激鬱と激躁を減らすぶん、躁鬱のスパンを長くするということではないのか」というようなことである。
それには、H主治医は答えなかった。
なにかをしきりにカルテに書いていた。
でも、わたしにはそんな気がしてならないんだよね。
だって、面積に置き換えてみると、高さを低くすると、長さが長くなるわけじゃん。
躁うつ病の治療目標は、あくまで波を平坦にもっていく、というものなのだが、これじゃ、鬱が長すぎて、社会生活に支障をきたしてしまう・・・というか、もうきたしている。
だからといって、いままで通り、波の上下が高いままだと、上にきたとき(躁のとき)、わたしは家族にとんでもない迷惑をかけているようなので、自分は我慢しなければならないのだろうと思う。

帰りに、お使いの化粧品を買って、くたくたになってしまった。
ほんとうに、わたしはいつになったら外出できるようになるんだろう。
自分の周りで、季節だけが通り過ぎていく。

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