わたしの愛する本たち - LIFE,LOVE&PAIN

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タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。
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わたしの愛する本たち

hondana

それで昨日、facebookで、わたしの死活問題について書いてみたのである。
ただし一筋の光として、「自分は本だけは捨てられない。だから生活保護になったら、住む部屋は一階にして、大量の本とともに暮らしたい」と添えておいた。
小説でも漫画でも映画でも、ラストが悲しいときは、一筋の光をつくっておくことが大事なんだな。
だから読み手が納得するのだ。
例えば、今度ドラマ化するらしい『アルジャーノンに花束を』なんて、(ここからネタバレ注意)ラストは、かつて高い知能だった頃の恋人女性教師のもとに、幼児なみの知能に戻ってしまった主人公が現れ、「テキストを忘れてしまいました」(=高い知識を失ってしまいました)と告げて、涙ながらに教壇から消える彼女のもとを去っていくのだが、主人公は前よりもずっとみんなに愛されて幸せで、希望に満ちてエンドとなるのである。
お話としては、すごく残酷で悲しいんだけどね。
あまりにも可哀想で、コメントできないというようなことにはならない。

ということで、一筋の光を書いてみたら、友だちから反応が少しだけあった。
「地震が来たら、本で死ぬと思う」とも書いたので、それに対して「大丈夫、自分も阪神大震災のとき、ファイルが崩れてきたけど平気だったから」等。
・・・でも、うちのある本、たぶんファイル程度じゃないと思うよ?
大きな本棚2つぶんと、入りきらない本が、あちこちに山になって積み上げられている。
これ、いまのマンション(59㎡)でも持て余しているのに、生活保護になったら、たぶん部屋中、本の山になるかと・・・。
うん、地震が来たら絶対死ぬ。
本の山に埋もれて死ぬって、どんな気分だろうな。
でも、雪崩と同じと考えると、上に向かって泳げばいいのかな?

しかしこれでもラッキーだったというべきか、もしわたしが37歳で病気で倒れてからも、月4冊ベースで本を買っていたとしたら、恐るべき量になったはずだ。
「捨てろ」と言われればそれまでだが、どうしても捨てられないのである。
自分的に「なんだ、このクソ小説は!」と怒りに燃えた本もあるし、実際そいつらを古本屋に叩き売ろうと準備したこともあったが、なぜか売るまえに、そのクソ小説を読み返している自分がいるのである。
わたしは本に関しては悪食で、渡辺淳一とか田辺聖子とか、「なんだ、このクソ小説は!」と怒りながら読む癖があって、これだけはどうにもやめられない。
だから、うちの本棚にある小説は、ほんとうの読書家からみれば、駄作ばかりが並んでいる。
読書家の多くが絶賛しているドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』なんて、図書館でチラ見したけれど、1ページ目からうんざりした。
小説家Uが勧めてくれたフランス作家セリーヌも図書館でチラ見したが、癖がありまくりの文体についていけなかった。
じつを言うと、日本の文豪の小説も疎遠で、あんまり昔の日本を舞台にしたものは興味が湧かないのである。
中学生のとき、本屋で初めて買ったのが、安部公房だったのがまずかったのかも知れない。
なんであんなもの(!)買ったんだろう。意味がわからない。

ということで、ほかにもいろいろ書きたいことがあるのだが、あんまり長くなるので、ここらへんで止めておきます。
本のことになると、やけにこだわるな、わたしは。

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