やっちまった感 - LIFE,LOVE&PAIN(旧)

LIFE,LOVE&PAIN(旧)

タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。(新URL:○ttp://lifelovepain02.blog.fc2.com/)
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やっちまった感

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先日実家で、わたしが30歳頃の写真が出てきた。
わたしはそれを見て、ドキーッとした。
別人だ・・・! キリッとした眉に、少し落とした視線、ピンと伸ばした背筋、フォーマルな服装、どこを取っても紛れもない一社会人だ。

次の瞬間、「あ・・・! やっちまったかも・・・!!」とギクッとした。
わたしはちょっと前、マンションの書棚を整理していたのだが、そこに20~30代の写真すべてが、残されていた。
それを、なんのてらいもなく、わたしはドバッとゴミ袋に捨てたのだ。
「あれって、もうどこからも出てこないぞ。一生のうちで、いちばん輝いていた時期。これでよかったの?」と、わたしはとんでもないことをしたと気づいた。
そうなのよ・・・、これって、躁の特徴なの。
気が大きくなっているから、家を買ったりローンを組んだり、自分があとで困るようなことをするんだよね。
今回のわたしの場合、お金ではなかったけれど、女のいちばん美しかった時の写真って、一財産といえるんじゃないかなあ。
うーん・・・。こうやって、双極性障害(躁うつ病)1型の人は、大きなモノを失い続ける、そのたびに落胆する、の繰り返しなんだろうな。
自分自身の手でやっちまうんだから、後悔も大きいんだよね。
こういう人生だと思って、グズグズ泣きながら耐え忍ぶしかないんだろうな・・・。

一応、フェイスブックに一連のことを書いて、これからは安全なように、こちらにアップしますと書いておいたら、高校の同級生(女)が反応してくれていた。
ということは・・・、わたしはもう行っていない高校陸上部の同窓会で、彼女がわたしの近況を話すだろうか。
「ゆみ、なんかおかしいで。フェイスブックで、20~30代の写真、全部捨てたって。この延長線上に、自分はいないからって。なんかあったのかなあ?」

たぶん、この話で凍りつくのは、その20~30代、わたしと親密にしてくれていた、独身4人組だろうと思う。
当時、社会の第一線で活躍し始めた彼女らは、わたしがいつまで経っても社会復帰しないので、「ゆみは働かんと、家でなにしてんの・・・」と次第にわたしを突き放し、気まぐれにメールに返信したりしなかったり、わたしの意見はなかったことにしたり、2人になると返事だけになったり、自分たちがまるで社会のお荷物と付き合ってあげましょう、といわんばかりの、どこか一方的な関係になっていった。
でも、そういう冷遇をされていたことに気づいたのは、10年以上経ってからである。
嫌がらせも言われたみたいだけど・・・、わたしは鈍感なので、そのときは気づかなかった・・・。
まー20~30代の写真を、全部処分したとわかれば、彼女らだって「楽に生きていたわけじゃないんだ」となにか気づくだろう。
わたしが病気を通して言えることは、ふつうにしている人でも、結構思い詰めていて、突然人をびっくりさせるようなことを起こすかもね、ってところである。
出家か自殺みたいなこととか。
「もう、あんたらとの過去は捨てたよ」って、どっかの暗闇に入っていくようなことね。

わたしは数ヶ月もまえから、「もう、健常者との付き合いは、基本これから無理だな・・・」と思っていたので、写真を捨てたのは、きっとそういう心理が働いたのかもしれない。
まさに、健康だった日々との決別。
でもなぜか、もう終わりだ・・・、みたいな悲壮感はない。
周りが、「そんなに人生を悔やんでいたの?」と顔を見合わせるようなことでも、「いや、なんとなく要らないからと思って」って感じなんだよね。
不幸の渦中にあるときって、むしろ不幸を感じないのかもしれないな。
それでも躁うつ病というのは、大事なものをなくす病気だから、今度からは気をつけて、大きな行動を起こすときは考えてからにしようと思う。

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