LIFE,LOVE&PAIN(旧)

LIFE,LOVE&PAIN(旧)

タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。(新URL:○ttp://lifelovepain02.blog.fc2.com/)
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社会復帰の手がかり



昨日は、診察日だった。
わたしはいまは、調子が良いので、H先生に向かってダラダラと話していた。

「このまえ、大学の友だちと話したんですけど、仕事のこととか、生活のこととか、友だち関係とかを聞いて、いいなーと・・・、ないものねだりなんですけど、思ってしまって」
「それは、人には人の苦しみがあるんですよ。わからないだけです」
「そうですよねー」
「人からすれば、あなたは年金もらってていいなーということに」
「そうですよねー。・・・でもこっちは、マイノリティだから・・・」
「何? マイノリティーって」
「だってあっちは、大多数大勢じゃないですか。 悩みも、だいたいみんな同じですよ」←(強引)
「マイナーかどうかっていうのは、そら知らんけどな」
「だいたい決まってると思いますよー。(←強引)受験・いじめ・舅姑・介護・・・」
「しゃーけど、ないものねだりしても、しょうがないわなー」

先生は、わたしがぐずぐず文句を言っているのを聞いて、診察をやめたようだった。
7年越しの付き合いなので、そんなん知らんがなという態度がわかる。
そのうち、話を打ち切るように、血液検査をしますと先生は言った。
ほんとうに、必要な検査だったのかな??

珍しく、先生お手自らの採血だったので、その間もぶつぶつ話していた。
「これから、何かしようという考えはあるんですか」
「昔、〇〇で勤めていたので、そこへ行って、サラリーマンを見ようかと」
「何か、手がかりを見つけようというわけやな」
「最近のサラリーマンの服はかっこいいですし、女性も・・・」
「そっちか」←(超小声)

でも先生は、わたしが、暑いうちはしませんと言うと、いやいや、もう涼しいですよと言ったので、反対ではないらしいことがわかった。
やっぱりとにかく、なにか行動しろということだな。

これは面倒だけど、オフィス街に行かなければ駄目だなー。
何もしません、できませんじゃ、どうしようもないもんな。
でもやっぱり、暑いうちは止めよう。
もう少ししてからだな。

20年前と、社会も働き方も大きく変わっているから、きっと街も人も、まったく違っているだろうな。
わたしはいつも、社会と触れ合えないと嘆いているが、働く人たちを外から見るだけでも、何かつかめるかもしれない。
とにかく、このまま障害者の狭い世界にいるのは、嫌なんだよね。
何でもいいから、やれそうなことをやって、社会との関わりを持ちたいんだよね。

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オフィス街の人々を見学

work_woman

先日、回転寿司に行ったとき、ふと気がついたのだが、そこの回転寿司屋のユニフォームが、すごくカワイイのだった。
女性が着ても、男性が着ても、オシャレ。
しかも、みんなそれぞれ、好きなように着崩している。
あー、カッコいい!

同僚となんか話しながら、慣れた動作で客をさばいている。
仕事している人って、いいなー。
仲間もお金も、両方あるんだもんなー。

わたしは、彼らを目にして、そうだ、わたしが見たいものがあるとすれば、「仕事をしている人」だと思った。
仕事をしている人って、どこにいるんだ・・・?
わたしは、瞬間、自分が勤めていたオフィス街を思い浮かべた。
あそこには、スーツを着た仕事人が、いっぱいいる。
道端に座って見学しているとか・・・。
みんな忙しいから、そんなところに座っている人なんか、誰も見ないはず。

それから次に考えついたのは、自分がいた会社のビルだった。
いまはテナントばかりだから、客のふりをして、ぱっと入ってぱっと出れば、わからないのでは??
いま、どうなってんのかなあ。
エレベータのセンサーのところに、ふくらはぎを突っ込むと、ドアに挟まれずにすむのだった。
エレベータは昼食時、高層階では12時ジャストではもう遅くて、地下の食堂へ降りるのに15分くらいかかっていた。
階段ダッシュの人々が立てる足音は、避難訓練そのものであった。

まーそんなことはさておき、いちばん無難なのは、オフィス街のある駅のベンチで、ずっと座って眺めていることだろうか。
地下鉄だから、空気が悪いんだけど・・・。
勤務時間のオフィス街の駅のフォームには、どんな人々が歩いているのかな。
この頃の男性のスーツは、デザインがカッコいいね。
女性も、昔みたいにチャラチャラしていないんだろうし。
戦士の集団って感じで、見たらちょっと落ち込むかな・・・。

オフィス街訪問、まだ全然実行するかどうかはわからない。
少なくとも、暑いあいだはしないな。
ただ、精神疾患者全般に言えることだけど、気力が湧かないんだよね。
たとえ、数千万円あったとしても、お膳立てしてくれる人がいなければ、たぶん全員どこにも行かないな。
わたしも例外じゃないから、どうなるかわからない。
とにかく、なにかをすることによって、自分の道を切り開かなきゃ、っていう気はするんだけどね。


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森の妖精ってナンダ

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「職業は森の妖精」「今なら、からあげクン増量」 寺内樺風被告が奇声上げ判決公判休廷→延期

おとといのニュース? だが、わたしはこういうのを聞くたび、いっつも「精神障害者が迷惑する・・・」と思う。
これは、長年精神障害者をやっているわたしからすれば、99%演技。
なんでって、精神病の症状って、こんなに理路整然としていないからだ。

まず、問いに対して、内容はともあれ、誰にでもわかる回答をしているところである。
精神病の人が悪いときは、「宇宙からの電波に、わたしは操られている」とか「・・・ブツブツブツ(幻聴としゃべっている)」みたいな、意味不明の態度をとると思う。
それか、誇大妄想を起こしていて、「わたしは神だ!」「天皇の血筋だ!」と主張するが、この場合でも卑小なアメーバや森の妖精になったりしない。
「キエー!」と叫ぶのはアリ。
でも、それをし続けずに、きちんと受け答えしてしまったのが、「失敗でしたね・・・」という感じである。

精神病患者のヘンさというのは、もっとわかりにくくて、一見まともなことを言っているようで、よくよく聞くと「・・・え?」みたいなことがある。
閉鎖病棟で、一回り年下の女子と話をしていたら、「中学生のときに、一緒に修学旅行に行ったやん!」と、ふつうに言われたり。
黙っていたらふつうだけど、しゃべり出したら意味不明で、どこまでも止まらない人とか。
わたしがよく嘆いているように、精神病は、閉鎖病棟ですらわかりづらいこともあるから、理解してもらえずに苦労するんだよね。
それなのに、下手くそな演技で精神病患者を真似されると、ほんとうに腹立つよ。
あーゆうのが精神障害者だと思っていて、少なからずほかの人もそう思ってんだろうなと思うと、まったく忌々しい話だ。

ともかく、こういうケースで、いちばん被害をこうむっているのは、統合失調症の人だろうと思う。
統合失調症には、妄想・幻覚・幻聴があるから、それらに囚われてやったのだ、と弁護側が主張しやすいんだろうな。
ほんとに、どこまでちゃんと診断しているんだか・・・。
今回のはわたし的に、ほぼ演技だから、ほんとうに病人なら、そんな必要もないはずなのにね、と思う。

それにしても、法廷で、精神病患者を名乗る人があんまり多いから、いっそ虚偽したら罪が重くなる、っていうことにしたらどうなのかな。
なんのペナルティもなく主張できるんだったら、みんなするよね。
そうすれば、法廷を長引かせないことにもなるし、精神病患者にとっても、不愉快な思いをせずにすむと思うけどな。

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おかゆと点滴

okayu

昨日は、末期ガンの父のところへ、訪問看護が来て、点滴をしてくれた。
看護をしてもらうのが大好きな父は、とてもご機嫌だった。

「見て。点滴やで」と母も、上機嫌で言った。
わたしは、へんな気がしていた。
前になかったものがある・・・、これって「変化」だ。
昨日の続きが今日、今日の続きが明日だとすれば、物事が急に変わることはない、ってふだん思っているけれど、急に変わることだってあるよな。
この、点滴が加わったところを、動画にしてコマとして見た場合、「あ、ここで変わってる」とハッキリわかる。
こういうの、見逃せないよな・・・。

それから、夕食のときも、なんだか見慣れない釜が湯気を吹いているので、なにかと思ったら、おかゆをつくっているのだった。
「こんな釜、あった?」と尋ねると、「もう、20年前くらいの。ひいおばあちゃんが生きてた頃のやつな」と母は言った。
つまり、ひいおばあちゃんが亡くなる前、食べられなくなったときに使ったんだな。

わたしは、その釜を、これから毎日見ることになるのかなと思った。
食欲のない父のための、おかゆ釜。
これも「変化」だ。
いままでなかったものが、そこにある。
わたしは、父が着実に死に向かっていることを、実感した。

これからも、どんどん増えていくものがあるんだろうな、とわたしは漠然と思った。
父も母も、なんでもないことのように考えているけれど、その一歩一歩が、死への階段だろう。
もう決まってしまった運命に逆らえないが、その過程はやっぱり、あんまり愉快じゃないなと思う。

父は、出来上がったおかゆを、一杯食べた。
「ただ流し込んでいるだけ」ということだった。
あれ? いつの間にそんなふうになっていたの? と思う。
そして、あそっか、いちばん「変化」を知っているのは、病人本人だよね、と思った。
わたしはなにもできずに、それを見守るだけだ。
誰も、時間に逆らうことはできないからね。

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健常者≠障害者

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昨日は、なんだかとても疲れてしまった。
どこかに、「健常者と障害者が、ともに住む世界」なんて、書いてあったからだ。

欺瞞だなーと思った。
これを書いたのは、間違いなく健常者だよ。
たいていの障害者は、こんなことを言われたら、「なにもわかってないな」と思うからである。

障害者の住む世界は、いまも暗闇で、最底辺である。
テレビに出ている人は、0.000・・・1%の人である。
雇用はないし、それ以前に障害のため就労不可だったりする、それゆえ経済的に立ちいかなくなる、生活保護に頼るしかない、世間の片隅で細々と暮らすしかない。
それから、こんな弱った動物の周りには、ハイエナがたかってくる。
「ニート」「ひきこもり」「働け」「親のスネをかじって遊んでる」「税金泥棒」・・・
障害者には、国から補助金など一円も出ないのに、「俺らの税金を使って生きている」と喜んで思い込んで、さあだから俺らの思うとおりにしていいんだ、とばかりに石を投げてくるのだ。
こんな底辺人間と、日々つきあっていかなきゃいけないのよ、障害者は・・・。

健常者は、まさかそんな差別と偏見が、いまでも脈々と続いているとは、知らないんだろうな。
というか、もうそんなの、あんまりないだろ? って感じじゃないのかな。
確かに、道路を歩いていたら、車椅子の人も、いまはふつうに歩いていて、健常者となんら変わりないように見えるけど、彼らは彼らで、陰で人にぶつかられて、倒れているのにそのままにして去られるとか、考えられないような目にあっていたりするのだ。

だから、障害者は、障害者独特の口惜しさとかを、必ず経験しているんだよね。
大事なのは、そんな障害者に、健常者が勝手に「自分たちも障害者も同じだ」とか決めつけないことだよ。
悪口じゃなくても、自分の考えを押しつけることが偏見なんだよね。
わたしもよく、「躁うつ病って、気分が上がったり下がったりするんでしょ? そういうの自分にもあるよ」って決めつけられるんだけど、じゃあわたしは単なる気分の上がり下がりで、仕事をしていないんですか・・・と、いつも嫌な気分になる。
励ましてくれているのかもしれないけど、「自分とあなたは同じだよ」という言葉は、ときに障害者にとって、ムカーッとくるものなのである。

じゃあどうすればいいかって、よく言われるように、先入観なしに、どんな障害があるのか知ってもらうってことだよね。
障害者にとって、自分の障害を認めてもらうことは、自分を認めてもらうことなので、嬉しいものなのだ。
それからわたしの場合、精神障害だから、あたまがヘンになって陰でバタバタしているときなんかに、そっとしてくれていると有難い。
なんとなく、「この人、なんかいろいろあるみたいだな」くらいに思ってくれてたらいいのだ。

と、いろいろ書いてきたが、ほんとうのところ、わたしはこんな、障害者の世界が嫌でたまらないんだよね。
メインストリートを歩いている健常者の裏側で、底辺人間にボコボコにされて、当たり前だけど、いままでの自分の実績ってなんだったんだろうと考えてしまう。
健常者がうらやましくて仕方ない。
異常が楽しいわけないじゃん・・・、「障害者になってよかった」なんて強がりを言っている人を真に受けちゃ駄目だよ。
ふつうの生活が欲しかったなあ・・・。
ふつうに仕事して、生活して、仲間と交流して、社会の一員として生きる。
健常者に強い嫉妬を感じる。ほんとうは、悔しくて腹が立って仕方ないんだよね。

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父の病状の悪化

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はぁ~。
なんか、背中に重いものがのしかかってきた。

昨日夕食時、末期ガンの父が、「お腹が張る」と言うのである。
これはたまに言っていたので、ん? またか? と思っていたら、どうやらちょっと様子が違うようで、「痛みが出てきた」と言い出した。
それで、え? と父のお腹を見た。

「膨れてるやん。それ何?」
「腹水かな・・・」
「腹水って、いきなり溜まるんちゃうの」
「お父さん、ここ数日、全然食べてないやないの」←母
「食べられへんのや。錠剤でないか」
「錠剤でカロリーは摂られへんよ。カロリーメイトとかエンシュアとか・・・」

父は、どうやら水分もあまり受け付けないようだった。
なんだか急に・・・。
わたしはそれを聞いた瞬間、いきなり食欲がなくなり、食べていたトンカツを残してしまった。

「俺もそろそろやな」
そう言って、父は食卓から消えていった。
あとに残された母とわたしは、じーっと止まったまま、どうすればいいかを考えていた。
「あのままでは激やせするで」
「何が食べれんねんやろう・・・」
「カロリーメイトかエンシュア? エンシュアって点滴でも入れられるねんな」
「明後日、訪問看護があるから、そのときに点滴持って来てもらおうか」
「それがいいんちゃう?」

そうして、当面の対策は決まったが、わたしはなんだか胸がざわざわした。
わたしのストレスの出方は、本人がまったく意識していないところで、眠れなくなったり食べられなくなったりする。
昨日も、体重が42.5kgと、ちょっと前より1kg減っていた。
そういえば最近、食べられないんだよね・・・。食べていると、途中で気持ち悪くなるの。

わたしは、もしかすると知らないあいだに、父の病状にストレスを感じていたのかもしれないと思った。
なんだか、これからも、食べられない父をまえにして、パクパク食べられる気がしない。
元彼Sちゃんが、病人は夏を過ぎると、急に悪くなると言っていた。
そのシナリオ通りになってしまうのかな。
わたしのH主治医が言っていた「年内やな」というのも、ほんとうになってしまうのかな。
なんだか信じられない。
でも、病気は確実に進んでいるんだな。

わたしはよく、食べられなくなって身体にトラブルを起こすので、これから我慢して、しっかり食べなければならないと思う。
あーそれにしても気落ちするな。
母に「二人になったら不安やから、それで食べられないのかも」と言ったら、「いや、やっぱりお父さんのことやで」と言うので、そうなのかな・・・、と肩を落とす。

親との死別という大きな出来事は、人生のうちであまりないから、わたしは、それを受け止めるだけの精神力がないのかもしれないな。
これは・・・、情けないけど、H主治医に話して、なんとかしてもらおう。
たぶん、病状に影響が出ることもあると思う。
いきなり上がって、ぶっ飛ばなきゃいいんだけど。

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薄っぺらいネット情報

koma

昨日いろいろ考えながら、同級生Yが言った言葉「年金は、俺らのときは大丈夫やろ」について、わたしはかつてない安心感を得ていた。
いままで、母・H主治医・元彼Sちゃんに同じことを言ってきたが、どれもわたしのこころを安定させてはくれなかった。
なぜだろう・・・って、たぶんみんな、わたしと立場が違うからだろうな。

Yは、同級生で横並びだし、お互い本音を言い合える。
わたしにとってYは、現役で社会に出ている希少な人だ。
そしてわたしは思ったのだが、現役で社会に出ている人の意見は、比較にならないほど、ためになるということだった。
わたしがふだん、ネットで得ている情報なんかとは、重みと厚さが違う。

わたしは考えた。
ふだん、わたしがしていることは、部屋に閉じこもり、ネットの薄っぺらい情報を信じ、自分一人でグルグル考えを張り巡らし、心配ばかりしているという、病的な生活だ。
こんな生活から抜け出したい。
わたしは、元彼Sちゃんじゃ、なぜ解決にならないんだろうと思った。
すると、それは彼の話し方にあるんだと思い当たった。
付き合い始めからずっと言っていたんだけど、Sちゃんは自分の意見をパッと言わないのだ。
知識はやたらめったらあるが、たいていその披露だけで終わってしまう。
たとえば、Yと同じように、年金の質問をしたら、こうなると思う。

「年金って、わたしの歳なら70歳給付になるって、書いてあったんだけど」
「・・・年金っていうのは、昭和○○年から△△という理由でできた制度で、□□に制度が変わってこういう名前になって、それからこうなって、えー、当時の給付金がだいたい※※で・・・」

冗談じゃなくて、ほんとうにこんなしゃべり方なのよ!!
わたしはいつもイライラして、いつ結論が出るのよ? と待っているのだが、最近はもう、こうなることは予測できるので、あらかじめしたい質問もしないのだ。
ある意味、せっかく知識を持っているのに、役に立っていない・・・。
あれはたぶん、誰からも「この人に聞いたら長い」と煙たがれて、話しかけるのを最小限にされているような気がする。
とにかくSちゃんに意見を求めても、まったく答えが返ってこないので、わたしはそこのところは、「この人は駄目だな」と残念に思っている。

だからといって、家にいるわたしが、社会で働いているほかの忙しい人たちと、そんなにしょっちゅうコンタクトを取れるはずもない。
自分の周りに、正常な人を配置する、というプロジェクトも、なかなか簡単じゃない。
でも、わたしは障害者同士、狭い知識のなかで、よどんでいるというふうにはなりたくない。
世間で起こっていることを何も知らず、意見も持たない、そんな人間にならないために、必死の抵抗をしたいのだ。

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