LIFE,LOVE&PAIN(旧)

LIFE,LOVE&PAIN(旧)

タイトルは Club Nouveau の80`sのアルバム名。人生っていろいろあるよね。(新URL:○ttp://lifelovepain02.blog.fc2.com/)
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おかゆと点滴

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昨日は、末期ガンの父のところへ、訪問看護が来て、点滴をしてくれた。
看護をしてもらうのが大好きな父は、とてもご機嫌だった。

「見て。点滴やで」と母も、上機嫌で言った。
わたしは、へんな気がしていた。
前になかったものがある・・・、これって「変化」だ。
昨日の続きが今日、今日の続きが明日だとすれば、物事が急に変わることはない、ってふだん思っているけれど、急に変わることだってあるよな。
この、点滴が加わったところを、動画にしてコマとして見た場合、「あ、ここで変わってる」とハッキリわかる。
こういうの、見逃せないよな・・・。

それから、夕食のときも、なんだか見慣れない釜が湯気を吹いているので、なにかと思ったら、おかゆをつくっているのだった。
「こんな釜、あった?」と尋ねると、「もう、20年前くらいの。ひいおばあちゃんが生きてた頃のやつな」と母は言った。
つまり、ひいおばあちゃんが亡くなる前、食べられなくなったときに使ったんだな。

わたしは、その釜を、これから毎日見ることになるのかなと思った。
食欲のない父のための、おかゆ釜。
これも「変化」だ。
いままでなかったものが、そこにある。
わたしは、父が着実に死に向かっていることを、実感した。

これからも、どんどん増えていくものがあるんだろうな、とわたしは漠然と思った。
父も母も、なんでもないことのように考えているけれど、その一歩一歩が、死への階段だろう。
もう決まってしまった運命に逆らえないが、その過程はやっぱり、あんまり愉快じゃないなと思う。

父は、出来上がったおかゆを、一杯食べた。
「ただ流し込んでいるだけ」ということだった。
あれ? いつの間にそんなふうになっていたの? と思う。
そして、あそっか、いちばん「変化」を知っているのは、病人本人だよね、と思った。
わたしはなにもできずに、それを見守るだけだ。
誰も、時間に逆らうことはできないからね。

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健常者≠障害者

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昨日は、なんだかとても疲れてしまった。
どこかに、「健常者と障害者が、ともに住む世界」なんて、書いてあったからだ。

欺瞞だなーと思った。
これを書いたのは、間違いなく健常者だよ。
たいていの障害者は、こんなことを言われたら、「なにもわかってないな」と思うからである。

障害者の住む世界は、いまも暗闇で、最底辺である。
テレビに出ている人は、0.000・・・1%の人である。
雇用はないし、それ以前に障害のため就労不可だったりする、それゆえ経済的に立ちいかなくなる、生活保護に頼るしかない、世間の片隅で細々と暮らすしかない。
それから、こんな弱った動物の周りには、ハイエナがたかってくる。
「ニート」「ひきこもり」「働け」「親のスネをかじって遊んでる」「税金泥棒」・・・
障害者には、国から補助金など一円も出ないのに、「俺らの税金を使って生きている」と喜んで思い込んで、さあだから俺らの思うとおりにしていいんだ、とばかりに石を投げてくるのだ。
こんな底辺人間と、日々つきあっていかなきゃいけないのよ、障害者は・・・。

健常者は、まさかそんな差別と偏見が、いまでも脈々と続いているとは、知らないんだろうな。
というか、もうそんなの、あんまりないだろ? って感じじゃないのかな。
確かに、道路を歩いていたら、車椅子の人も、いまはふつうに歩いていて、健常者となんら変わりないように見えるけど、彼らは彼らで、陰で人にぶつかられて、倒れているのにそのままにして去られるとか、考えられないような目にあっていたりするのだ。

だから、障害者は、障害者独特の口惜しさとかを、必ず経験しているんだよね。
大事なのは、そんな障害者に、健常者が勝手に「自分たちも障害者も同じだ」とか決めつけないことだよ。
悪口じゃなくても、自分の考えを押しつけることが偏見なんだよね。
わたしもよく、「躁うつ病って、気分が上がったり下がったりするんでしょ? そういうの自分にもあるよ」って決めつけられるんだけど、じゃあわたしは単なる気分の上がり下がりで、仕事をしていないんですか・・・と、いつも嫌な気分になる。
励ましてくれているのかもしれないけど、「自分とあなたは同じだよ」という言葉は、ときに障害者にとって、ムカーッとくるものなのである。

じゃあどうすればいいかって、よく言われるように、先入観なしに、どんな障害があるのか知ってもらうってことだよね。
障害者にとって、自分の障害を認めてもらうことは、自分を認めてもらうことなので、嬉しいものなのだ。
それからわたしの場合、精神障害だから、あたまがヘンになって陰でバタバタしているときなんかに、そっとしてくれていると有難い。
なんとなく、「この人、なんかいろいろあるみたいだな」くらいに思ってくれてたらいいのだ。

と、いろいろ書いてきたが、ほんとうのところ、わたしはこんな、障害者の世界が嫌でたまらないんだよね。
メインストリートを歩いている健常者の裏側で、底辺人間にボコボコにされて、当たり前だけど、いままでの自分の実績ってなんだったんだろうと考えてしまう。
健常者がうらやましくて仕方ない。
異常が楽しいわけないじゃん・・・、「障害者になってよかった」なんて強がりを言っている人を真に受けちゃ駄目だよ。
ふつうの生活が欲しかったなあ・・・。
ふつうに仕事して、生活して、仲間と交流して、社会の一員として生きる。
健常者に強い嫉妬を感じる。ほんとうは、悔しくて腹が立って仕方ないんだよね。

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父の病状の悪化

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はぁ~。
なんか、背中に重いものがのしかかってきた。

昨日夕食時、末期ガンの父が、「お腹が張る」と言うのである。
これはたまに言っていたので、ん? またか? と思っていたら、どうやらちょっと様子が違うようで、「痛みが出てきた」と言い出した。
それで、え? と父のお腹を見た。

「膨れてるやん。それ何?」
「腹水かな・・・」
「腹水って、いきなり溜まるんちゃうの」
「お父さん、ここ数日、全然食べてないやないの」←母
「食べられへんのや。錠剤でないか」
「錠剤でカロリーは摂られへんよ。カロリーメイトとかエンシュアとか・・・」

父は、どうやら水分もあまり受け付けないようだった。
なんだか急に・・・。
わたしはそれを聞いた瞬間、いきなり食欲がなくなり、食べていたトンカツを残してしまった。

「俺もそろそろやな」
そう言って、父は食卓から消えていった。
あとに残された母とわたしは、じーっと止まったまま、どうすればいいかを考えていた。
「あのままでは激やせするで」
「何が食べれんねんやろう・・・」
「カロリーメイトかエンシュア? エンシュアって点滴でも入れられるねんな」
「明後日、訪問看護があるから、そのときに点滴持って来てもらおうか」
「それがいいんちゃう?」

そうして、当面の対策は決まったが、わたしはなんだか胸がざわざわした。
わたしのストレスの出方は、本人がまったく意識していないところで、眠れなくなったり食べられなくなったりする。
昨日も、体重が42.5kgと、ちょっと前より1kg減っていた。
そういえば最近、食べられないんだよね・・・。食べていると、途中で気持ち悪くなるの。

わたしは、もしかすると知らないあいだに、父の病状にストレスを感じていたのかもしれないと思った。
なんだか、これからも、食べられない父をまえにして、パクパク食べられる気がしない。
元彼Sちゃんが、病人は夏を過ぎると、急に悪くなると言っていた。
そのシナリオ通りになってしまうのかな。
わたしのH主治医が言っていた「年内やな」というのも、ほんとうになってしまうのかな。
なんだか信じられない。
でも、病気は確実に進んでいるんだな。

わたしはよく、食べられなくなって身体にトラブルを起こすので、これから我慢して、しっかり食べなければならないと思う。
あーそれにしても気落ちするな。
母に「二人になったら不安やから、それで食べられないのかも」と言ったら、「いや、やっぱりお父さんのことやで」と言うので、そうなのかな・・・、と肩を落とす。

親との死別という大きな出来事は、人生のうちであまりないから、わたしは、それを受け止めるだけの精神力がないのかもしれないな。
これは・・・、情けないけど、H主治医に話して、なんとかしてもらおう。
たぶん、病状に影響が出ることもあると思う。
いきなり上がって、ぶっ飛ばなきゃいいんだけど。

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薄っぺらいネット情報

koma

昨日いろいろ考えながら、同級生Yが言った言葉「年金は、俺らのときは大丈夫やろ」について、わたしはかつてない安心感を得ていた。
いままで、母・H主治医・元彼Sちゃんに同じことを言ってきたが、どれもわたしのこころを安定させてはくれなかった。
なぜだろう・・・って、たぶんみんな、わたしと立場が違うからだろうな。

Yは、同級生で横並びだし、お互い本音を言い合える。
わたしにとってYは、現役で社会に出ている希少な人だ。
そしてわたしは思ったのだが、現役で社会に出ている人の意見は、比較にならないほど、ためになるということだった。
わたしがふだん、ネットで得ている情報なんかとは、重みと厚さが違う。

わたしは考えた。
ふだん、わたしがしていることは、部屋に閉じこもり、ネットの薄っぺらい情報を信じ、自分一人でグルグル考えを張り巡らし、心配ばかりしているという、病的な生活だ。
こんな生活から抜け出したい。
わたしは、元彼Sちゃんじゃ、なぜ解決にならないんだろうと思った。
すると、それは彼の話し方にあるんだと思い当たった。
付き合い始めからずっと言っていたんだけど、Sちゃんは自分の意見をパッと言わないのだ。
知識はやたらめったらあるが、たいていその披露だけで終わってしまう。
たとえば、Yと同じように、年金の質問をしたら、こうなると思う。

「年金って、わたしの歳なら70歳給付になるって、書いてあったんだけど」
「・・・年金っていうのは、昭和○○年から△△という理由でできた制度で、□□に制度が変わってこういう名前になって、それからこうなって、えー、当時の給付金がだいたい※※で・・・」

冗談じゃなくて、ほんとうにこんなしゃべり方なのよ!!
わたしはいつもイライラして、いつ結論が出るのよ? と待っているのだが、最近はもう、こうなることは予測できるので、あらかじめしたい質問もしないのだ。
ある意味、せっかく知識を持っているのに、役に立っていない・・・。
あれはたぶん、誰からも「この人に聞いたら長い」と煙たがれて、話しかけるのを最小限にされているような気がする。
とにかくSちゃんに意見を求めても、まったく答えが返ってこないので、わたしはそこのところは、「この人は駄目だな」と残念に思っている。

だからといって、家にいるわたしが、社会で働いているほかの忙しい人たちと、そんなにしょっちゅうコンタクトを取れるはずもない。
自分の周りに、正常な人を配置する、というプロジェクトも、なかなか簡単じゃない。
でも、わたしは障害者同士、狭い知識のなかで、よどんでいるというふうにはなりたくない。
世間で起こっていることを何も知らず、意見も持たない、そんな人間にならないために、必死の抵抗をしたいのだ。

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大学同級生とおしゃべり



昨日は、大学の同級生Y(男・既婚)が、大阪に来たからと、飲みに誘ってくれたので、久しぶりに出かけて行った。
Yは、全国あちこち飛び回る仕事の人で、その先でたくさんの後輩や先輩たちと飲み歩いている。

そんなわけで、わたしたちは居酒屋でしゃべりまくった。
途中で、「ずーっと笑ってんな」と言われたが、わたしは自然に、「楽しいから!」と答えていた。
だってわたしは、いつも孤独で、周りにいるのは、H主治医・母親・元彼Sちゃんのたった3人で、日常会話をしてくれる人なんていない。
Yにそのことを言ったら、えー! とものすごく驚かれた。
それが、一般の反応だよな・・・。

それから、大学時代の先輩・同輩・後輩が、いまどうなっているかの情報を得た。
職種は別でも、もとは体育学部ということで、仕事上のつながりがある人は多く、あの人は、この人はと、いろいろ聞いた。
でも皆さん、順調に仕事をしているようでよかった。
わたしは最近、貧困層のことばかり見ていて、悲観にくれていたが、ここにはちゃんと富裕層(自分で言った)がいる。

それからわたしがもう一つ、気にしている年金のことについても尋ねてみた。
すると彼はのんきそうに、「しばらくは65歳からでしょ。70歳? 俺らんときは大丈夫やろ」と言った。
ネットでは、わたしたちの年齢だと、確実に70歳からと書いていたが、あんなのあてにしなくていいってことだろうか。
ネットって、嘘が多いよな・・・、こういうことを、まさに地に足がついた人から教えてほしいのだ。

それからわたしは、少し自分の病気の話をした。
「うつはわかるやろ。躁はわからんよな?」
「俺もそういうところあるから、わかるよ」←大抵の人は、こう言う。
「明るくなったり、楽しくなったりじゃないねん」
「えっ? 違うの?!」
「あたまににエネルギーが溜まって、どっかにぶつけたくなって、(壁を殴る仕草をすると、怪しい目で見られたのでやめる)、それからな、すごく気が大きくなって、自分はなんでもできるー! って思うねん」
「??」
「変なこと言うけど、13階から飛び降りようとしたことあるで。飛び降りする人って、無様に落ちていくやん? でもわたしはもっと、華麗にくるくる回りながら落ちてみせるわ! とか思って」
「なにそれ、意味わからん」

そう言いながらも、Yは嫌な顔はせず、ほんとうに難問を与えられて、首を捻っているという感じだった。
でも話をぐるぐるさせて、最後には「俺にも、そういうところあるで」と言った。

その続きでわたしは、Yが嫌っている同級生AとHと、わたしが絶縁したと話した。
「わたしが悪いねん。病気になりたての頃、記憶がなくて、なんかやったらしい」
「そうかー。あいつら、競技場で会っても、俺に全然目合わせへんねんで。あんなやつら、どうでもええやん」
「まー。とりあえず、そんな感じで、わたしの周りから人がいなくなってん」

その後、いろいろ話をして、わたしには周りに人がいなさすぎる、これから先を思うと、なるべく多くの人を配置したいんだと言うと、彼は「力になるで」と言ってくれた。
ありがたい。
わたしにとっては、誰かがたまに一緒に飲んでくれて、話をしてくれるだけで、砂漠のオアシスのように嬉しいんだよね。

そんなこんなで、なんと4時間もしゃべり倒していた。
あーいっぱいしゃべれて、スッキリした。
こんなことが、日常的にできたら最高なんだけどな。
ほんとうに、わたしは居酒屋で、どんなに楽しそうな顔をして、しゃべっていたんだろうと思うよ。

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専業主婦のリスク

soujiki

にちゃんねるを見ていたら、よくある嫁・姑・旦那のハナシが出ていて、離婚がどーのとみんなで叩き合っていた。
うーん・・・。永遠のテーマですな。

まーわたし自身は、「働きたくないから、専業主婦になりたい」と言う人は、ちょっと考えが浅いなと思う。
だって、専業主婦って弱い立場ですよ。
経済的に自立していないから、旦那に浮気されても、どんなに理不尽なことを要求されても、のまなきゃいけないわけでしょ。
たとえ旦那が、自分の親だけを介護させて、ヨメの親にはするな、とか卑劣なことを言ってきても、ぐっと耐えるだけ。
理にかなっていないと思うどなー。

働きたくないから結婚して、結局離婚して、条件の悪いパートなんかで働く、ということになる人を、わたしはあんまり同情できない。
そもそも、ラクしようとしているところが間違いなんだろうな。
楽して稼ぐとか、なんでもラクしようとしたら、それなりのリスクが伴うってことなんだろう。
それでも、「働きたくないから、専業主婦になりたい」という女性は、そこそこいるらしい。
目のまえのことしか追えない人だ・・・。

うちの妹は専業主婦だが、これは旦那に頼まれてのことである。
しかしそれでも、わたしはヤバい橋を渡っているなーと思っている。
妹はたぶん気づいていないが、双極性障害という病気は、それだけで離婚理由となる。
ということは、明日にでも旦那が「双極性障害だから離婚する」と言えば、成立してしまうのである。
もしそうなったら、仕事がないのにどうする気だ・・・。
彼女は、結婚直後はグラフィックデザイナーのバイトをしていた。
そういうのを、リスクヘッジと言ったら悪いけど、持っておいた方がいいんじゃないかと思う。

さてまー、そうは言っても、子どもができたら、女性が専業主婦になるケースが多いのも事実だろう。
なかなか、女性に仕事を続けろっていうのは、難しいことだよね。
現代社会がなんといおうと、人間は基本、オスが働いてメスが子育て、という生物なのかな。
どうしようもない・・・。

だから当たり前のことを言うと、人間は理性のある生物なんだから、オスもメスもお互いいたわり合って、生活していくことが大事なんだろうな。
わたし的には、「俺の言うことを聞け」の男も、「毎日ランチしてブランド物」の女も、両方とも下品で、よく「結婚に向いている・向いていない」という訳のわからんスケールがあるけれど、それでいくと、二人とも向いていませんね、ということかなと思う。
ありきたりな言葉だけど、結婚は巣作りなんだから、お互い勝手にやってたらダメだよね。

とにかく結婚するときは、当然だが、相手を入念に見定めることが大事なのかなと思う。
いきなり専業主婦をしたいっていう女はどうなの? とか、逆に専業主婦しろっていう男ってどうなの? とか。
わたしは、どっちもヤバい感じがするけど。
いまの時代、あまりにも男女で役割分担があるのもね。

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スマホニュースに毒される

aidoru

昨日は、一日中スマホニュースを見ていたら、あたまがヘンになってしまった。
夜、寝ようとしたら、あたまの中をぐるぐる、芸能人はじめ女性誌の内容みたいなのが、渦巻いているのである。

「錦織の彼女は最悪で、あのままじゃいけない、本人なんで気づかないんだろうな」、「ユーチューバ―ヒカルって、ほんとのお子ちゃまだな。株式市場のルールをなにも知らなかったのか」
とまあ、こんな具合に、世間を騒がせている噂話が、あたまをついて離れないのである。

暇の極限の末に、こんなことになってしまったのか。
スマホニュースって、あれだけを信用してはいけないし、のめり込まない方がいいな。
あれは決して、新聞ではない。
ずっと読んでいると、たぶんバカになると思う。

それと同時に、3・4ケ月前からなのだが、「こんなの忘れるはずがない」という単語が出て来なくて、ちょっとだけ恐怖を覚えている。
昨日は、「パーキンソン病」「バセドウ病」だった。
わたしにとっては、ポンと出て来る単語なのだが、それが、あたまの中に灰色の雲がもやけていて、言葉がどこを探しても見つからないのだ。
おかしい、なんかおかしい・・・。

わたしは正常な人と違って、さまざまなおかしな症状を出す。
認知症もどきとか、ヨダレが垂れてくるとか、交代人格が出てくるとか、なぜそんなことが起きるのか、わからないものばかりだ。
「物忘れがあまりにひどい」とかも出てくると、過去の経験からいって、ふつうじゃない精神病を抱えた自分が、なにかに反応しているんじゃないか、って考えてしまうんだよね。
わたし的には、やはり暇が原因じゃないかなーと感じる。
これを、解決するにはどうしたらいいか・・・。

作業所Aには行かないと決めた以上、次に行くべきはデイケアである。
しかしデイケアが嫌いなところは、正常なスタッフたちが、あーしてください、これは駄目です、と子どもみたいに指図することだ。
みんなは「大人の幼稚園」といってあきらめているが、わたしはどうもプライドを捨てきれない。
精神障害者は知的障害者じゃないんだから、羊を収容みたいな扱いをすると、誰だってわかるしイヤになるよ。

というわけで、いまのところ、デイケアは見送りにしたいと思っている。
しかし、どのみち精神障害者が行くところなんて、ふつうじゃないよ。
自分でも思うけど、身の回りのことができないし、仕事ができないし、こんな人間どこでも使えないもん。
もうね、死ぬほど繰り返し思うけど、障害者になった時点で、人生アウトなの。
これは、誰でも一緒なの。

さて、いろいろ文句を書いたが、いいニュースもあるのである。
昨夜、大学の同級生Yが、「明後日(明日)、大阪へ行くから飲みに行こう」と誘ってくれたのである。
行く行く! お酒飲まなくなったから、ちょっと楽しさ半減だけど。
どんな話が聞けるかな。
新しい情報をキャッチして、あたまを正常化しなきゃ。

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多忙な人々

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昨日は、大学同級生のグループラインを見ていて、「みんな、なんて忙しいんだ」と思った。
今度また、9月に集まりがあるのだが、「23日でいいかな?」という問いに、それぞれが「その日は試合があるから」「○○の役員会で不参加」などと、いろいろスケジュールが忙しいのだった。
みんな、なんでそんなに体力があるの・・・。

わたしは、週に1回、外出するのがやっとだ。
ふつうの人の活動量を考えると、あまりに差があって、気が遠くなる。
なぜ、活動できないかというと、ふつうにしんどいから。
心身ともども、床に張りつくくらい疲れるのである。

最近は、暇のあまり、読書をしたりしているが、これも長続きはしない。
数ページ読んでは休み、の繰り返しである。
同じ本を読んでいると集中力がなくなるので、2~3冊を平行して読んでいる。
あとの時間は、スマホニュースを見たり、ボーッとしている。
なんの生産性もない・・・。

わたしは、ちょっと疲れてしまった。
こんなになにもできなくて、この先どうなるんだろう。
なにを生きがいにして、生きていけばいいのかな。
お金をギリギリに節約して、外に出ていくこともない閉鎖空間で、このまま生きていけるんだろうか。
それって、死ぬほど疲れるんじゃないかな。

みんながうらやましい、とつくづく思った。
ふつうの社会生活を送っている人々。
多忙だけど、メリハリのある生活、社会に参加しているという充実感。
そして、経済力。
わたしも、医療系国家資格を取得予定だったから、ふつうにやっていれば、いまこんなふうにはなっていなかったはずなのよ。
何がいけなかったと言えば、グループワークで全然動いてくれない人を、意地でもちゃんとやらせようとしてしまったところ。
ほっときゃよかったのに・・・。

ともかく、自分の完璧主義を人に押しつけたのが、病気の始まりだったのだ。
もうあんなことは二度としないって思うけど、そういう場所もなくなってしまったかな。
作業所Aは、昨日母に再打診してみたが、まったく乗り気ではなかった。
しばらく、わたしはなにをすればいいんだろう。

食欲もまったくなくて、なにか魂が抜けている感じがする。
こういう生活を送っていると、だんだん活気も失われていって、それなりの風貌になるんだろうな。
貧乏でしょんぼりしている障害者っていうか。
わたしがなりたいのは、そういう寂しい人間じゃなかったんだけどな。

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父の後ろ姿

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昨日は、その前にも増して、身体が苦しかった。
なぜ・・・?
買い物もなにもかも、全部母親にまかせる。
75歳の彼女の方が、わたしよりはるかに丈夫だ。

そんなわけで、食事がほとんど食べられない。
ついに、ユンケル投入が始まった。
こうやって書いているのも、じつは辛いのだが、なるべくとっとと済ませる。

ところで我が家には、もう一人そんな人がいて、それは末期ガンの父なのである。
末期ガンと言われながら、けっこう長生きしているのだが、最近ついにという感じで、身体が痩せてきた。
見た目は元気なのだが、「食べられない」と言って、昼はお菓子やバナナをもぐもぐしている。
とくに背中が・・・、骨ばっていて、明らかにまえと違う。
これからどんどん、ガンにかかった芸能人たちのように、ガリガリになっていくのだろうか。

わたしは、じつは「秋ごろまでじゃないか」と睨んでいたのだが、案外もっているので、わたしのH主治医の言うとおり、年内? と考えを改めた。
そうしたら、11月末にある「グレンミラーオーケストラ」のコンサートに行けるかどうか、微妙である。
これは父が、珍しく「チケットを取りたい」と言うので、わたしが母のぶんと2枚取ったのだ。
そういえば、ブラスバンドジャズを聴きたいって言っていたなあ。
大音量っていうのは、こころが勇気づけられて、強くなるんだよね。
あれは、病気の人にはいいと思うよ。

だからなんとか、11月末にはもってほしいのだが、食欲がないのって、どうしようもないんだよね・・・。
わたしが小食でもともと食べられないから、苦しいってなるまで食べるのは、ほんとうに苦痛だっていうのもわかるのよ。
もう、おじいさんだし、無理をさせるのもどうかと思うしね。

しかし、気の強い母の方は必死だ。
本人が嫌がっているのに、「これは? あれは?」と次から次へと、食べ物を差し出す。
「俺は、俺のしたいようにやる!」と父は怒って、しょっちゅう喧嘩になっている。
わたしは、母がやり過ぎで、もう延命処置もしないって言っている人だから、それ以上やると、母親自身のエゴになっちゃうよ、と思うけどね。

そんな感じで、父の後ろ姿をみるのも、いつまでだろうと思うが、それがたった数ヶ月あとだなんて、ちょっと信じられないな。
この人、消えてなくなるのか・・・。
なんだか、不思議な気持ちだ。

父は、ぽわ~んとして何を考えているのかわからない人で、わたしはひそかにトトロみたい、と思っているのだが、トトロはここと言うときに、的確な意見を言う人だった。
わたしが発狂して、子どもに帰っていたとき、のんびりと「いま、小学生に帰ってるんやな」と、お見通しだった。
まだ死んでいないけど、ものすごい苦労をかけちゃったなあ・・・。
ほんとうは、ちゃんと一人前に働いて、自立しているはずだったけど、障害者になってしまいごめんなさいって感じ。
でも、思った通りにいかないのが人生、って考えるしかないんだけどね。
わたしが最後にできることは、トトロがこれからの時間を、おだやかに過ごせるような環境をつくることかな。

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これからの職業

takoyakiya

一昨日・昨日と、マンションにいて、哲学者のように考えごとばかりしていたのだが、今日体重を量ってみたら、1kg減っていた。
たった2日で?
一日3時間くらいしか眠っていないし、これは躁かな?
躁は気分は平気なんだけど、身体がまいるんだよね。

さて、そんな感じで、わたしは今度は、これからの職業について考えた。
わたしはたびたび、「これから、人工知能が導入されると、労働者の半分以上は失業する」というので、「人間にしかできない仕事に就くべき」と言っているのだが、世間はだーれも騒いでいない。
ここに書いていても、「キチガイがなんか言っている」になるんだろうなと思っている。
でもわたしは、これとまったく同じ経験をしたことがあるから、言っているのよ。
バブルだ。
あのときだって、あたまのまともな人が「これはバブルに過ぎない」って、淡々と説いていたの。
それをわたしを含め、ほぼ全員が「バブルって何? こんなに素晴らしい世界がなくなるなんて、嘘でしょ」と、鼻から無視したのだ。
そんで、企業のエンジン部分にいなかったわたしは、あっさりとリストラされた。
まーわかっていても、職業を変えるなんて無理だったけど、次はどうしようって、考える時間ができたかもしれないよね。

だから、いま定職に就いている人には難しい話だと思うけど、バイトなんかで、あちこち行っている人は、レジ打ちなんかを極めている場合じゃないと思うのよ。
スーパーやコンビニのレジは、あと10年もしたら、完全にいなくなると言われている。
できることは、そのときまでに、ちょっとした技術を身につけておくことじゃないかな。
技術といったって、難しいことをするんじゃなくて、たとえばたこ焼き屋さんとかさ。
あれって、やっぱりちょっとした技術だよ。
慣れないとできないし、しかもあんなの、人間がやってくれないと食べる気にならない。
だから、世間ににリストラ地獄が来ても、わりと平然としていられるんじゃないかな。

それでさ、もっと話を広げると、いまからの人って、どうせほとんど年金がないわけじゃない?
だから若いうちに、たこ焼き屋で修行しまくって、食べ歩いて、もうほんとうにその道で食っていくんだって、覚悟を決めるの。
履歴書的にも、あちこち生きるためだけのバイトしかしていない人と、自分はこの道なんだって決めている人とでは、まったく印象が違うと思う。
そして、長年の努力のすえ、やっと独立できそうな資金が溜まったら、あとは死ぬまでたこ焼き屋のおやじ。
適当に仕事して、適当に生活して、まあこんなもんか、という老後を送るのである。

わたしのイメージだけど、近い将来は、大型店舗は寒々としていて、街は人間味のあふれる店があって、人々はその間を行き来しているような感じ。
生き残れるのは、人間味のあふれる店で、働いている人じゃないかなー。
たとえ、大手企業に勤めていても、リストラされたら終わりだもんね。
そういう人が、トボトボと歩いていると、道端のたこ焼き屋さんが、「お兄ちゃん、たこ焼きどうや?」と声をかけてくれて、「おまけしとくわ。がんばりや」とか励ましてくれて、いつの間にか下剋上になっていたりする。

そういうことで、あくまで例としてたこ焼きを挙げたが、ほかにもちょっとした技術がいる仕事って、あるんじゃないかな。
若い人なら、整骨院のマッサージとか、いまならふつうに求人があるし。
子どもの頃にちょっとかじっていた習い事だけど、磨けば使える、とかいうのもいいよね。
べつにわたしは誰の応援をするわけでもないけど、もし労働者が大量に失業したら、全員で熾烈な仕事の奪い合いになると思うから、あーやっぱりたこ焼き屋さんだよ、と考えてしまうのだ。

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